天野神社書庫:天野美汐

 私は、天野家が独自に代々書き記したエミュレイターとの戦いの記録を保管した蔵の中を引っ掻き回し、栞さんを苦しめる魔王の記録を探す。
 が、やはり芳しい結果は得られない。

「病をもたらす魔王、ですか……」

 私が真っ先に思い浮かんだのは、“告発者”ファルファルロウの名前。
 しかし、私は今回の件に関しては、どうしても彼女の仕業とは考えにくかった。
 彼女は悪評をばら撒くことで人心を惑わすことを得意とする。そして、時に彼女は新たな病気をもたらすこともあると聞くが、今回の件では、直感でしかないが、おそらくもっと直接的に、病に関係してくる魔王の仕業ではないかと考えている。

「新たな疫病をもたらすことに特化した魔王の存在……私にはよくわかりませんね……」

 少なくとも、私の書庫では、そんな魔王の存在との交戦記録はまだ確認できない。
 となると……

「やはり、あの人にも頼むのが一番でしょうね」

 私は0-PHONEを取り出し、電話帳から『赤羽くれは』の名前を選択する。
 数回のコール音の後、彼女の声が私の耳に届いた。

『はわわ、美汐ちゃん、久しぶり〜』
「お久しぶりです、くれはさん。こうして電話で話すのは、数ヶ月ぶりですね」
『そうだね〜。元気してた?』
「ええ、くれはさんも、お元気そうで何よりです」
『まあ、元気なのがとりえみたいなものだからね〜』
「ふふ、そうですね」

 他愛無い会話だが、私は久しぶりに話す、血の繋がらない姉のような彼女との会話が楽しくて仕方がない。が、今回はただ世間話をするために電話をしたわけではない。

「……くれはさん、少し、頼まれて欲しいことがあるのですが」
『はわ?』
「未知の疫病をもたらすことを得意とする魔王について、何かご存知ですか?」
『うーん、ちょっと分からないけど……もしかしたら、うちの文献の中に書いてあるかも』
「出来れば大急ぎでその魔王に関する情報を送って欲しいんです。それもなるべく早く」
『はわっ? 美汐ちゃん、どうしたの? 随分焦ってるみたいだけど……』
「事は急を要するんです。今、私の知人がその魔王に狙われ、未知の病に冒されているんです。手遅れになる前に、急ぎお願いできないでしょうか?」
『はわ、わ、分かったよ。大至急調べてみるから』
「こちらでもある程度調べてみますが、お願いできますか?」
『もちろんだよ。美汐ちゃんがお願いするなんて、よっぽど大変なことみたいだし』
「ありがとうございます、くれはさん」
『うん、じゃあ、何か分かったら連絡するから、美汐ちゃんも、がんばってね』
「はい」

 くれはさんからのエールを最後に、私は電話を切る。タイムリミットの分からない世界の危機。そして、知人の危機。だが、どんな手を使ってでも私は阻止する。それは美坂さんの前で約束した。そして、それを違えるつもりは毛頭なかった。
 私は、また、書庫の本を漁る。くれはさんだけに頼るわけにもいかない。私自身もなんとしてでも手がかりを掴まないと……

「あう〜、美汐〜。外に変な奴がいる〜」

 そんな時。
 真琴が困った表情をして、書庫に入ってきた。

「せっかく人が気持ちよく寝てたのに〜。そいつ、なんだか知らないけど、美汐に会いたいって、言ってたんだけど、知り合い?」
「……どんな方ですか?」
「なんか金髪の変な奴」
「金髪……心当たりありませんね。真琴、お引取り願ってください。ウィザードのようでしたら、力づくでもいいですから。事は一刻を争います。こうしてる間にも、栞さんの病は進行していっているのですから」
「暴れても、いいの?」

