栞の精神世界:美坂香里

 そこは、一面の荒野。
 空には、厚い雲が覆いかぶさり、太陽の光すら差さない。
 大地は枯れ、草木ももはや枯れ果てている。
 まさにここは……死の世界。

「栞……」

 こんな寂しい世界が……栞の心の中。
 今さらながら、あたしが姉としての不甲斐なさを痛感する。

「香里。ぼーっとしてる暇はないよ」

 名雪があたしの傍で囁く。

「それと……この世界、死のイメージで蔓延してるから……あまりわたしたちにも、いい影響を及ぼさないみたい」
「どういう……意味?」
「あうー、怖い……」

 すでに天野さんが連れてきた、真琴
――妖狐らしい――が、何かに怯えている。
 天野さんも北川君も、名雪も、額を抑えて、汗を浮かべている。
 何が、というのはすぐに飲み込んだ。なぜなら、すぐにその意味が分かったから。
 あたしの中で、強くイメージされた死のイメージ。鮮明で、そして無残で、孤独な……
 恐怖があたしを蝕んでいく。

「く……」

 あたしはその恐怖を必死に抑え込む。それだけで、激しく精神を消耗する。

「はあ、はあ、はあ……これは、一体……」
「うん。栞ちゃんの死の恐怖が、ダイレクトにわたし達に流れ込んで来るんだよ。早く元凶の元へたどり着かないと……」
「……急ぎましょう。下手をすると、栞さんの死と共に、私たちも同様の運命になるかもしれません」
「分かったわ……急ぎましょう」
「……どうも、そう簡単にはいかないっぽいぜ」

 北川君は、〈月衣〉から、槍を取り出し、構える。その視線の先には、見た目もグロテスクな、何かがいた。ぐよぐよと蠢く肉の塊のような、見ただけで嫌悪感を催す。
 こんなエミュレイター、見た事がない。

「な、何、あれ……?」
「……噂に聞いた事があります。新種のエミュレイターの存在……あれが冥魔、というやつでしょうか」
「あれが……そうだって言うの?」
「はっきりとそうとは分かりませんが……しかし、ようやく、栞さんの病気の正体も分かりましたよ。道理でいくら治療しても無駄なはずですね。精神に感染する病魔。通常の方法で治るはずがありません」
「あれが……栞の病原菌の正体?」
「おそらくは。ナタルが改良した精神に寄生するエミュレイターのウィルス、なのでしょうね」
「なんでもいい! あいつらぶちのめせば、栞ちゃんの病気も治るってことだろ!?」

 言うや否や、北川君が、肉の塊に槍を突き刺した。
 悲鳴も上げず、ぶしゅ、と汚らしい色の体液を撒き散らし、肉の塊はしぼんでいく。
 しかし、その撒き散らされた体液から、ぶくぶくと泡を立て、さらに新たな肉の塊が一気に複数体生まれる。

「な、な、なあ!」
「これは……キリがなさそうね! こいつらは無視して……どうすればいいの、名雪!?」
「うん! 栞ちゃんの心の中心点まで、一気に突っ走る! おそらく、ナタル=ウークもそこにいるはず!」
「しかし、この一面の荒野をどこへ向かっていけば……」
「あうー! それにいつまでもここにいると怖いよー!」
「大丈夫。ここは栞ちゃんの心の中。栞ちゃんが最も強く望んでいる人間――香里なら、方角がなんとなく分かるんじゃないかな?」
「え……あたし!?」
「うん、よーく神経を研ぎ澄ませて、栞ちゃんを感じてみて」

 言われるまま、あたしはじっと精神を集中させ、栞の位置をイメージする。
 プラーナを開放し、精神の集中を高める。
 そして、

『お姉ちゃん……』

 ……感じた!
 確かに栞の声!
 方角は……あっちか!

