輝明学園教室:相沢祐一

 眠い。
 夕べのテキストは一夜で終わるものではなかった。結果、俺は昨日は貫徹で、補習分のテキストを終え、脳みそふらふらの状態で授業に出ている。
 いっそ、家で休んだ方がよさそうだが、出席日数ギリギリの俺にそんな余裕はない。
 担当教師の講義も上の空で聞いている状態。
 ……今度の期末次第は赤点かもしれん。
 そんな絶望的なことを考えて、現実から逃れようと、外の景色に目を向けると、

「あれ……?」

 そこにはまた、あの私服の少女がいた。
 そして、その遠目から見たその顔に、俺は見覚えがあった。
 それは昨日、俺とあゆに道案内をしてくれた、身体が弱いと言ってた、あの女の子に間違いなかった。



輝明学園教室:美坂香里

「なんで……あの子がここに……」

 窓の外を見れば、そこにはあたしの妹、栞が雪を被りながら、じっと立ち尽くしていた。
 それは何かを待っているかのよう。
 そしておそらく待っているのは……

「……さか、美坂」
「はいっ!?」

 先生に名前を呼ばれて、あたしは我に返る。

「この問題を解いてくれ……と言いたいが、今の反応からすると、聞いてなさそうだな」
「すみません……」

 先生はしっかりしろ、と軽く叱り、別の生徒に問題の解を聞いていた。
 あたしはそれを上の空で聞き流し、外でじっと立ち尽くす栞の姿を眺めていた……



学食:水瀬名雪

 香里の様子は目に見えておかしくなっている。
 今日の授業だって上の空だし、じっと外を眺めているのが多くなった。
 外に何かあるのかと思って、一度外を見てみたら、私服の女の子がいたっけ。

「ねえ、香里。ときどき学校に来てる女の子、香里の友達?」
「誰のこと?」
「だって、香里、外を眺めてるの、多くなったよね。その時に、必ずあの女の子がいるから、友達じゃないかなって……」
「知らないわ。ただの不審人物でしょ?」

 そっけなく言い放つ香里は、これ以上聞いてくるな、とあからさまに言っていた。
 今日は北川君も祐一も、どこかへ行っちゃって、学食でテーブルを囲んでいるのはわたしと香里だけ。
 でも、この空気が……とても重いよ。

「失礼します」

 唐突に、誰かの声がわたしたちの間に割り込んできた。
 見れば、巫女服を着た、肩で切りそろえたウェーブの髪の女の子。
 この学校で巫女服を着ているのは、学校公認クラブの巫女クラブだけ。
 少なくとも、同級生でこんな子は知らない。
 おそらくは上級生か下級生。

「美坂さん、お久しぶりですね」
「……貴方、天野さん?」
「はい、こうして面と向かってお話しするのは初めてですね。エミュレイターが出現したときに共闘したことはありましたが……残念ながら、今日は世間話に来たのではありません。すみませんが、ちょっとお話を伺いたいのですが……ご友人と一緒のようですし、迷惑ですか?」

 香里はわたしに目配せをする。どうすればいいか、聞きたいんだろう。

「いいよ。行ってきなよ」
「ありがとうございます。えーと……」
「名雪。水瀬名雪だよ」
「では、水瀬さん、しばらく美坂さんをお借りしますが、よろしいですか?」
「うん、いいよ」

 美汐ちゃんはわたしに一礼すると、香里と共に、どこかへと行ってしまった。

「あーあ、久しぶりに一人でお昼か……寂しいよ」



輝明学園中庭:天野美汐

「すみません。お呼び立てしてしまって」
「……いいわ」

 我が輝明学園の中庭は、春ならば人でにぎわうが、生憎と今の時期に好んで外に出てくる生徒は少ない。
 それゆえ、秘密の話をするにはもってこいなのだが……

「美坂さん、失礼します」

 私は念を押して、月匣を展開し、私と美坂さんだけの世界を作り出す。

「……これでいいでしょう」
「それで、あたしに聞きたいことって、何?」
「単刀直入に聞きます。貴方の妹、美坂栞さんは……裁定者、ですね?」
「…………」

 美坂さんは私から眼を反らし、それに答えまいとするが、その態度からして、私は確信した。美坂栞は……裁定者だ。

「今回、栞さんは魔王級エミュレイターに狙われていることを、私はあるやんごとなきお方から伺っています。美坂さん、私はその方から、魔王の討伐を依頼されています。貴方方絶滅社と利害関係は一致していると思われますが?」
「……そうね」
「では、答えていただけますね? 美坂さん」
「……ええ」

