栞の精神世界:美坂香里

「「リフレクトブースタ!」」

 天野さんと名雪の魔法が完成する。
 とにかく、魔王よりも素早く行動に出ようという作戦だ。

「ふ……甘いですね!」

 ナタルが槍を構えてこちらに接近しようとする。
 しかし、

「甘いのはそちらです! タンブリングダウン!」

 天野さんの呪文がナタルを捉える。

「な……く……」

 呪文に耐え切れず、かくん、と膝を落とすナタル。
 その隙を逃さず、一気にナタルに接近する北川君。

「おらあ、食らいやがれ!」

 槍の一撃が、ナタルの腹に突き刺さる。

「ぐうっ」

 避けきれずに、まともにその一撃を腹に受けるナタル。零れ落ちるのは血ではなく、どす黒い何か。
 それに続くかのように、《獣化》を終えた真琴が、ナタルを爪で引き裂く。

「あうー!!」

 ざっくりと切り裂かれるナタルだが、まだまだ倒れ伏す気配もない。

「この……獣風情が! ダークブレイド!!」
「真琴! ダークバリア!」

 即座に天野さんの防御魔法が、真琴を守るが、それでも、闇の刃を吸収しきれずに、余波が、真琴の身体を貫く。

「あうっ」

 苦痛に顔をゆがめる真琴に、名雪が、悲鳴を上げる。

「真琴ちゃん!」
「へ、平気よぅ、この位……」

 名雪の叫びに、ふらふらと立ち上がり、力強く答える真琴。

「真琴。しばらく我慢なさい」

 天野さんは、一歩前に出て、いつでも真琴を守れるよう、準備を整える。そして、破魔弓に構えていた虚無の弾丸を、ナタルに照準を合わせる。

「ヴォーティカルカノン」

 それは狙い違わず、ナタルを撃ち抜く。

「く……」

 片手でそれを受け止めつつも、苦痛に顔をゆがめるナタル。

「行くわよ、名雪」
「うん!」

 魔法の準備を整えた名雪と共に、行動を開始し、あたしはナタルに接近する。
 名雪は、自身に暗示をかけて、能力を強化する《現の夢》を使用する。
 そして、一歩前に出て、手にした風の刃を投げつける!

「サイクロンカッター!」
「はあっ!」

 名雪の風の刃が、ナタルを切り裂き、あたしのドラゴンブルームの一撃が、ナタルの顔面を直撃する。

「がはっ……おのれ! ウィザード共が!!」

 ナタルはデーモンに号令を出し、行動を開始させる。デーモンの一体は、名雪に接近し、手にした槍で貫かんとするが、

「ディフェンスアップ!!」

 名雪の防御魔法によって、弾かれる。残る一体は、真琴に槍を向けるも、真琴は持ち前の俊敏さで、難なくかわす。

「よくもやってくれたわね!!」

 真琴が、怒りの声を上げ、爪を振るう。振るう相手は、もちろんナタル。

「この、獣があ!!」

 しかし、吼えるもその攻撃は鋭く、ナタルの身体を無情に引き裂く。
 北川君は、ナタルをいったん無視して、名雪に迫っていったデーモンに向き直る。攻撃の方は真琴に任せても問題ないと判断したのだろう。

「行くぜ、相棒! 俺の命を……喰え!」

 北川君の手が輝き、その輝きを、槍が貪るように吸収する。そして、その輝きが槍の赤い宝石に、更なる輝きをもたらした。

「うおらああ!!」

 背後からの攻撃を避けることもままならず、デーモンは胸に大きな風穴を空けるが、まだ倒れる事はない。

「おのれ……ウィザードが……わが二つ名“疫病の運び手”の真髄、見せてくれる!!」

 ナタルの手に、あの肉の塊とは違う、真っ黒い霧のようなものが生み出される。

「受けよ! 《黒死の病》!!」

 その黒い塊は、天野さんと名雪を包みこむ。

「く……ダークバリア!」
「プリズムアップ!」

 その攻撃を防御しようとするも、その防御は、完全に防ぎきる事は出来ず、一部の黒い塊が、防御をすり抜けて名雪たちを蝕む。そこには傷を受けたデーモンもいたはずだが、もはや用済みと判断したのだろう。デーモンは防御魔法の恩恵を受けることなく、その攻撃をまともに喰らい、霧散する。