「みんな、ついて来て!! 栞は……おそらくあっちの方向にいる!」
「よし! 美坂、案内してくれ!」
「任せて!」

 あたしは感じるまま、栞のいるであろう方角に駆け出した。

「ウィザーズワンド!」

 名雪も愛用の“箒”を取り出し、それに乗りながら、準備を整えた。制服の上に羽織った……猫柄のマント。

「あ、相変わらずね、それ」
「お母さんが作ってくれたんだよ」
「そ、そう……」

 こんなナリでも、防具としては高い効果を発揮しているのだから恐ろしい。
 と言うか、初見の天野さんは、ちょっと引いてるわね。

「あ、あの、水瀬さんって普段から、あれで……?」
「まあ、ね……慣れれば普通よ」
「そ、そうですか……」
「さーて、あたしも準備しないといけないわね……ドラゴンブルーム!」

 あたしも愛用している“箒”ドラゴンブルームを〈月衣〉から取り出す。大きなトンファーのようなそれの一つに飛び乗り、飛行する。

「真琴、急ぎますよ!」
「あ、ま、待ってー!」

 やや出遅れた天野さんや真琴が駆け出す。

「おわー! ちょっと待ってくれ!」

 北川君も、遅れて駆け出してきた。

「みんな、急いで!」
「どうしたいのは山々ですが……」
「敵さんはそうさせてくれなさそうだぜ!」

 辺りを見回せば、肉の塊が、うじゃうじゃとこっちに寄って来る。
 一体一体はたいした事はないが、物量で押しつぶすつもりか!

「みんな、立ちふさがる化け物は無視して、一気に突っ切るわよ!」
「了解だよ!」

 あたしはドラゴンブルームの高度を上げ、立ちふさがる肉の壁を飛び越える。どうやら、奴らは空中に浮かぶような能力は持ち合わせてはいないらしい。それが僥倖だろう。
 名雪もあたしに続いて、それに倣う。

「あうー! 邪魔邪魔邪魔ー!」

 真琴は、逆に肉の塊に突っ込んでいく。
 まさか、一人で全部相手にするつもり!?
 しかし、そうではなかった。彼女は、全力で走りながらある魔法を唱え終えていた。

「バーストジャンプ!」

 真琴の魔法と共に、真琴は高くジャンプする。それは常人では出せない高さを見せ、肉の壁をあっさりと突っ切っていった。

「くうっ……」

 焦りの表情を見せるのは、天野さん。彼女は“箒”も、空を飛ぶための魔法も持ち合わせていない。となると、単身で肉の壁を突破する事になるのだが、一匹一匹は問題にならないとはいえ、一斉にまとわりつかれれば、無事ではいられない。

「ヴォーティカルカノン!」

 彼女の虚無の弾丸が、肉の壁の一部に穴を開けた、が、すぐに別の肉の塊がその開いた隙間を補う。
 焦りの表情を隠せない天野さん。

「おいおい、こんなの、わざわざ相手にしてやる必要なんてねえよ」
「き、北川さん。しかし……」
「フライト」

 北川君が、天野さんに飛行の呪文をかけてあげる。
 ふわりと宙に浮く、天野さんの身体。

「ささ、さっさと行った行った」
「しかし、北川さんは……!」
「だーいじょうぶだって。すぐに追いつく!」
「……失礼します!」

 天野さんも高度を上げて、肉の壁を飛び越えていった。

「北川君!」
「大丈夫だ! 急げ、美坂!」

 そういう北川君は、ぐるりと周囲を肉の壁に囲まれている。地上からの突破は……不可能に近い。
 そして、死のイメージは、絶え間なく、あたしたちを苛む。

「くう……」

 額に脂汗を浮かべつつ、あたしは北川君の無事を祈りながら、宙を舞った。



病院屋上:相沢祐一

 茜のガンナーズブルームが、確実に俺を狙い打つ。

「ぐうっ!」

 その一撃を耐え、俺は、

「フェザーウォーク!」

 移動力を上げる魔法で、一気に茜に肉薄する。茜は基本的に射撃に特化したウィザードだ。接近されれば、まともに戦う事は出来ない。

「……やはりこちらを狙ってきましたか」
「当然!」

 至極それが当たり前のように、茜は冷静に言う。
 そして俺は、剣を振るおうとした瞬間、
 瞬間的に割り込んできた留美によって、その剣を受け止められる。
 留美の魔剣が、激しい火花を散らして、俺の剣を受け止める。