 真琴が何か、うずうずするような口調で聞いてくる。そういえば最近、エミュレイターの出現がないせいか、ひどくいらいらしていた様だった。これは、相手が大怪我程度で住めば、まだいい方かもしれない……

「ええ、相手がウィザードのようでしたら」

 相手には申し訳ないが、今は時間がない。出来れば丁重にお引取りいただきたい。そうでなければ、多少痛い目を見てでも帰ってもらおう。
 私には、時間が惜しいのだから……



天野神社境内:北川潤

「天野美汐に会わせてくれ」
「しつこいわよぅ! 美汐がいやって言ってんのよ! 駄目ったら駄目!」

 目の前の少女はもううんざりした声で、しっし、と手を振って、俺を追い返そうとする。
 だが、俺は引き下がるわけには行かない。
 相沢から教えてもらった天野美汐、と言う名前から、俺はすぐに、この天野神社の一人娘のことを思い浮かべた。
 アンゼロットから依頼を受けたという彼女となら、協力できるかもしれない。

「頼む、俺はあいつに会わないといけないんだよ!」
「あー、もー! しつこい!」

 その少女は、怒りに満ちた声で、月匣を展開する。
 これは……

「美汐が言ってたのよ。相手がウィザードだったら、力づくで追い払ってもいいってね!」

 その瞬間、少女の身体が変化する。
 少女に狐の尻尾が生え、狐の耳が頭から、生える。そして、手に鋭い爪が伸びた。
 こいつ、妖狐だったのか!

「ちっ!」

 俺は〈月衣〉から、相棒の槍を取り出し、同時にブレストプレートを装着する。槍に刻んだパワーエンブエムが、淡い光を放つ。

「やっぱりあんた、ウィザードだったのね。じゃあ、力づくで追い返すわよぅ!」
「悪いが押し通る! ダチの頼みなんだよ!」

 わずかだけ、俺のほうがすばやく反応し、妖狐の少女との距離を詰め、槍を思いっきり突き出す。
 が、少女は軽やかなフットワークで、それをいともたやすく避ける。

「なあに、それ? 止まって見えるわよぅ」
「ちいっ!」

 俺は槍を構えなおすが、その前に前に距離を詰めた少女の爪の一撃が、俺の胸を切り裂こうとする。
 その攻撃を、素早く槍で受け止める。
 ぎゃりぎゃりぎゃり、と激しく耳障りな音を立てて、少女の爪はその勢いを殺され、反らされる。

「こんのう! 悪あがきしてぇ!」
「当たり前だ! 言ったろ! 俺は天野美汐に会わなきゃいけねえんだよ!! お前ぐらい、押し通して見せるぜ!」
「何でそこまでして美汐に会いたいのよぅ!?」
「ダチとの約束のためだ! 世界の危機を救いたいのに、どうすることも出来ないダチのため、俺は天野美汐に会わないといけねえ! それが、相沢が教えてくれた唯一の手がかりだったんだからな!」
「そんなのどうでいいわよぅ! 真琴は美汐の言いつけを守るだけだから!」

 俺は再び槍を繰り出すが、すばしっこい妖狐にかすらせることすら出来ない。
 畜生、やっぱり人狼とかの類って、かわすことに関しては天下一品だな!

「そこ!」
「やべ……」

 槍を構えなおすが、間に合わない! 少女の爪の攻撃を胸に受ける。ブレストプレート越しに伝わる衝撃が、俺の意識に響く。槍の穂先が地に落ちる。

「ぐは……」
「ふふん、もういい加減諦めて、帰りなさいよ」
「そうは、いかねえ」

 俺はもう一度槍を構えなおして、少女に向きあう。

「俺は……天野美汐に会わなきゃいけねえんだよお!!」
「ほんっとにしつこいわよぅ! 死んでも、もう知らないから!」

 そして再び戦いを開始する俺たち。やはり、ギリギリのラインで俺が先手を取る。
 俺は槍を突き出そうとした、瞬間。
 俺の脳裏に、彼女が次にどう動くのかが、手に取るように、『見えた』。
 そして、彼女が動こうとする場所に、自然と槍を突き出していた!