「くう……」
「な、何ですか、これは……」

 攻撃を受けた名雪と天野さんが、苦しげに呻く。その額には、熱病に掛かったような、脂汗が噴出し、身体に、黒い斑点が浮き出ている。
 これは……

「ふ……これぞ、我が病の力の真髄。病に悶え、苦しみながら死んでいきなさい!」
「くっ、このう!!」

 あたしの放った一撃は、後一歩のところでナタルを捕らえ損ねる。
 酷薄な笑みを浮かべるナタルに、名雪たちは、苦しげにナタルを睨みつける。その様子を見て、勝ち誇った表情を見せるナタル。
 しかし、天野さんは、懐から淡く輝く数十枚の符を取り出し、それを空中に放り投げる。

「やってくれますね……しかし、そっちがその気なら、こっちも、対抗手段を取らせてもらいますよ」

 放り投げた符は空中でぴたりと静止し、あたしたちを取り囲む。そして、天野さんの身体が、無色の光に包まれる。

「《大結界》」

 ばしっ、と、符が、互いを魔力の糸で結びつかせる。そしてそれは、強固な結界となって、あたしたちを覆い包んだ。

「これは……」
「私たちを結界で包みました。幾分かは敵の攻撃もましになるはずです。く……」

 天野さんは、苦しげに額を押さえる。

「さすがにこのままではまずいですね。効果があるかどうかは分かりませんが……キュア」

 天野さんは、自分に毒などの悪影響を、解除する魔法を唱える。天野さんの考えは杞憂に終わったようで、天野さんの身体から、黒い斑点は消え、顔色も、常人のそれに変わる。

「ふん、しかし、もう、魔法を唱える余裕もないだろう! 行け、我が配下!!」

 命に基づいて、デーモンは、天野さんに攻撃を仕掛けるが、結界内で思うように動く事も出来ず、さらに名雪の防御魔法によって、大幅にその威力を減衰させられ、彼女のわき腹を、軽く傷つける程度に留まった。

「美汐は傷つけさせないわよぅ!!」

 天野さんを傷つけられて、激昂した真琴が、即座にデーモンを背後から思いっきり引き裂く。絶叫を上げるデーモンは、まだ倒れない。

「止め!!」

 そこに北川君の駄目押しが決まり、デーモンは消滅。

「ちっ、使えない奴らだ!」

 ナタルの舌打ちが響く。
 そこに、

「キュアウォーター……」

 名雪の魔法によって、清らかな水が生み出され、名雪を優しく濡らす。それは名雪の体力を回復させ、身体を浄化すると、瞬時に蒸発した。そしてそこには、綺麗な肌をした名雪が、凛と立っていた。