「くううっ、なんて力よ!」

 力押しで負け、留美は軽く吹き飛ばされるが、すぐに体勢を立て直す。

「……やっぱり、あんた相手じゃまともな手では勝てないわよね」

 留美は、そう告げると、左手の親指と人差し指の付け根を、口に含む。
 そして、
 がり、といやな音を立てて、留美は付け根の部分を食いちぎった。血が滴り落ち、その血に染まった手で魔剣を握り締める。

「さあ、好きなだけあたしの血を吸いなさい。それであんたに……力をあげるわ」

 留美の刀に刻まれたルーン文字が赤く輝く。そして、その刀身も、赤く揺らぐオーラが溢れ出る。

「さあ、祐一、覚悟!」

 留美が剣を振りかぶり、俺に衝撃波を放つ。

「うおっ!」

 辛うじてかわしきったその衝撃波は、屋上のフェンスをぶち破った。
 その隙を突いて、茜は俺から素早く離脱し、照準をセットする。

「……覚悟」

 寸分違わず、茜の弾丸は、俺の胸を捉える。

「ちいっ、《幻想舞踏》!!」

 俺はその攻撃を受け流すためにプラーナの一部を開放する。そして、その銃弾がやたらとスローモーションで迫ってくるのを感じつつ、俺はそれを剣で弾く。目標を反れた弾丸は、貯水槽に突き刺さり、爆発と共に、辺りに水を撒き散らす。

「はあっ!!」

 俺は次の弾をセットしている茜は無視し、留美を迎撃する。攻撃に専念して、完全に隙だらけとなった彼女に、俺は遺産の力を解放する。

「食らえ、《草薙》!!」
「くっ!!」

 避けられない攻撃。そして、俺の攻撃は、留美の防御魔装も突き破り、留美の身体に深いダメージを与える。

「うぐっ……さ、さすがにやるわね……でも!」

 留美も折れることなく、俺に刀を振る。かわしきれず、俺もその剣によってかなりの深手を負う。
 ひざを折り、しかし俺は、剣を杖代わりにして立ち上がる。

「ぐ……やるじゃねえか」
「ふ……まだまだよ……」

 俺たちは再び攻撃準備を整える。
 茜のほうが一歩素早く行動を開始する。

「……《幻想舞踏》」

 その一撃は、さっきまでの一撃とは違う、プラーナを乗せた強力な一撃。
 やばい! これを食らったらさすがの俺も……
 と、次の瞬間、
 俺の間に誰かが割り込み、その銃弾の前に立つ。

「……《シールドフォーム》」

 その人物が、片手を突き出すと、突如虚空から出現した、うさ耳バンドをした小さな女の子が、両手でその銃弾を、見えない壁で阻んでいた。
 完全に勢いを殺された銃弾は、がらん、と音を立てて、地に落ちる。
 そして、俺を庇ったのは……

「……平気?」

 それは、あのロンギヌス制服に身を包んだ、舞の姿であった。

「舞……何でお前が……」
「あはは〜、佐祐理もいますよ〜」

 その声は、空の上から聞こえてきた。屈託のない微笑をこっちに浮かべながら手を振る佐祐理さん。

「……手伝いに来た」
「……おい、いいのか? お前も動くな、って言われてるんだろ?」
「……事態がこうなった以上、私たちも行動するのは当然」
「そういうことです。佐祐理たちも、祐一さんに加勢しますよ〜」

 佐祐理さんは、手に黒い闇の槍を生み出し、狙いを定める。

3
2、ですか。厄介ですね」
「……違う」
「!?」

 今度は別の声が響く。
 上空からの砲撃が、俺を穿つ。

「くっ」

 その一撃に、耐え切れず、俺はひざを折る。

「だ、誰だ……」

 その声に答えはない、が、

「あ、貴方は……」
「緋室さん……」

 佐祐理さんと、留美の声が、重なる。
 そして、その視線の重なる先には……
 緋室灯。絶滅社の中でも有数の実力を持ったエージェントであり、俺と同じくマジカルウォーフェアを戦い抜いた歴戦のウィザード。
 彼女は、愛用のガンナーズブルームに腰を乗せ、ゆっくりと高度を落としながら、俺の前に降り立った。