「え……!?」

 一瞬、何が起こったのか分からずに、自分に突き刺さろうとする槍に呆ける少女。
 その隙を逃す手は……ない!!

「もらった!! 《魔器解放》!!」」

 俺の宣告と同時に。
 俺の槍が、真の姿を現す。柄にびっしり刻まれたルーン文字が下から順々に淡い光を放ち、穂先に添えられた宝玉が、赤の輝きを放つ。

「はあっ!!」

 気合の声一閃、俺は少女に槍を突き刺す。狙い違わず、槍の穂先は、少女の腹に埋没した。

「うっ……く……」

 苦痛の呻きを上げ、わき腹に突き刺さった槍を引き抜く。どうやら重要な器官は反らされたようだが、流れる血までは止められない。
 急激に血が抜けたせいで、少女がたたらを踏む。

「まだやるか……?」
「あ、当たり前よぅ。真琴は美汐に、あんたを帰すように、言われてるんだから……」

 少女が、爪を構え、俺に振るおうとしたその時。

「そこまでです。真琴」

 凛とした声が月匣に響いた。
 その声の主は、髪を肩まで切りそろえたウェーブの少女。
 その方手には、陰陽師がよく愛用する魔導具、破魔弓が構えられていた。

「み、美汐!?」
「あまりにうるさくて集中できませんでした。それに、これ以上、真琴に怪我をさせるわけにはいきませんから」

 美汐と呼ばれた少女は、真琴という妖狐に目配せする。下がれ、と言う意味だろうか。真琴は、それに渋々従い、後ろに下がり、代わって、美汐が俺の前に立つ。

「お初にお目にかかります。私が天野美汐と申します」
「俺が……北川潤だ」
「北川さん、でしたね。私に何か御用でも?」
「相沢からあんたの名前を聞いた。あんたが、アンゼロットから魔王を倒す依頼を受けているってな」
「相沢……?」
「俺のダチだ。そいつがあんたのことを教えてくれた」
「……まあ、深く追及するのは後にしましょう。それでご用件は?」
「俺に、あんたと一緒に魔王を倒す協力をさせて欲しい!」

 俺は頭を下げ、美汐に頼み込む。

「……なぜそこまでして、私に協力したいのですか?」
「言っただろ? ダチとの約束だ。世界を救うだけの力がありながら、その力を使えない奴のために、俺が代わって世界を救ってやるって約束した! だから、あんたに協力させてくれ、頼む!」
「…………」

 美汐はあごに手を当てて、何事かを考える。

「……荒っぽいですが、少し、試させていただきましょう」
「……何?」

 そうつぶやくと、美汐は、俺に破魔弓を向ける。そして、その構えた先に、黒い虚無の弾丸が生み出される。

「な……」
「ヴォーティカルカノン」

 躊躇なく、放たれた虚無の弾丸は、俺に直進してくる。

「ちいっ!!」

 俺は槍を構えて、それを弾き返そうとするが、虚無の弾丸はその槍をすり抜けようとする。
 しかし、柄にこめられたルーンが、輝きを放ち、すんでのところでそれを押し戻す。

「……らああああああああああ!!」

 俺は槍を思い切り振るい、それをあらぬ方向へと弾き返す。そして、目標を見失った虚無の弾丸は、虚空で解け、溶けていった。

「……はあ、はあ、はあ……何のまねだ」
「……なるほど。私と肩を並べられるくらいの力はあるようですね」
「ああ?」
「分かりました。こちらとしても、人手は欲しいところでした。北川さん。貴方が協力したいというなら、私は拒みません」
「それじゃ……」
「その前に……貴方にも手伝っていただきたいことがあります」
「……何だよ?」
「書庫に案内します。少しでも魔王の情報を得たいのです。随分時間を食ってしまいましたからね。手伝ってもらいますよ。もちろん、真琴の治療も、ね」