 ようやく、美坂さんはその重い口を開いてくれた。

「栞は、確かに裁定者よ。本人に全くの無自覚だけど」
「それはよくありますね。しかし、彼女の裁定者としての能力とは一体何なのですか?」
「……あの子の命そのもの」
「……え?」

 私は美坂さんの言った意味がよくわからなかった。
 命そのものが裁定者とは、一体……

「例えば、あの子が風邪にかかったとするわ。栞はその風邪を治すことが出来るのならば、その風邪は『治る』ものとして世界結界が『常識』と認識する。彼女の怪我が『治る』ものであればその怪我は『治る』ものとして『常識』になる。栞は……その身体に病や怪我を負うことで、それが『治る』か『治らない』か、を定める能力を持っているのよ」

 ……そうか。
 そういう、ことか……
 つまり、彼女が治らない病気は絶対に誰にも『治せない』。
 たとえそれがウィザードであっても……

「……まさか」
「ええ、栞は……今、治療法が全く分からない、完全な未知の病に冒されている。有数のウィザードでも治すことが出来ない、ね。表向きはまだ感染しない病気かもしれないわ。でも、もしもそれが空気感染や血液感染、もしかすると、未知の感染経路で引き起こす、伝染性の病気だったら……どうなると思う?」
「……それは、まるで中世のペストの再来……」
「それも最悪な形で……誰にも治せない、ただ静かに死を待つだけの病。そんなものに……栞は冒されているの」

 美坂さんは、苦しそうに顔をゆがめる。

「幾人ものウィザードに治療をお願いしたわ。でも、まだ、誰にも治すことも出来ない……だから、絶滅社はある決断を下したわ」
「ある決断……」
「ええ、このまま栞が病で死ぬ前に……抹殺してしまうように、と」
「……!」

 確かに。
 病で『死んだ』のではなく、誰かに『殺された』のならば、その病の治療法ははうやむやとなるが、その病が『治せない』『常識』は決定されることなく、結果的に問題は解決する。
 しかし……

「いくらなんでも、それは愚策というものではないでしょうか」
「…………」
「確かに栞さん一人が死ねば、その病気は誰にも『治せない』と言うことにはならないかもしれません。しかし、そのエミュレイターが別の誰かに病をばら撒けば、結果は同じです。治療法も見つからない状態で、トカゲの尻尾を切るように栞さんを殺せば、全てが解決するとでも? それに、既に感染者がいないと言う可能性も否定できません。それら全てを見殺しにしてまで、絶滅社は栞さんを抹殺して、全てをうやむやにしてしまうつもりですか?」
「そんな事は分かってる! でも、そのタイムリミットは、いつかは分からない! 今日かもしれない! 明日かもしれない! 栞が今病気で死ねば、全て終わりなのよ! そうならないために、あたしが監視と抹消を命じられているのよ!」

 悲鳴にも近い美坂さんの叫び。
 それは、月匣の中、キーンと響き渡った。

「それが……姉として、あたしが……するべきことだって、あたしの……父と母は言ったわ。でも……」

 その声が、か細く、涙が混じりだし、嗚咽が漏れだす。

「そんなこと……出来るわけない……血を分けた、たった一人の妹なのよ……だけど……あたしがやらなくても、絶滅社は、誰か別のエージェントを用意して栞を殺すわ……だったら……あたしが……やるしかない……そんなこと、分かってるのに……だからあたし……栞のこと……忘れて……見ないようにして……いつでも……殺せるように……って……覚悟して……」
「……美坂さん」

 月匣の中、美坂さんの嗚咽だけが響く。
 それが、姉としての、ウィザードではなく、ただの美坂香里としての姿だった。
 そのか細い姿は、普段の毅然とした彼女の面影はない。
 その姿を見て、私は……

「……美坂さん、私は決めました」
「……何、を?」
「栞さんを救う手段を、私が見つけます。栞さんを狙う魔王の正体を掴みさえすれば、栞さんの病を治す手段も、もしかすれば見つかるかもしれません」
「……そんな都合のいい方法が……あるわけ……」
「訂正します。見つけます。どんな手段を使ってでも」
「…………貴方…………」
「貴方の手をわざわざ汚す必要はありません。いえ、させませんから」
「……好きにしなさい。出来るものなら、ね」
「ええ、勝手にさせていただきます」