「相沢祐一。これ以上怪我をしたくなかったら、手を引いて」
「緋室……灯か……」
「もう一度言う。手を引いて。さもなければ……」
「へ……」

 俺は灯の警告を無視して立ち上がる。
 そして、なけなしの魔力を使って、

「ヒール」

 淡く輝く光が、俺の体を優しく覆い、傷を癒す。すずめの涙程度だが、少しはましに動けるようになった。

「悪いが……断る」
「……なぜそこまでして、立ち上がるの?」
「それが……俺が正しいと信じた道だからだよ!」

 俺は剣を構えて、戦いの意思表示を見せる。

「…………」

 その様子を見て、灯は何かを考え込むように、俺を見つめた。
 そして、
 灯は茜と留美に向かってつぶやいた。

「……退いて」
「……え?」
「な、なんでですか、灯さん」
「この
3人は、私一人で相手をする」
「……本気、ですか?」
「相沢祐一の信じる道というものがどれほどのものか、興味あるから。それに……」

 灯は俺と舞、佐祐理さんを順々に見つめる。

「貴方たち二人では、この3人を相手取るのには力不足」
「…………」
「う……」

 茜は冷静に事実を受け止め、留美も薄々感じていた事を指摘されてうめき声を上げる。

「……了解しました。七瀬さん、撤退の準備を」
「え、ええ、分かったわよ。祐一、後でもう一度あたしと戦いなさいよ!」

 茜は何も語らずに背を向け、留美は去り際に俺を指差して、そう告げた後、身を翻して、去っていった。
 おそらく、月匣の外には、あらかじめ用意されているポータルの魔法陣があるのだろう。
 二人が完全に見えなくなったところで、灯は俺に語りかける。

「相沢祐一。貴方はあの男によく似ている」
「……柊さんのことか? そりゃ、嬉しいね。ああいうウィザードになりたいと思ったからこそ、俺はここにいる」
「二人揃ってアンゼロットの玩具というところも、よく似ている」
「そこは似せなくていい!!」

 精一杯のツッコミを返す。

「だから……相沢祐一、貴方の言う、大のために小を切り捨てないと言う覚悟……見せてもらう」
「……上等!」

 俺は力を振り絞って、剣を構えなおす。

「舞、佐祐理さん。悪いけど、ここは俺ひとりでやらせてもらっていいか?」
「……祐一がそう言うなら」
「仕方ありませんね。佐祐理たちは傍観していましょう」

 その返事を聞き届け、俺は灯と向き合う。
 全身に、プラーナを限界まで駆け巡らせる。
 一方、灯も俺と同じく、プラーナを限界まで燃やし、その身体が黄金に輝く。
 ならば、

「我が遺産よ、真の力を見せよ!」
「!?」

 灯の驚愕の表情。
 その宣言と同時に、俺の相棒が更なる輝きを増す。

「まだまだ! 《ブーストダッシュ》!!」

 その宣言と同時に、俺の身体は、急に軽くなる。
 先手を取る事に成功した俺は、灯に接近する。
 しかし、攻撃はまだ!
 俺はプラーナを、魔力に転換し、最後の決めへの布石を準備する。
 その隙を逃さずに、灯は俺に零距離からの射撃を放つ。

「ぐうっ!!」

 その攻撃を、プラーナを開放しながら、耐え切る。
 そして、残ったプラーナと魔力をつぎ込み、

「《リミットブレイク》!!」
「な……」

 俺の身体から、爆発的な力があふれ出す!
 そして、その力の片鱗に触れた灯が、驚愕の声を漏らす。

「おおおおおおおっ!!」

 俺の剣が輝き、遺産の力をフルに乗せた全力の一撃。

「《幻想舞踏》……」

 その一撃を、灯はガンナーズブルームで迎撃し、反らそうとするが、

「《幻想舞踏》!」

 俺もまた、飛び交う弾丸の軌道を無理やり潜り抜け、その一撃は吸い込まれるかのように、灯の身体を捉える。

「まだまだ! さらに《幻想舞踏》!」
「……っ!」

 俺の攻撃が、さらに常人のそれを超える。そして、灯の弱点を的確に捉えたその一撃が、決まった。

「…………っ」

 声にならない悲鳴をあげ、吹き飛んでいく灯。その身体は軽く宙を舞って、アスファルトに無様に落ちる寸前に受身を取る、が、それが限界だったようで、灯はひざを屈して、立ち上がれない。