天野家書庫:天野美汐

「だー! 何だこの本の山はー!!」
「うるさいです。北川さん」
「そうよぅ。きょーりょくするなら、このぐらい当然よぅ」
「ってお前が一番役に立ってねえだろうが! さっきから、漫画ばっか見つけてきやがって!」

 天野家の書庫は、古来より、代々ウィザードとして、有史からのエミュレイターの記録に関しては、世界魔術協会のそれより詳細で、膨大だと言う自負はある。そして、おそらくその独自性についても。
 私個人では調べるのに限界もある。北川さんがどこまで戦力になるかはわからないが、多少は役に立ってくれると思いたい。

「……なあ、これはどうだ?」
「……北川さん、これは私たちの家系図ですよ。全然違います」
「あ、あり?」
「……もうそっちはいいですから、向こうの棚をお願いします」
「へーい……」

 ……前言撤回。どうも、彼はこういうことには当てになりそうにない。
 私は彼とは別の本棚に手を掛け、一冊の本を手に取る。

「タイトルは……『天野闇王記』。それっぽい気がしますが……」

 私はその内容を確認するが、その内容は天野家の見解からの魔王の行動記録と、その被害。それにはルー=サイファー、ベール=ゼファーなどの有名な魔王の名が連なり、当時この街でどのような行動をしたのか、それによる被害の様子が克明に記されている。しかし、保存状態が悪すぎて、所々、墨が滲んだり、虫に食われたりしており、断片的な情報しか分かりそうもない。
 とはいえ、あまり役に立つ情報ではなさそうだ、と本を閉じようとしたとき、あるページに目が留まる。

「風土病の記録……」

 それには、伝染性の強い病がもたらされ、結果、当時の都を始め、近隣の山村に大打撃を与えられたという記録がある。
 あらゆる祈祷師や医者の手でも癒すことの出来ないこの病は、当時のウィザードたちによって、被害がこれ以上拡大する前に魔王を打ち倒したことで、被害は止まったらしい。しかし、一度もたらされた病は治されることなく、縮小のときまで数十年のときが掛かった、と記されている。

「その首謀者の魔王は……な……た……駄目ですね。保存状態が悪すぎて、これ以上読めそうにないです」

 そんな時。私の0-PHONEが鳴り響く。
 発信者は……くれはさん。

「はい、天野です」
『美汐ちゃん、こっちでそれっぽいの、見つけてきたよ!』
「くれはさん! こっちも、病をもたらした魔王の記録を発見したんですが……名前までは……」
『そっか。大丈夫。こっちでばっちり、名前は分かったよ』
「本当ですか?」
『うん。ナタル=ウーク。主に疫病をもたらして、世界を混乱させることを得意とした魔王みたい』
「ナタル=ウーク……」
『ナタルは世界中に現れて、風土病や集団精神疾患をもたらして、人間を混乱に巻き込むことが得意だったみたいだね。中世ヨーロッパのペストや天然痘、近年の黄熱病なんかも、この魔王が持ち込んできたものらしいよ』
「なるほど……しかし、そのどれもが今では治療法が確立され、駆逐された病気ですね。当時ならいざ知らず、今さら……」
『それらを治せる要因の一つに、裁定者の存在もあるんだよ。ナタルが現れると、世界結界も裁定者を作り上げて、病気を治すための手段を生み出していたみたい』
「……しかし、例えば、その裁定者自身が、ナタルに狙われたとしたら?」
『はわ?』
「くれはさんにはお話しましょう。私の知人というのは……裁定者です」
『はわっ!? それ、本当!?』
「はい、くれはさん、ナタルが裁定者を狙った、何か特別な事例はありませんか?」
『はわわ、ちょ、ちょっと待ってて……』