「これで振り出しだよ!」
「ふ、しかしそちらの援護ももうないだろう? ならば!!」

 ナタルの槍が、真っ黒に染まる。

「《疫病の槍》!!」

 それは狙い違わず、北川君を貫く。防御もままならないその一撃は、北川君のわき腹に突き刺さる。

「ぐ……」
「苦痛と共に、我が病の洗礼を受けるがいいわ!!」

 瞬時に北川君の身体に、名雪たちと同じような、黒い斑点が浮かび上がる。

「こ、この野郎……」

 見る見るうちに、顔色が悪くなる北川君。

「北川君、すぐ治すからしばらく我慢して! リフレクトブースタ!」

 名雪は少しでも素早く行動できるように、行動強化の魔法を唱える。

「ふ、馬鹿の一つ覚えみたいに!」
「どう捉えてもらってもいいよ!」

 名雪はナタルの挑発を受け流すと、その身を青い輝きで覆う。これは名雪のプラーナの色。名雪はプラーナをさらに燃やして、行動力を強化する。

「ちっ……」

 ナタルは舌打ちすると、名雪より素早く行動しようと動き出す、が、

「貴方こそ、こちらの事を忘れていませんか? タンブリングダウン!」
「く……この!」
「有効な手段はいくらでも使いますよ!!」

 またしても、天野さんの呪文によって一瞬だけ膝をつくナタル。そして今度は、一歩素早く、名雪の呪文が完成する。

「キュアウォーター!」

 癒しの水が、北川君を濡らし、わき腹の傷と、病を瞬時に回復させる。

「サンキュ、水瀬」
「うん! がんばって!」
「おっしゃあ!!」

 北川君は気合の声一閃、プラーナを燃やした一撃を、ナタルに放つ。

「ち……」

 その攻撃を喰らうのを嫌って、避けようとするナタルだが、北川君はまるでそれを読んでいたかのように、ナタルの逃げる方向に向かって槍を繰り出す。

「ぐは……」

 貫通する槍に、悶え苦しむナタル。これはかなりのダメージを与えたようだ。

「この小僧が! どいつもこいつも私を舐めおって!!」

 怒りに燃えるナタル。その手には、3つの黒い球体!?

「ヴォーテックストライデント!!」

 その3つの黒い球体は、真琴と北川君、そして天野さんを狙い打つ。

「ちいっ!!」

 北川君は槍でその攻撃を受け流し、

「ダークバリア」
「プリズムアップ!!」

 天野さんは名雪と自身の防御魔法で何とか乗り切る。
 そしてあたしは、真琴の前に立ち、ドラゴンブルームを盾代わりに、真琴を黒い球体から庇う。そして、一呼吸し、あたし自身のプラーナを限界値まで解放する。全身を(ロン)で覆い尽くし、それらを魔法への防御力へと転換する。

「く……」

 完全ではないが、ダメージは最小限に抑えた、が、突如、あたしの脳裏に、強烈な死のイメージがよぎる。

「く……これは一体……」

 その強いイメージに耐え切れず、朦朧となる。

「ちいっ……何だよ、これ……」

 どうやら北川君も同じように、あの強烈な死のイメージが植え込まれたのだろう。がくり、と膝をついて槍を杖代わりにし、身体を支える。

「そうか、《ぐるくる》……そんなものまで使えたの!?」
「舐めるな、と言ったはずだ!」

 ナタルが名雪を睨む。
 そうか、他者の精神に浸入できるという事は……名雪と同じ力の使い手、という事か。
 あたしは頭を振って朦朧とする頭を振り払い、ドラゴンブルームに魔力を注入し、雷に変える。
 そして、ブルームに備え付けたオプション、パワーブースタを燃焼させる。“箒”の攻撃力を底上げする特殊アイテムを、ここで使う!

「はあああっ!! 《雷竜》!!」

 この一撃は、絶対に当てる!! プラーナを、燃焼させ、絶対にかわせない一撃とする。

「せいっ!!」
「くは……」

 寸分違わず、あたしの一撃はナタルの腹に突き刺さる。
 そこに、

「あうー!!」

 真琴の爪が駄目押しの一撃を加える。真琴も、真っ赤なプラーナを燃やして、その一撃に鋭さを増す。

「がああっ!! この……」

 憎悪に満ちた目であたしたちを睨むナタルだが、今さら遅い! こっちはとっくに……あんたを許そうだなんて思っちゃいない!
 しかし、ナタルは狼狽し、身動きの取れない北川君に向かって、あの《疫病の槍》を繰り出す。
 まともに、防御もままならない北川君。

「ディフェンスアップ!!」

 名雪の防御魔法も突き破り、ナタルの《疫病の槍》は、北川君のわき腹を再び貫いた。

「ぐあっ……」

 またしても、即席の病に冒される北川君。

「北川君! すぐに治療を……」
「ふ……それもいつまで保つかしら?」
「く……」

 痛いところを指摘する。確かに、あたしたちの魔法力は有限。しかし、魔王級はほとんど底なしの魔法力を秘めている。いずれ消耗戦になって不利になるのは……あたしたち。

「だったら……底が尽きるより先に、てめえを倒すまでだ!!」

 青い顔をしながら、北川君が、力強く宣言する。

「そうよぅ!! もうここから先は、出し惜しみなんてしないんだから!!」

 真琴もそれに続く。

「道理ですね。ここで一気に決めます!」

 天野さんも破魔弓を番える。

「うん! 北川君、回復は後回しになるかもしれないけど、いい!?」
「構うもんかよ!」

 名雪の問いかけに、あっさりと答える北川君。

「分かったわ……みんな、一気に決めるわよ!!」
「「「「了解!!」」」」
「戯言を!! 喰らえ、《黒死の病》!!」

 ナタルのあの黒い霧が、ナタルを巻き込んで、あたしたちを覆う。

「そんな攻撃……あたしが全て受け止める!!」

 あたしは黒い霧を飲み込むように、この身全てにそれを受け止める!

