輝明学園教室:美坂香里

 放課後、日が沈みかけ、黄昏の赤い色が教室を塗り上げる。
 あたしは一人、何をするでもなく、ずっと一人たたずむ。
 そこに、
0-PHONEの着信音。どうやら、誰かからのメールらしい。
 メールの宛名は、名雪になっている。

『大事な話があるから、教室で待ってて』

「…………」

 名雪が大事な話?
 何の事か?
 返信で、話の内容を聞いてみる。
 その返信はなかった。

「何なのよ、一体……」

 苛立たしげに独り言がもれる。
 あたしには、名雪の話を聞けるほど余裕がない。
 ……何しろ、栞のことで頭が一杯だったから。
 組織の命令と、栞の命。どちらを天秤にかけろなんて、出来るわけがない。
 ……そういえば天野さんが、何かを調べていたところだが、どうせ何も出てこない。
 組織の力を使っても、何も分からなかったのだから。
 ……今さら、何が分かるのかと……
 悲観的に考えていたとき、また、名雪からのメール。

『一緒に栞ちゃんを助けよう?』

「!!」

 どうして、名雪が栞の事を……!!
 そう思う間に、

「ごめん、驚かせちゃったかな?」

 教室のドアが開き、片手に
0-PHONEを握り締めた名雪が、苦笑しながら、入ってきた。
 名雪は、パチン、と
0-PHONEを閉じ、こちらに向かって歩いてくる。

「名雪、どうして栞の事……」
「天野さんから聞いたんだよ。正確には聞かされた、かな?」

 道理で……
 納得しかかったとき、どうして天野さんが名雪にそのことを話したのか、疑問が浮かぶ。

「わたしね、天野さんたちと協力する事にしたよ。魔王を倒して、栞ちゃんを助ける。そうすれば、香里も苦しまなくてすむでしょ?」
「……バカ言わないで。そんな方法、あるわけ……」
「天野さんが見つけてくれたんだ。栞ちゃんを助ける方法。そのためには、わたしの力が要るんだって」
「…………嘘よ」

 苦し紛れに出た台詞がこれとは……
 我ながら情けない。

「本当だよ。それとも、わたしが信じられない?」
「…………」

 あたしは、名雪から視線をはずす。

「わたしの目を見て、言って、香里」

 毅然とした声で、あたしに言う名雪。

「……んでよ」
「? 香里?」
「なんでそこまでして、あたしのために……」
「だって、香里はわたしの親友だよ?」
「…………」
「親友が困ってるから助けたいと思う、それってそんなに不自然かな? それとも、香里は、わたしのこと、友達じゃないと思ってたの?」

 寂しげな声で聞く名雪。

「そんなこと……ない」

 蚊の鳴くような声で返すあたし。

「でも……だから話せなかった。そんなことしたら、貴方が友達じゃなくりそうで……怖かった……世界のために、妹を殺そうとする姉なんて、最低でしょ?」
「どうして?」
「…………」
「わたしは、香里が悩んで、苦しんで、それであがいてあがいて、あがき続けて、それでもそうするしかなかった、って出した結論なら、仕方なかったねと言って、一緒に泣いてあげられるよ。でも、香里が何も努力しないで、諦めて出した結論だったら、わたしはもう香里の友達じゃいられない」
「……なゆ、き」
「香里は……もう諦めちゃったの? 栞ちゃんを……助ける事」
「…………」

 あたしはかぶりを振る。
 一縷の望みがあるのなら助けたい。
 でもそんな方法もなくて、刻一刻と迫っていく時間と病の進行。
 それが……あたしの心を鈍らせていただけ。

「じゃあ、わたしと……わたしたちと栞ちゃんを助けるのを、手伝ってくれる?」
「……教えて。どうするつもりなの?」
「栞ちゃんの精神世界に乗り込む。わたしなら、それが出来るよ。そして、憑依している魔王を……倒す」
「……それを、天野さんが調べてきたの?」
「うん。もちろん、これは賭けに等しいことだよ。でも、成功すれば……世界も、栞ちゃんも助けられる」
「どうやって……調べたの? そんな方法、絶滅社では見つけられなかった……」
「わたしはよく知らないけど、赤羽くれはさんって人の手を借りたみたい」

 そう、か。
 確かにあの赤羽家なら、絶滅社も知らない秘蔵の資料が保管されていてもおかしくない。
 あたしも、おそらく絶滅社も、完全に盲点だった……

「香里、もう一度聞くよ? 栞ちゃんを……助けたい?」

 真摯な目であたしを見つめ、問いかける名雪。
 その目から離す事が出来ない。
 自然と、あたしの目から、涙が零れ落ちる。

「……けたい」
「聞こえないよ。香里」
「助け……たい。あたしの妹も、世界も……助けたい……」
「うん、そうだね。わたしも北川君もいる。だから、一緒に、がんばろ?」