 私は月匣を解除する。
 静寂に包まれた中庭に、生徒たちの気配が戻る。

「では、授業がありますので、これで」
「……ええ」

 それだけ告げ、私たちは別れる。
 しかし、それは一時のことだと私は確信していた。
 次に会うときには、共に肩を並べられる仲間であると、私は信じたい。



輝明学園校庭:相沢祐一

「よお」

 俺が声を書けた人物は、突然の俺の声に肩をびくりと震わせ、恐る恐る振り返る。

「あ……貴方は確か……」
「昨日ぶりだな」
「迷子の人ですね」

ずるっ

 思わずこけそうになった。
 そう来るとは思わなかったぞ……

「おっす、初めまして!」
「……というか、何でお前までいる。北川」
「いやー、何、こっちのほうが面白そうだったし?」
「え、えっと、初めまして。えーと……」
「ああ、そういえば、名前言ってなかったな。俺は相沢祐一。こっちは北川潤。まあ、こっちの方は適当に覚えてくれればいい」
「おいこら相沢」
「はい、よろしくお願いします。わたしは栞と言います」
「栞ちゃんか……可愛い名前じゃん。そういや、苗字の方は?」
「えっと……」

 何故か北川が、至極当然聞きたかったであろうことに、視線をそらし、言葉を濁す栞。

「女の子って、秘密があったほうが神秘的で、いいと思いません?」
「ほっほう、うまいこと言うじゃん」
「神秘的、ねえ……」

 俺は栞の体を上から下までじっくりと目を通す。
 さすがに視線が気になるのか、体をよじって身を縮める栞。

「な、なんなんですか?」
「うん、神秘的という言葉には程遠い」
「そういうこと言う人、嫌いです」
「はは、まあ、冗談だよ。しかし、不審者がこうして校内をうろついてるのは感心しないな。近頃は物騒だからな。変な男が小学校にナイフ持って乱入して、生徒襲ったりするような時代だからな」
「わたし、そんな人じゃありません!」
「そうだぞ相沢! この子を見ろ! そんな血なまぐさいことする子に見えるのか!?」

 なぜ北川が栞の擁護をする?」

「それは、可愛いは正義だから!!」
「力説するな! つか、俺の心の突っ込みに何で返せる!?」
「口に出てたわ!」
「……あれ?」

 ホント? と言う視線を栞に向けてみる。

「はい、もうはっきりと」
「……まあ、いい。で、何でここにいるんだ?」
「あ、わたし、ここの生徒なんですよ。高等部に上がってから、一度しか学校に来てないですけど……」
「へー、一度制服姿も見てみたいよな。見るからに似合いそうだし」
「ふふ、ありがとうございます」
「本当に、口だけはうまいよな、お前」
「ふふん、ほめ言葉として受け取らせてもらうぜ」

 北川は、無駄にポーズをつけて、悦に入る。

「……でも、もう着れないでしょうね。ここの制服……」
「……?」
「わたし、身体が弱いというのは言いましたよね? 今の病気、なかなか治らなくて……色んなお医者さんにも行きました。祈祷師さんに、お払いとかまで、したんですよ? でも……」
「…………」

 俺と北川は黙り込む。
 ここで下手に慰めの言葉や励ましの言葉を言っても、無意味だとわかっているからだ。

「美坂さん!」
「!!」

 突然後ろからかけられた女性の声に、びっくりしたのか、栞は身を飛び上がらせる勢いで、身体を跳ね上げる。

「また、学校に着たんですか!? あまり寒いところにいると、身体に障ると、あれほど言ったじゃないですか!」
「す、すみません。夏美先生……」

 その女性は、白衣を着た、いかにも知的な女医というイメージそのもの。白衣にぶら下がっているプレートには、「卯月」と言う姓が刻まれている。
 後ろのさえない男二人は、彼女の助手だろうか。

「失礼しました。私、この子の主治医をしています、卯月夏美と言うものです。ご学友の方でしょうか?」
「ま、まあ、そんなところです」
「そうですか。美坂さんがたびたび外に出るので、どこに行くのかと思ってましたら、お友達のところへ行っていたのですね」

 なんとなく高圧的な印象を受けるな。この先生。
 ちょっと見てて気分が悪い。

「美坂さん、貴方はもう少し病人と言うことを自覚してもらわないと困ります。少しでも身体を休めないと、治る病気も治りませんよ!?」
「…………」
「さあ、行きますよ。今日の投薬が、まだ終わっていませんから」
「……はい。では、祐一さんに北川さん、さようなら」
「……おう」
「また、今度な」