「ダークバリア!」
「プリズムアップ!」

 二人の援護を受けて、あたしの魔力耐性が底上げされる。そこに、さらに強く放出した(ロン)であたしを守り、その攻撃を完全に防ぎきる。

「う……嘘だ……こんな……」
「人間を……舐めるんじゃないわよ!!」

 あたしは動揺するナタルに、強く叫ぶ。
 そこに、病に冒され、ふらつきながらも、意志の強さで立ち上がった北川君が迫る。
 その攻撃は、避けることすらかなわない鋭い一撃。

「行くぜ! 《魔器解放》!!」

 北川君の槍が、真の力を発揮する。赤く輝く宝玉はさらに強い輝きを帯び、らせん状に描かれた柄のルーン文字が、下から順に光り輝く。

「く……」

 ナタルはさすがにこれを喰らうまいと防御の体制に入るが、
 ざわり、
 と、突如放たれた殺気に怯み、防御を解いてしまう。
 殺気の主は……

「貴様か! 妖狐!!」
「出し惜しみなしって言ったわよぅ!!」
「うおらああああああっ!!」

 がら空きとなった腹に、プラーナを限界まで解放し、思いっきり槍を振りかぶった北川君の槍が、貫通する。

「……は……」

 ずるりと、その槍を引き抜くとき、ナタルはたたらを踏む。
 そろそろ限界が近い!!

「はああああ……」

 天野さんが独特の呼吸でプラーナを解放し、虚無の弾丸を、大きくしていく。

「ヴォーティカルカノン!」

 今までよりも数段大きくなった虚無の弾丸が、ナタルを飲み込む。

「…………!!」

 悲鳴すら飲み込む虚無の弾丸は、弾けると、ナタルはまだふらつくものの、ざり、と足を踏み固める。が、膝が笑っている。

「行くよ! 《英雄幻想》!!」

 名雪は、片手を上げて、プラーナを解放する。そして、生み上げられた幻想の英雄の姿は……

「相沢、君?」

 なるほど、名雪らしい。相沢君の幻影は、あたしが始めて会ったときに振るった剣で、ナタルを切り裂く。そして、その役目を終えた幻影は、あたしたちを静かに見守るかのように、消えた。

「後は任せたよ! 香里!!」
「ええ!!」
「あうー!!」

 プラーナを込めた真琴の爪が、ナタルを引き裂く。その勢いが余り、ナタルの身体が一回転する。もはや自分を支えている事すらままならないようだ。
 ならば、止めは……ここで指す!!

「はああああっ!!」

 あたしは最後のエネルギーブースタを使い、攻撃を強化する。真っ赤にヒートアップしたドラゴンブルーム。次いで、あたしの解放できるプラーナ全てを注ぎ込む。そして、残った魔力を、雷に変え、ドラゴンブルームにまとわせる。この一撃を持って……こいつを倒す!!

「く……」

 その攻撃をかわそうとするナタル。
 しかし、またも同じ殺気に当てられ、身をこわばらせる。

「子狐ぇ!!」

 怨嗟の声で真琴に叫ぶナタル。
 そこに、あたしの攻撃が決まろうとしたとき、ナタルの悪あがきの足払いが、あたしを転ばせる。
 勝ち誇るナタル。しかし、次の瞬間世界がぶれる感覚と共に、あたしの攻撃は、確かにナタルの顔面を捉えていた。そして、その勢いを緩めることなく、一気に振り抜く!