 くれはさんは私の無茶な要求に、はわはわ言いながら、何か本をめくる音と共に、必死で情報を探してくれている。

『……ごめん、お待たせ! 確かに一つ、ナタルが裁定者を狙った事例はあるみたい!』
「その時の描写を詳しく説明してもらえませんか?」
『うん、当時、ナタルは裁定者の精神に憑依して、ナタルがもたらした病気は、絶対に助からない、という考え方を植え込んでいたみたい』
「精神に憑依、ですか?」
『そう、そうなれば、その病気は不治の病となって、誰にも治せない病気になるでしょ?』
「……今回の事例と全く同じシチュエーション」
『その時は、夢使いのウィザードのおかげで、どうにかなったみたい。夢使いが裁定者の夢に侵入して、憑依したナタルを追い出して、事なきを得たようだよ』
「夢使いのウィザード……」
『うん。夢使いの《夢語り》の力があれば、もしかしたら……』
「ありがとうございます! くれはさん!」
『うん。あたしに出来るのはここまでだから、がんばって、美汐ちゃん』
「はい!」

 私は0-PHONEを切り、心に高揚感が満ちるのを感じる。
 ようやく、手がかりを得た。
 敵はナタル=ウーク。病もたらす者。

「どうした、美汐ちゃん」

 やたらなれなれしい口調で北川さんが私に話しかけてくる。
 ……どうでもいいが、いつからそんなになれなれしく声をかけられような間柄になったのだろうか?

「……ちゃん付けされる覚えはありませんが」
「いいじゃん、そんなの。そんな事で怒ったって、しょうがないじゃん?」
「……はあ」

 どうやら、言っても無駄のようだ。私はため息をつき、観念して、彼の呼び名を黙認する。

「で? 今のはなんだったんだ?」
「ええ、敵の詳細が分かりました。ナタル=ウーク。病をもたらすことを得意とする魔王です」
「へー……」
「……貴方、本当に協力する気があるのですか? 緊迫感がかけているように感じますが?」
「いや、やることが変わんないなら、いつもと同じでいいの。やることは、ナタルとか言う魔王を倒す。以上終わり。そんなに難しいことでもないじゃん?」
「……そう都合よくは行きません」
「なんでだ?」
「この魔王を倒すのに、どうやら夢使いの、かつ《夢語り》の力が使えるウィザードの力が必要なようなんです。でも生憎、私に夢使いの知り合いはいませんし……」
「……一人知ってるぞ」
「え?」
「だから、俺に一人心当たりがあるって言ったんだよ」

 ……これは偶然なのか? はたまたこういうのを神の思し召し、と言うべきなのだろうか。

「その人の名前は!?」

 興奮を隠さず、私は北川さんに詰め寄り、詰問する。

「お、落ち着け! 水瀬、水瀬名雪だ。俺のクラスメイトで、よく一緒に行動するウィザードで、夢使いだ」
「その人のところに案内してください!」



輝明学園グラウンド:水瀬名雪

 走る。
 1秒でも短いタイムを出すために、全力で。
 トラックのゴールが見えてきた。
 わたしは、スパートをかけて走り抜ける。
 顧問の先生が、ストップウォッチを止め、タイムを見て、落胆の表情を浮かべた。

「……
128。なんだ、タイムが前より落ちてるじゃないか」
「すみません……」
「大会も近いんだから、しっかりしてくれ。お前はうちのエースなんだからな」
「はい……」

 生返事だけ返し、わたしは自主的にストレッチをして、身体をほぐす。
 ……タイムが伸びないのは、やっぱり香里のことが頭にちらついて集中できないから、なのかな。
 ……それも最低だな。自分のタイムが伸びないのを、他人のせいにするなんて。
 わたしは、身体をクールダウンさせて、小休止に入る。ペットボトルのドリンクに口をつけようとしたとき、