 名雪は優しく言い、あたしの身体をぎゅっと抱きしめた。
 そしてあたしは、
 その胸の中で、久しぶりに大きな声で、泣いた。



輝明学園廊下:北川潤

「いやいや、ここで待ってろ、って言うから、待っててやったけど……なかなか熱いこと言うじゃん、水瀬」
「……覗き見とは趣味があまりよくないですね」
「そう言うなって。俺だって美坂の事は心配だったんだぜ?」
「……貴方の認識が、この数時間で決まりそうですよ」
「そう? いい方向に?」
「どう捉えたらそんな風に考えられるんでしょうね」

 美汐ちゃんは、はあ、と呆れ返ったようなため息を漏らした。
 と、俺の
0-PHONEの着信音。メールのようだが、発信者は……相沢?
 何だ、と思い、俺はメールの内容を確認する。

『栞の主治医、卯月夏美に気をつけろ』

「……なんだこりゃ?」
「どうしました? 北川さん」
「いや、相沢のメールなんだけど……」
「失礼していいですか?」
「ほい」

 俺の
0-PHONE を、美汐ちゃんに手渡し、メールの内容を読ませる。

「……北川さんは、この卯月夏美という方にお会いした事は?」
「……あーあー、あん時の女医さんか。栞ちゃんの主治医って言ってたけど……」
「その事を、美坂さんはご存知なのでしょうか?」
「そういや、そうだな。よし、聞いてみよう」
「え? ええ? ちょ……」
「おーい、美坂ー!」

 俺は遠慮なしに美坂の教室に入っていく。水瀬の胸の中で泣いていた美坂は、俺の存在を確認すると、ばっと水瀬から離れる。
 別に恥ずかしがる事でもないと思うのになー。

「き、北川君!? いつからそこに!?」
「ん? さっきからずっといたけど?」
「……どこまで聞いてた?」
「いやー、ほとんど丸聞こえぐわはぁっ!!」

 美坂の文字通りの鉄拳が、俺の顔にめり込んだ。

「わ、忘れなさい! 今すぐ忘れなさい!!」

 美坂は、顔を真っ赤に染めて、倒れ伏した俺に、机を振り下ろす。

「がはっ、ごぶっ、ぐえへっ」

 容赦のない打撃に為す術もなく、殴られる。

「美坂さん、その辺で。北川さんに非があるとはいえ、さすがにやりすぎです」

 そんな俺を、哀れんだのか、美汐ちゃんが止めに入ってくれた。
 ありがとう、美汐ちゃん。今の君は、天使に見えるぜ。

「一応、こんな人でも、貴重な戦力としてカウントしていますので、ここで無駄に怪我をさせるわけにはいきませんから」

 ……随分非情な天使でした。

「そ、それで、美坂……ちょっと……聞きたいんだが……いいか?」
「はあ、はあ、何……?」
「……お前、卯月夏美って医者、知ってるか?」
「……誰、その人?」

 美坂の顔がきょとんとなる。
 ……あれ?

「……知らないのか? 栞ちゃんの、主治医って聞いたけど?」
「そんなはずないわ。だって、絶滅社も、あらゆるウィザードを投入して治せなかった病気よ。今さら主治医をつける必要なんてないわ」

 その台詞に、美汐ちゃんも、水瀬も、顔色が変わっていく。そして、美坂も。

「その医者、卯月夏美って言ったわね……何処で会ったの?」
「一回だけ。昨日相沢と一緒に栞ちゃんに会いに行った時」
「……怪しいね」
「ええ。ほぼ十中八九」

 険しい表情で意見を述べる水瀬と美汐ちゃん。

「つーことは……その卯月夏美ってやつが……」
「おそらくこの世界に現界している現し身でしょう。本体は裏界でしょうが、大部分の力を、栞さんの精神世界につぎ込んでいると思われます」
「香里」
「ええ、もう迷ってる暇はないわ。急いで……」

 その時。
 美坂の
0-PHONEが鳴った。

「……はい」
『美坂。貴様が目を離している隙に、対象
Sが昏睡状態に陥った』
「……!?」

 この静かな教室で、向こう側の電話の主、絶滅社のエージェントが、宣告した。

『急ぎ、対象
Sを抹消し、世界の危機を……』
「……お断りします」
『……何?』
「私は私なりのやり方で、世界も、栞も守ります。その命令は、聞けません」
『貴様、何を言っている!? 
Sの存在がどれほど危険なものか……』
「知っています。知らないわけがないでしょう。血の繋がった、実の妹なのですから」