「がは……」

 あたしの一撃に吹き飛び、地面にバウンドし、数メートル地を滑るナタル。

「な、なぜ……?」
「さっきのはただの悪い夢。今のが現実、だよ」
「小娘……貴様の……仕業、か……」

 ナタルは、名雪を睨みつける。
 そうか。あたしは名雪に助けられたのか……参ったわね。
 今回の事は全部、名雪に助けられっぱなしだ。

「ありがとう、名雪」
「親友だもん。当たり前だよ」

 あたしが名雪に感謝の言葉を述べている間に、ナタルの身体は、急速に揺らぎだす。どうやら……もうこの世界でその身を維持できるほどの力が残っていないのだろう。

「ふ、ふふふ……せっかく、面白い実験が……出来ると……思ったのに……」
「ふざけないで。人はあんたの玩具なんかじゃないわ。そしてあんたは絶対にやってはいけない事をした」
「……それは?」
「それはあたしの妹をキャリアに選んだ事。あたし一人ではどうにも出来なかったけど……こうして妹を救うために立ち上がってくれた、あたしを助けてくれる仲間がいてくれた。その時点で、あんたは大きなミスを犯したのよ」
「ふふふ……そんな、つまらない事で、私の実験は……終わるというの……?」

 その言葉を最後に。
 ナタル=ウークはその身体を闇へと溶けていった。

「ふー……終わったか……く……」

 北川君が、ふらりと体を傾け、地に倒れ伏す。そうだ……北川君は、まだ病気の影響を受けているんだった! このままではまずい……

「北川君、今治すからね。キュアウォーター!」

 名雪の癒しの水が、北川君の身体をあまねく濡らす……はず、が、

「あ、あれ?」

 なんだか……妙に水の量が多すぎないかしら? その水は徐々に北川君を包み込んでいく。そして、

「がぼっ、がぼぼぼぼぼぼぼ」

 うわっ、北川君が溺れてる!

「わ、わ。だ、大丈夫!?」
「ば、ばぶべべぶべー!!」

 あたふたする名雪に対し、北川君がもがきながら、水の中で意味不明の言葉を叫ぶ。そして、ぱあん、と水が弾け、北川君はずぶ濡れの状態で、荒い息を繰り返した。

「はあ、はあ、はあ、こ、こ、殺す気かー!!」
「ご、ごめん。ちょっと暴走しちゃったみたい」
「はあ、仕方ないですね。では私が」

 北川君の病は、天野さんの治癒魔法で、ようやく治すことができた。ついでに、北川君の体力も、今度こそ成功した名雪の回復魔法で、何とか持ちこたえたこともついでに言っておこう。
 そして……



「栞!!」

 あたしは十字架に駆け寄る。しかし、あの強固な鎖は解けることなく、栞を縛り付けていた。

「なん……で……? 魔王は、倒したはずなのに……」
「……後は香里の仕事だよ。元凶は取り除いた。そして、緩みかけた鎖を解き放つのは……香里にしか出来ない」
「あたし……?」
「うん、今なら香里の声も届くはずだよ」
「……分かった」

 あたしは眠っているかのような栞に声をかける。

「栞、聞こえる?」

 一瞬だが、確かに栞のまぶたが動いた気がした。
 確かにあたしの声が……届いてる!

「栞、まずは……貴方に謝らなくちゃいけないわね」
「…………」
「ごめんなさい。栞。駄目な姉で。苦しむ貴方を見ない振りして、無視して、あたしは最低の姉よね……」
「…………」
「でもね……でも、ね……」

 あたしは十字架にかけられた栞の身体を抱きしめる。

「それでも……貴方の事を愛してたの……どうしようもないくらい……貴方を殺せと命じられたときも……貴方と過ごした時間を……忘れられなかった……貴方を失うのが……怖かった……だから……」

 今さらながら。
 あたしの目から、涙がこぼれて止まらなくなっていた。

「だから……あたしの前から消えないで……お願い……」
「……おねえ、ちゃん……?」

 その声にはっとし、あたしは栞の顔を見る。
 彼女のまぶたがゆっくりと開き、あたしがその瞳に写る。

「あはは……お姉ちゃんだ……死ぬ間際にこんな素敵な夢を見られるなんて……少しだけ……幸せかも……」
「違うわ、栞」

 あたしは、もう一度栞の身体を抱きしめる。

「貴方は生きるの。これからもずっと。あたしと一緒に」
「……こんなに苦しいのに?」
「苦しいなら、あたしが半分分かち合ってあげる」
「……痛いのに?」
「痛いなら、あたしがその痛みを理解してあげる」
「……辛いのに?」
「あたしと一緒なら、その辛さを半分にしてあげられるわ。だから……」