「おーい、水瀬ぇー! ちょっといいかー!!」

 北川君が、グラウンドの端で、大声でわたしの名前を呼んできた。
 その隣には、この間見た、あの下級生
――確か天野さんだったかな――が静かにたたずんでいた。
 ……今は部活中なんだけど、北川君があんな風にわたしを呼ぶなんて、余程のことなんだろう。
 だから、

「先生、しばらく頭を冷やして来たいんですが、いいですか?」
「……まあ、何か悩んでるなら、それもいいだろう。早くすっきりさせて、戻って来い」
「はい」



「お待たせ、北川君。それから、天野さん」
「おう」
「どうも、この前は失礼しました」

 天野さんは丁寧に一礼する。
 北川君も、いつもおちゃらけた雰囲気とは違って、何かを訴えるような目をしてる。
 ……これは、何か大事な事なのかな?

「水瀬さん、折り入ってご相談があります」
「わたしに?」

 天野さんが真剣そのものの表情でわたしを見る。

「水瀬さん、私たちに力を貸してもらえないでしょうか?」
「…え? どういうこと?」

 主語抜きでいきなりそんな事を言われても面食らってしまうよ。

「……ごめんなさい。いささか勇み足でした。水瀬さん、北川さんから伺いましたが、貴方は夢使いとしての実力があるそうですね?」
「う、うん。そうだよ……ねえ、北川君。どういうこと……?」
「ああ、その辺の説明は美汐ちゃんに任せた。俺は道すがら美汐ちゃんから聞いてるから、あらかたもう分かってる」
「水瀬さん、単刀直入に言います。貴方のお友達、美坂香里さんもこの件とは無関係ではありません」
「え……?」

 どうして、香里の名前がここで出てくるんだろう?
 ますます分からないよ。

「美坂さんの妹
――栞さんと言います――が、今、魔王級エミュレイターによって、不治の病に冒されている事はご存知ですか?」
「ええ!?」
「しっ、静かに……」
「あ、ごめん……」

 わたしはただ驚くしかなかった。
 香里に妹がいた、なんて話は聞いた事ないし、話してもくれなかった。
 そして、そんな事実が少し悲しくなる。

「栞さんは裁定者としての才を秘めています。その身体に刻む傷、冒された病。それら全てを『治る』か『治らない』のかを定める能力を」
「…………」
「そして、その栞さんが、魔王のもたらした病で、死の床に伏そうとしている。……ここまで言えば、どういうことか、お分かりですね?」
「それは、不治の病になって世界中にばら撒かれる、と言う事?」
「そうです。だからこそ、美坂さんは絶滅社から妹を監視、そして病気で死ぬ前に消去するよう命じられていました」

 ……そうか。
 やっと分かった。
 どうして、ここ最近、香里が辛そうにしていたのか。
 当然だよね。
 可愛い自分の妹が病気で死に掛けていて、そうなる前に自分の手で殺せ、なんて命令されたら、辛いのは当然だ。
 打ち明けられない理由も……やっと分かった。
 こんな事、言えないもんね。誰にも……

「しかし、私たちは独自に調べ上げた結果、水瀬さん、貴方の力が必要だと言う事がわかりました」
「わたしの力?」
「そうです。北川さんの話に寄れば、貴方は《夢語り》の力が使えると伺いましたが?」
「うん、確かに使える……」
「その力がどうしても必要なんです。お願いします。私たちの力になって下さい」
「水瀬、俺からも頼む。俺は相沢とも約束した。相沢が何も出来ない代わりに、俺が世界の危機を救ってやるって! それに、美坂の妹とは知らないで、栞ちゃんともちょっとの間だけ知り合って……頼む、美坂に栞ちゃんを殺させないでくれ! 俺たちに力を貸してくれ!」
「……北川君、天野さん……」