 電話越しから、向こうの狼狽が伺える。

「ですが、私は私なりに、栞も世界も救う手段を見つけました。貴方たちの命令を聞く意味は、もうありません」
『貴様、組織を裏切るのか!? リスクの高い手段を選んで、世界を破滅させたいのか!?』
「どちらにせよ、栞一人を殺しても、病の収束は現状、不可能でしょう。ならば、栞が『治る』常識を作り出す手段を……選びます。これより、私は貴方がたの命令は聞きません。ああ、そうでした。父と母に言っておいて下さい。私は貴方たちの薬がなくてもウィザードとしてやっていけるから安心して、と」
『おい、貴様、待て……』

 美坂は、言うだけ、言い終えると、通話を切り、そして、
0-PHONEを地に落とし、ぐしゃりと踏みつけた。

「……時間がないわ。急ぎましょう。栞が昏睡状態になったそうよ」
「うん! 早くしないと……世界も栞ちゃんも……!」
「善は急げ、ってか?」
「その前に、ちょっと失礼します」

 美汐ちゃんは、
0-PHONEを取り出して、誰かに電話をする。

「……真琴、狩りの時間ですよ。すぐに準備なさい……ええ、存分に暴れていいですよ」
「美汐ちゃん、今のって……」
「真琴も連れて行きます。あの子も戦力としては十分でしょう」
「オッケー。それじゃ、行くぜ!」
「何で貴方が仕切んのよ……」

 美坂が頭を抱えて呻いた。



病院屋上:???

「はー、ったく、こういう仕事を、こっちに回してくんなっつーの」
「仕方ないでしょう。仕事を任された当人が、それを放棄したのですから」
「……気が乗らないわね。あたしたちと同じくらいの……しかも病人の命を奪え、だなんてさ」

 青い髪をツインテールにまとめた少女が、ため息交じりに嫌悪感を露にした声でつぶやいた。
 打って変わり、隣に立つ金の髪をお下げにした少女は無表情。

「……それが世界のためなのなら止むを得ないでしょう」
「あんたは簡単にそんな風に割り切れるのね、茜」
「七瀬さんはそうではないと?」
「当たり前でしょうが! あたしはそんな風に割り切れるほど、年も食ってないし、心を捨ててもいないのよ! 少しは葛藤ぐらいするわ! あんたと違って!」
「……私はとうにに人の心なんて、忘れました。あの雨の日に」
「嘘ね。あんたは、忘れた振りしてるだけ」
「…………」

 それっきり、黙り込んでしまった茜と呼ばれた少女。七瀬と呼ばれた少女は、その様子を見て、しまった、と言う顔をした。

「時間がありません。七瀬さん、月匣を」
「はいはい」

 ため息交じりに、七瀬は月匣を展開する。そして、彼女たちの世界は、煌々と輝く紅い月の世界を作り上げた。
 茜は月匣の展開を確認すると、

「出なさい、ガンナーズブルーム」

 自らの〈月衣〉から、無骨な砲台のような銃器を取り出した。砲身には、魔術的な紋様が刻まれている。これぞ、アンブラ社の開発した射撃搭乗型“箒”ガンナーズブルーム。
 茜は、見るからに重たそうなそれを軽々と持ち上げる。

「はあ……」

 七瀬も、〈月衣〉から、一振りの刀を取り出す。それには刀身に、びっしりとルーン文字が刻まれ、柄の先には、きらりと輝くエメラルドグリーンの宝玉が埋め込まれていた。

「任務開始です」
「はいはい」
「ちょっと待ちな」
「「!?」」

 その男の声は、自分たちの遥か上から聞こえてきた。聞き覚えのあるその声に、驚愕を禁じえず、振り返る。
 その人物は、巨大な青銅の剣で、肩をとんとんと叩きながら、空に浮かんでいた。

「貴方……祐一」
「なんで、あんたがここに……」
「よう、久しぶりだな、茜、留美」

 男――相沢祐一は気軽な口調で二人に、再会の挨拶をする。高度を落とし、屋上のアスファルトに足をつける。

「突然の転校でうやむやになっちまったが、まあ、俺、この三学期からこっちに通ってるんで、よろしく」
「……何をしに来たのですか、祐一」
「何、お前らのやろうとしてることを止めようと思って来たんだよ」
「ちょ、本気で言ってる!?」
「ああ、お前らには俺の夢は言ったよな? 大を救うために小を切り捨てないウィザードになるってな。俺は今回、アンゼロットからの制約のせいで、おおっぴらには動けない。が、お前らを止めるくらいなら……出来る。お前らに栞は殺させない」
「……それが世界の危機を招く事になっても、ですか?」
「ならないさ」