 栞を抱きとめる腕にぎゅっと力を込める。

「あはは……痛いよ、お姉ちゃん……」
「だから、生きてちょうだい。それが駄目な姉の……たった一つの望みよ」
「お姉ちゃん……」
「栞、聞かせて。貴方は……死にたい?」

 その言葉に、
 栞はしばらく黙りこみ、やがて、嗚咽が漏れ出す。

「わたし……わたし、ホントはまだ死にたくない……病気が苦しくて、辛くて、もう生きているのも諦めて……でも、わたし、やっぱりまだ死にたくないよぅ……」
「なら……生きましょう。あたしと一緒に」
「お姉ちゃん……わたし、生きてて、いいの?」
「もちろんよ。だって貴方は……」

 一呼吸置いて。あたしはその言葉をはっきりと口にした。

「だって栞は、あたしの妹なんだから」

 ぱきん、と。
 乾いた音を立てて、鎖がはじけ飛ぶ。
 重力の法則どおりに、栞の身体は、あたしにもたれかかる。
 あたしは急にやってきた栞の重さに、足がよろめき、尻餅をつくが、それでも、栞の身体を離す事はしなかった。

「ありが……とう。ありがとう……お姉ちゃん……」

 胸の中で泣きじゃくる栞の髪を、優しく掬う。

「悪夢の……終わりだよ」

 名雪がつぶやいた途端、空に光が差す。あの厚い雲が、ゆっくりと晴れていき、太陽が頂点に達した、暖かい日差しが差し込んでくる。
 同時に、あの乾いた大地から草木が芽生え、生命に満ちた若々しい草花が一面を覆った。
 そして、あの栞をつなぎとめていた十字架は、風化し、チリと化して空へと還っていった。

「栞……これからは、いつまでも仲良く暮らしましょうね」
「うん、うん……」

 泣きじゃくる栞の姿と共に世界がゆっくりと白くなっていき……
 あたしたちは、現実へと帰っていった。



裏界:???

「く……」

 ナタル=ウークは、傷ついたその身体を引きずり、自分の領土へと戻ってきた。さすがにこれからは傷を癒さねば、まともな活動は出来ない。しかし、あの冥魔を使った実験はこれ以上ないくらいに効果的であった。あれは面白い。まだまだ研究すれば、もっと面白いウィルスが出来るかもしれない。そんなある種の期待を胸に、自分の城に帰ると、

「待ってたわよ、ナタル」
「!!?」

 そこには、学生服にポンチョ姿を羽織った少女が、自分の玉座に優雅に腰掛けていた。
 そして、その人物をナタルはよく知っていた。恐怖で足がすくむ。

「べ、ベール=ゼファー……様!?」
「ええ、突然の訪問に驚いた?」
「な、何用でしょうか? この男爵たる私ごときに……」
「簡単な用事よ」

 ベルはそれだけ告げると、玉座から降り、ナタルに一歩ずつ近づいていく。

「死んでちょうだい」
「な、な、何ゆえ私めが……!?」
「あんたは二つ、やっちゃいけないことをした。一つ、あたしの大嫌いな冥魔を使って、つまらない実験をしたこと」

 ベルは淡々と言いながら、徐々にナタルへと近づいていく。その様子に、恐怖で身動き取れずにがくがくと震えるナタル。

「二つ、あの街であたしのゲームに茶々入れした。まあ、裁定者を使って病気をばら撒くってアイディアは面白かったし、見逃してもいいと思ったけど……」
「で、では……」
「やっぱり止めたわ。あんたはつまらなすぎる。病気をばら撒いて世界を滅ぼすなんて、なんてつまらない。ゲームと言うものは、互いがリスクを背負ってこそ、面白いのよ」