「ぜはあ、はあ、はあ……どうだ!」
「……大した、もの……」

 灯はよろよろと立ち上がり、たたらを踏む。

「でも、そっちももう限界……」
「……否定はしない」

 その台詞に、俺も苦笑で返す。
 俺の相棒は、真の力を解放した反動で、色がくすみ、所々がさび付き、もはや武器としては機能しなくなってしまった。こうなると、回復するまでに、かなりの時間を要する。
 それに、俺自身の魔力も、プラーナも、ほぼ、すっからかん。
 しかし、戦う意思はまだ捨てない。

「まだ続けるか……?」
「……お互いに戦う力が残ってない以上、これ以上戦うのは無意味。それに、この場で貴方を倒しても、残りの二人を相手取るのは、困難」

 淡々と告げるその口には、いささかの感情も読み取れなかった。
 が、
 その羨望にも近い視線は、俺を捉え、離そうとしない。
 そして、彼女ガンナーズブルームを飛行形態に切り替え、その身を腰掛ける。ふわりと宙に浮かぶガンナーズブルーム。

「撤収する」
「待ってくれ。あんたから見て、俺は柊さんのような人間になれそうか?」
「……それを決めるのは、私じゃない」

 それだけ告げると、灯は紅い月の昇る空へと消えていった。

「はー……」

 それを見届けると、俺はアスファルトの上にごろん、と寝転がる。

「祐一、大丈夫?」
「祐一さん、治療を……」
「悪い……」

 舞と佐祐理さんが、魔法で俺を治療してくれる中、俺はポツリとつぶやいた。

「後は任せたぞ……名雪、北川」



栞の精神世界:美坂香里

肉の塊が、ひしめき合い、一つの壁となっていた。それがドーナツのように、ある中心を開けて、完全に逃げられないように密集していた。

「北川君……」
「私にフライトの魔法をかけてから……一人で」
「く……」

 急いで北川君を救出しようとUターンしようとした時、

「待って!!」

 名雪がある一点を指差す。それは肉の壁の中心点。その中から、勢いよく飛び出してきたのは……

「ひゅー……やばかったー……」

 冷や汗をかきながら、槍を構えた北川君の姿。しかし、その制服には、酸のような何かによって融解させられた跡があり、彼自身も、軽いやけどを負っている。

「いやー、さすがにどうなるかと思ったけど、案外どうにかなるもんだなー」

 軽い口調で言う北川君だが、その傷は決して浅いものではない。

「北川君、今治すよ」
「ああ、待った待った。ここで魔法を使って消耗しても仕方ないからな」

 北川君は、〈月衣〉から、青い色のポーションを取り出し、一息に飲み干す。

「…………うぐっ」

 突然、北川君が、胸をかきむしる。まずい! 稀にポーションの類でも、傷を治すのではなく、逆に痛めつける事があると聞いた事はあるけど……

「ちょ、北川く……」
「なーんて、うっそぴょーん」

 軽く舌を出して、けろっとした表情を見せる北川君。
 あっけに取られたのは一瞬、しかし次に湧き上がってくるのは、怒り。

「そういうジョークをかましてる場合かー!!」
「がはあっ」

 あたしの鉄拳が北川君の顔にめり込んだ。

「美坂さん、漫才はその辺で。どうやら敵は、真琴を標的にしたみたいです」
「え……」
「あうー! こっちに寄って来ないでよー!」

 肉の壁は、狙っていた目標が空へと逃げ飛んでしまい、唯一地上で走り回って逃げている真琴を追いかけていた。壁の一部が、ぴゅっと、汚らしい液体を放つのを、背中越しに感じた真琴は、紙一重でそれをかわす。液体がかかり、しゅわっ、と音を立てて溶ける地面。