 祐一がきっぱりと言い放った。

「俺のダチと従姉妹、それとその仲間が、今頃、魔王の陰謀を打ち破ろうとしてるだろうからな。余計な茶々入れは勘弁してもらおうか」
「……出来ない相談ですね」
「……相変わらず、任務に忠実な奴だな、茜」
「それが、私に残された、唯一生きる道ですから。例え貴方相手であったとしても、退くわけにいきません」

 茜は、それ以上語る必要はないと、ガンナーズブルームの照準を、祐一に向ける。

「留美、お前はどうなんだ?」
「……任務云々は、あんたが出てきた瞬間、もうどうでもよくなったわ」
「おいおい……お前、ほんとに絶滅社のエージェントかよ?」
「あたしは一回、あんたと本気で剣を交えてみたかった。きっかけは任務だったけど……こんなおいしい機会、逃せるわけないじゃない!」

 留美もまた、刀の切っ先を、祐一に向ける。その目は、さっきまでの覇気のない目が一転し、獲物を狩る獅子のような目つきに変わった。

「はあ……説得できれば御の字だと思ったんだが……やっぱりこうなるかよ」

 祐一はがりがりと頭をかいて、ため息を漏らした。
 そして、祐一もまた、遺産・天叢雲剣を構えて、二人と対峙する。

「祐一。まさか、私たち二人を、たった一人で倒すつもりですか?」
「まさか」

 茜の問いかけに、祐一は笑って返す。

「だって、俺は別にお前らを倒す必要はないんだからな」
「……どういう意味?」
「俺の勝利条件は、名雪たちが無事、栞を助け出す事」

 きっぱりと言い切り、祐一はにやりと笑った。

「せいぜい、足止めに付き合ってもらうぜ」



病院入り口:水瀬名雪

「誰かが月匣を展開した!?」
「まずい! もう絶滅社が他のエージェントを送り込んできたんだわ!」
「急ぎますよ!」
「あうー!」

 わたしたちは駆け足で病院へと突入する。
 咎める人なんて誰もいない。
 ロビーを駆け抜け、運良く降りていたエレベーターに乗り込んで、栞ちゃんの病室へ向かう。

「栞ちゃんの病室は!?」
「確か5階の……一番奥の個室!」
「了解!」

 わたしは5階のボタンをプッシュ。
 エレベーターが閉じ、ぐんぐんとフロアを示すランプが、『5』の字に近づき、そして、『5』のランプが灯る。

「急げ!」

 エレベーターが開ききったと同時に、駆け出すわたしたち。

「栞ちゃんの病室は……」
「こっち!」

 香里の先導で、栞ちゃんの病室へと向かう。
 と、
 わたしたちのはるか上の階から、銃声と剣同士がぶつかる金属音が、響き渡ってきた。

「誰かが……戦ってる?」
「相沢だ! きっとエージェントの連中を足止めしてくれてるんだ!」
「祐一……急ごう、みんな!」
「ええ!」
「おう!」
「はい」
「あうー!」

 香里がこっち、と案内された方向に、それは確かにあった。
 ドアノブにかけられた『面会謝絶』の札。
 その個室の主は……『美坂栞』。
 ノブに手をかけた瞬間、すぐに鍵が掛かっている事が分かる。

「……駄目、開かない!」
「参りましたね……ノックの魔法は心得がありません」
「んなのいらねえ。ぶち破る!」

 北川君はドアに向かって、渾身の蹴りを放つ。
 その衝撃に耐え切れず、ドアはわずかな破砕音と共に、こじ開けられた。
 そして、
 その先には、ベッドに寝かされ、呼吸器をつけ、昏々と眠る栞ちゃんの姿があった。
 呼吸器は、息が荒々しいが、まだ栞ちゃんが生きている事を示していた。

「栞!」

 香里が駆け寄るが、反応はない。

「香里、落ち着いて。これからが始まりだよ」
「……ええ」

 わたしは栞ちゃんのベッドにみんなを集める。

「一応説明するよ。これからわたしたちは、栞ちゃんの精神世界へ潜りこむ。でも、精神世界といっても、現実とほとんど変わらない。傷を負えば現実でも怪我をするし、死ねば、現実でも死ぬ。それでも、いい?」
「そんなの……とっくに覚悟は決まってるわ」
「今さら説明は不要です。ここにいる全員、その程度の事、承知で来ています」
「当たり前よぅ。真琴だって、いつだって狩られる覚悟はしてるわよぅ」
「うだうだ説明してる時間も惜しい。水瀬、やっちまえ」
「……うん! いくよ」

 わたしは、栞ちゃんの額にそっと手を当てる。
 目を閉じて、精神を集中させ、栞ちゃんの精神と同調する。
 そして、

「……《夢語り》」

 わたしたちは、栞ちゃんの精神世界へと潜りこんだ。



Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


会澤祐一様への感想は掲示板へ。

戻る  掲示板