 そんな口述を震えながら、ナタルはただ、助けて助けて、と言う思いで聴いていた。

「ま、そういうわけよ。理解した?」

 理解なんてしたくもない。ナタルの頭の中は命乞いだけで一杯であった。
 しかし、そんな事には全く気づく事もなく、ベルは手に光を灯らせる。

「そういうことだから、さようなら?」

 パン、と乾いた音を立てて。
 ナタル=ウークは永遠に裏界から消滅した。



栞の病室:水瀬名雪

「……帰ってこれたみたいだね」

 私はそこが、栞ちゃんの病室である事を確認する。時間は……すっかり夜になっていた。

「栞は……どうなったの?」

 香里が当然のように聞いてくる。
 栞ちゃんの様子はわたしたちが精神世界へ入る前と変わらずに、呼吸器をつけ、眠っていたが、呼吸は規則正しく、顔色も、どちらかと言うと、とても安定している。

「大丈夫でしょう。ナタルの消滅と同時に、病魔も滅しました。後は本人の意識が戻れば……」
「オールオッケーってか?」

 天野さんは事実を淡々と述べ、北川君は、気楽そうに腕を後ろに回して楽しげに言った。

「誰ですか!? 貴方たちは!?」

 突然の声に、ぎょっとする。
 振り返ると、そこには、年配の看護士さんが、栞ちゃんの様子を見に来たのか、その手にカルテを握っていた。
 まずいよ……

「ちょっと誰か! 誰か来てー! 怪しい人たちが……」

 それ以上言わせる前に、わたしは看護士さんの額に指を当てる。

「貴方が見たのはただの夢。私たちは最初からいなかった。そうだよね?」

 ぼーっとなった看護士さんは、わたしの言うまま、首を縦に振った。
 これで、とりあえず問題なし、だよね?

「それじゃ撤収するよ。誰か月匣を展開して?」
「では、私が」

 天野さんの月匣が展開される。
 そしてわたしたちは、その月匣の中、逃げるように、病院を後にした。



病院屋上:相沢祐一

「どうやら、名雪たちはうまくいったみたいだな」
「……はちみつくまさん」
「あはは〜、よかったですね」
「……本当によかった」

 舞が何かほっとした表情を浮かべて、そう呟いたとき、俺は、何かちょっとした違和感を感じた。

「舞、俺に何か隠してないか……?」
「……別に」

 明らかに眼を反らして言う舞。
……絶対隠してる。

「……吐け」
「あ、あはは〜、すいません。舞を責めないでください」

 俺の怒気をはらんだ声に、すかさず佐祐理さんがフォローした。

「実は佐祐理たちは、アンゼロットさんから別の依頼を受けていまして……」
「別の依頼?」
「はい。何事もなく名雪さんたちが魔王を倒せたらそれでよし、しかし失敗したときは……」
「……なるほどな、あいつが考えそうな事だ」

 舌打ちし、アンゼロットの計画を即座に理解する。
 つまり、アンゼロットは万が一、名雪たちが魔王を倒す事に失敗した場合、佐祐理さんと舞に、栞の暗殺を命じていたと言う事だ。
 相も変わらず……世界を救うために手段を選ばない奴だ。

「祐一。アンゼロットを責めちゃ駄目」
「ええ、佐祐理も思うところがないわけではありませんが、結果的に最初の手が上手くいったことは、ラッキーだと思いますよ」
「……祐一、仮にもしそうなったときも、アンゼロットの事は恨まないで」
「舞……」
「恨まれるのは私でいいから……」

 毅然と言い放つ舞。その言葉には少し俺も気圧される。

「……分かったよ。今回は上手くいったから互いに恨みっこなし。それでいいよな?」
「……ありがとう」
「ありがとうございます。祐一さん」
「じゃ、俺たちも帰るか」
「はちみつくまさん」
「祐一さん、久しぶりに佐祐理の“箒”に乗っていきませんか?」
「お、いいですね。乗せてもらいましょうか」
「あはは〜、祐一さんと二人乗りなんて、久しぶりですよ〜」
「……祐一、ずるい」
「怒るな怒るな。俺も魔力もプラーナもすっからかんで、結構しんどいんだよ」
「……でも、ずるい」
「あー、もー。分かったよ、今度、俺も何か“箒”を買うから、その時はタンデムシートも一緒に買って、お前を後ろに乗せてやる」
「……約束」
「おう、気長に待っててくれよ」

 そんな掛け合いをしながら、俺たちは空へと昇り、夜の闇の中へと消えていった。



Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


会澤祐一様への感想は掲示板へ。

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