「真琴! 全速力です!」
「分かってるわよぅ! フェザーウォーク!」

 全力で走り出す真琴は、さらに加速を促す魔法で、走りを止めない。
 肉の壁も、追いすがろうとするが、その速さに、徐々に引き離されていく。

「……この調子なら大丈夫そうね。みんな、一気に行くわよ!」
「「「了解!」」」

 あたしは再び精神を集中させて、栞の意識を感じ取る。

『痛い……苦しい……助けて……』

 弱々しく、痛々しい叫びが、確実にあたしの意識に流れ込む。

「……こっちから」

 その意識を感じた方角に視線を向け、全速力で飛ぶ。
 その後を追う北川君たち。
 地上では、肉の壁と、真琴の追いかけっこが続いている。真琴も、あたしたちの飛んでいく方角目掛け、走りを止めない。
 そして、繰り返し苛む死のイメージに、あたしはじっとりと汗を額に浮かべながら、栞の意識がだんだんと強くなっていく方向へと飛んでいく。

『助けて……お姉ちゃん……』
「栞……」
「香里! 見て! あそこ!」

 あたしは名雪の指差す方角を見る。
 そこはこんもりと積み上げられた丘の上。
 烏の群れが舞い、不吉に鳴き声を上げている。
 そして、丘の頂上には、巨大な十字架が突き刺さっていた。
 そして、それに磔にされているのは……
 紛れもなくあたしの妹、栞の姿だった。

「栞!!」

 あたしは全速力で栞の元へと向かう。
 栞のそばに立つのは山羊頭の醜悪なデーモン二体。
 栞の死の瞬間までを見守る番人……いや、処刑人か!

「みんな、あいつらを潰すわよ!」
「言われなくとも」
「了解だよ!」

 デーモンたちも、あたしたちの姿を認識し、その身体を宙へ浮かべる。
 あたしたちは、臨戦態勢を整え、デーモンの襲撃に備える。
 名雪は風の刃をその手に生み出し、天野さんも、片手に赤羽家特製の破魔弓を番え、虚無の弾丸を生み出す。

「おおおおっ!」

 雄たけびを上げながら、デーモンの一体に突っ込んでいく北川君。

「っらあ!!」

 槍の一撃が、デーモンの腹を突き抜け、串刺しにする。
 苦悶の絶叫を上げるデーモン。
 しかし、次の瞬間、串刺しにされたデーモンの身体は掻き消え、あたしたちの真後ろに現れる。
 しまった! テレポートの魔法か!
 迎撃に回ろうとするあたしと、デーモンの闇の刃が交錯する。放たれた闇の刃の餌食となったのは、天野さん。しかし、

「ダークバリア」

 天野さんの呪文で、天野さんの用意した一枚の符が燃え、代わって闇の球体が天野さんの真正面に出現し、闇の刃を残らず飲み込む。
 動揺するデーモンに、躊躇のない、あたしのドラゴンブルームの一撃が決まる。さっきのダメージと重なって、デーモンはその身体を砕け散らす。その身体は、魔石となり、崩れ落ちて地に落ちていく。
 しかし、もう一体のデーモンが、北川君に闇の刃を投げつける。北川君は、焦ることなくその一撃を、槍で受け流す。
 ダメージを与える事すらままならず、動揺するデーモン。その隙を逃さず、

「ヴォーティカルカノン」
「サイクロンカッター!」
「おらあっ!!」

 天野さんと名雪の魔法、そして、北川君の槍の一撃で、デーモンは完全消滅した。
 これで邪魔者は……消えた。

「栞いいいい!」

 高度を落として、あたしは栞の元へと降りていく。
 それに続く名雪たち。
 しかし、高度を落とすにつれ、名雪は、あることに気が付いた。

「あの栞ちゃん……心が死に掛けてる……」
「どういうことですか?」
「絶望、苦痛、諦観……今の栞ちゃんはそんな感情で満ちてる。今のままじゃ……栞ちゃんの絶望の声だけ届いても、外からの香里の声は届かない……」
「そんな……」

 あたしは地に降り立ち、十字架の栞に必死に呼びかける。
 しかし、死人のように目を閉ざし、その身体を鎖でがんじがらめになった妹に、あたしの言葉は届かない。
 遅かったの、か……
 あたしは膝をつき、涙をこぼす。
 しかし、