 天野さんも、北川君も、わたしに頭を下げる。
 でも、そんなことされなくても、もうわたしの答えは決まってる。

「……頭を上げてよ」
「水瀬?」
「水瀬さん?」
「香里も困ってるんだよね。それで二人ともわたしの力が必要だと言った。それでわたしが断る理由なんて、ないよ」
「水瀬さん……」
「その前に、ちょっとだけいいかな?」
「なんでしょうか?」
「香里と、少しだけお話させて?」



北の街病院:相沢祐一

 放課後。今日の補習は石橋がいないため休み。
 せっかく空いた時間を使って、俺はある所に行くことを決めていた。
 そこは……

「ふむ、ここに栞が入院してるのか」

 俺は栞の見舞いに行こうと思ったが、その時になってはたと気づく。俺、栞の病院知らないじゃん、と。
 で、俺はロケーションの魔法で栞の位置を割り出し、こうして花束とフルーツ篭を持って、見舞いに来てるんだが……

「祐一君、どうしたの?」
「……何でお前までいるんだ、あゆ」
「だって、祐一君がお花や果物を持って商店街を歩いていたから、どうしたのかな、と思って」
「……暇な奴」
「うぐぅ、それは言わないで……」
「そういえば、お前、髪の毛……」
「あ、これ?」

 あゆは、いつの間にか、ずっと伸ばしっぱなしだった髪を、肩の位置まで綺麗に切りそろえていた。

「秋子さんに切って貰ったんだ。似合うかな?」
「うん、余計に外見年齢が下がったように見える」
「うぐぅ、もっといい事言ってよ!」
「でも、まあ、いいんじゃないか? それなりに似合ってると思うぞ?」
「ホント?」
「ああ、これはホントだ」
「そっか、じゃあ、切って良かったかも」

 あゆが俺を見て微笑む。
 ……目を合わせづらくて、少し反らしながら、ごまかすように、

「おっと、早く行かないと、面会時間が終わっちまう」

 そう言いながら、早足で病院の中へと駆け込んでいった。

「あ、ま、待ってよ〜!」

 その後を、あゆがぺたぺたとくっついていく。
 病院の待ち合わせロビーは、そろそろ診察の時間も終わる頃になっているのか、人もまばら。受付も、幾つかが閉まっている。
 俺は丁度居合わせた年配の看護士さんを捕まえて聞いてみる。

「すいません、栞さんの病室ってどこになるんですか?」
「栞さん? ……ああ、美坂さんの病室ね。悪いけど、美坂さんの病室は面会謝絶なの」
「……そうなんですか?」
「ええ、何人ものお医者さんに見せても治らなくて、伝染する恐れもあるから、と卯月先生が」
「卯月先生って……あの偉そうな先生ですか?」
「うーん、どんな先生だったかしら? あれ? おかしいわね。ここに勤めているはずなのに、何でよく分からないのかしら……?」
「……?」

 なにかおかしい。こんな年配の、言うなればベテランの看護士さんが、勤めてる医者のことがよく分からない? そんな事、ありえるのか?

「ねえ、祐一君、栞さんって誰?」
「ほら、お前が悪事を働いたときに偶然会ったあの子だよ」
「ああ、あの時の、ってちょっと待って祐一君! 今、ひどい事言わなかった!?」
「気のせいだ」
「あー、流した! 何事もなかったように流した!」

 あゆの文句を聞き流し、俺は看護士さんにもうちょっと問い詰めてみる。

「その卯月先生って、いつから赴任されてきたんですか?」
「いつから? そういえばいつからだったかしら……思い出せないわね」
「そうですか……ありがとうございます。ああ、それからこれ、栞さんに届けてあげてください」

 俺は看護士さんに花束とフルーツ篭を手渡し、病院を後にする。

「ねえ、どういうこと?」
「さあな。ただ、あの主治医、どうも怪しい事だけは十分に分かった」

 俺は
0-PHONEを取り出し、メールで卯月夏美への警告を、北川へ送信する。

「頼むぜ、北川……」



Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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