「まだだよ」

 名雪の強い言葉に、はっとなる。

「今、栞ちゃんを縛っている鎖は、絶望や苦痛。でも、それらを取り払えば……香里の声は絶対に届くよ」
「……本当?」
「あうー! やっと追いついたー!」

 名雪が語りかけているとき、真琴が息を切らしながら、あたしたちの元へと到着する。

「真琴、あの肉の塊たちは?」
「大丈夫。振り切ってきたよ」
「ふふ、がんばりましたね、真琴」

 天野さんが真琴の頭をなでる。

「あうー……」

 それを気持ちよさそうに感受する真琴。
 一通りなで終えると、天野さんは、名雪に向かって言う。

「話の腰を折ってすみません。どうすれば……栞さんに、美坂さんの声が届くようになりますか?」
「簡単だよ。絶望の根源そのものを取り払ってしまう事。そうすれば……」
「困りますねえ」
「「「「「!!?」」」」」
「せっかくの実験台を逃がしてもらっては」

 あたしたち以外の声が、唐突に後ろから聞こえた。
 振り返り、その姿を見ると、そこには、白衣を着た、いかにも高圧的なイメージの女医が、二人の助手らしき男を連れて立っていた。

「て、てめえ……」
「ああ、そこの男の子には、一度会ってますね。よもや、こんなところでお会いする事になろうとは……」
「あなたが……栞を苦しめてる元凶ね……」

 怒りに満ちた声と目で、女医――いや、魔王ナタル=ウークを睨みつけるが、ナタルは涼しい顔でその睨みを受け止めた。

「苦しめているとは人聞きの悪い事を。そもそも、彼女を苦しめていたのは、貴方自身ではなくて?」
「な……」
「病に倒れ、死に行く姿を見ながらも、その苦しみを分かち合うどころか、その苦しむ姿から逃げ、あまつさえ、殺そうとしたのは、どこの誰でしょうね?」
「く……」

 あたしはその答えに、二の句が告げず、押し黙るしかない。

「まあ、私としてはどっちでも構いはしなかったのですよ。彼女が私の病気で死のうが、貴方たち人間の手で殺されようが、ね」
「どういう、意味?」

 名雪が珍しく怒りを露にした声で、問い詰める。

「実のところ、彼女の裁定者としての能力はとても魅力的ですが、別にその辺が失敗しても構いはしなかったのですよ。私はただ、この新しく作り出したウィルスを試してみたかっただけ」

 ナタルはそう言うと、手のひらに、あの肉の塊を生み出す。

「貴方がた人間が冥魔と呼ぶ存在……これを利用して、新しい病を作り出す。それが人間にどんな効果を発揮するのか……それを調べ上げるのが今回の目的でしたのよ。この子の能力で『治らない』病になれば最高でしたけど」
「あ、貴方という方は……」

 天野さんも怒りの声をぶつける。

「まあ、せっかくここまで来たのです。手ぶらで返すのもつまらないですし……私の病の洗礼を味わっていきなさい」

 ぶわりと。ナタルの白衣が揺れ、足元から黒い染みのようなものが湧き出す。そして、手には、毒々しい色の槍が握られる。
 加えて、後ろの助手も、その姿を変化させ、その姿を、さっきのデーモンそのものへと変化させた。

「……確かに、あたしは一度この子を見限った。病気で苦しんでる姿を見ているのが辛くて、いつかあたし自身が手を下すかもしれないと言う事実が……怖かったから」
「香里……」
「だけど……」

 ふー、と息を吐き出し、覚悟の意思を決める。

「あたしは……今度は逃げない! 貴方を倒して、栞も、世界も救う!!」
「香里、手伝うよ! こんな悪い夢を見せる魔王、絶対に許せない!」
「美坂ぁ、俺もいるのを忘れんなよ!! 栞ちゃんを、返してもらうぜ!」
「久しぶりの、狩り甲斐のある獲物ね! うずうずするわよぅ!」
「これ以上貴方をこのまま野放しにすることは出来ません。裏界に……還りなさい」
「ふ……馬鹿なウィザード共。我が病に屈しなさい!!」

 そして。
 栞を巡る最後の戦いが、幕を開けた。



Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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