 俺たちは、努めて明るく、去っていく栞を見送った。
 その姿があまりにも小さく、儚く見えたのは気のせいじゃないはずだ。
 と、突然、俺の
0-PHONEが鳴る。

「何だ、電話か?」
「みたいだな。着信者は……ああ?」

0-PHONEを開いて、着信者の名前を確認し、露骨に不機嫌になる。
 そこには『アンゼロット』と、俺が最も見たくない名前が表示されていた。
 無視してやろうかとも思ったが、どうせそんなことしても、あいつはしつこく俺が出るまで鳴らし続けるだろう。
 観念して、俺は電話に出る。

『もしもし、お久しぶりです、祐一さーん。補習はがんばってますかー?』
「やっかましい!! そんな事わざわざ言いに電話寄越したのか、お前は!?」
『もう、祐一さんは洒落が通じないから困ります。もっと大らかになるべきだと思いますよ?』
「余計なお世話だ!? ……で? 何の用だよ、アンゼロット」

 俺の問いかけに、さっきまでのふざけた口調が一転し、厳かな世界の守護者としての声に変わる。

『祐一さん、ただいま、祐一さんの街で、世界の危機が迫っているのをご存知ですか?』

 アンゼロットの厳かな声に、俺は見開く。
 これまでエミュレイターが妙に大人しいと思ったが、既にエミュレイターは俺たちの街を狙っていた、と言うわけか。

「それを俺に解決しろってか?」
『いいえ。逆です』
「逆?」
『祐一さん、貴方は今回の世界の危機に関わることは許しません』
「な……どういうことだ、アンゼロット!? 俺に世界の危機に関わるなってどういう意味だ!?」
『今回の事件、貴方や舞さん、佐祐理さんの力では強すぎます。貴方がこの事件に肩入れし、その力を振るえば、その力の余波で、かえって世界を滅ぼす要因になります。これは、私がこの世界に直接干渉できないのと同じ理由です』
「…………」
『この危機を救えるのは、私が依頼した陰陽師、天野美汐さんと、他数名のウィザードだけです。祐一さん、貴方はくれぐれも、ご自分で動こうということは考えないでください』
「く……」

 アンゼロットは普段こそエキセントリックな言動で、俺や柊さんをおもちゃにしているが、ここぞ、と言うときには、きっちりと世界のことを考えている。
 最も、俺は彼女の『世界を救うために、小さな犠牲も厭わない』考え方は大嫌いだが。
 そして彼女は、俺にこの件に関わるな、と言った。
 それは……俺に課せられた絶対の制約。

「……分かった」
『既に舞さんや佐祐理さんにも、同様のことは伝えてあります。祐一さんも、どうか私の指示に従っていただきますね?』
「……ああ」

 俺が承諾したのを聞き届け、アンゼロットは電話を切った。

「今の電話……?」
「……聞いてたろ、北川。今この街で世界の危機が起ころうとしてるってさ」
「ああ……」

 北川は曖昧に返事をする。俺の覇気のない声に気づいたんだろう。

「だけどさっき……アンゼロットから連絡があった。俺ではこの世界の危機を救えない、らしい」
「な、なんでだよ!? お前ほどの力があれば、簡単に……」
「難しいことは言えない。簡単に言えば、俺の力が強すぎるんだとさ」

 自虐的に笑うしかない。

「笑えるだろう? 力が強いことは必ずしも世界を救うことには繋がらねえんだよ。目の前で世界の危機が迫っているのに、俺は指を咥えて見てるしか、出来ないんだとさ」
「相沢……」

 北川は、あまりにも惨めな俺の姿を見て何かを決心するかのような表情を浮かべる。

「相沢、聞いて欲しいことがある」
「……?」
「前、俺が不機嫌だったこと、あったよな?」
「……ああ、覚えてる」
「俺は、その前の日の帰り道、ベール=ゼファーに遭った……何も出来なかったぜ。一方的に首に手ぇ回されて、な」
「……それは恥じゃねえよ。あいつ相手にあしらわれることくらい」
「その時、俺はあの野郎から依頼を受けたんだよ。面倒な奴を潰して欲しいって、な」
「面倒な奴……今回の世界の危機に関係してる奴か。大方、ゲームの邪魔だから消してくれ、ってそんなところだろ?」
「はは、大当たりだよ……」
「それで、乗ったのか?」
「乗り気じゃなかったけどな……けど、今、考えが変わった」
「北川?」
「お前が何も出来ないんだったら……俺がお前の代わりになる。魔王の言いなりなんて尺だったが、ダチが何も出来ずに指咥えてるしか出来ない状況なら……やってやる。俺がお前の代わりに世界の危機を救う」
「お前……」
「見てろ、相沢。俺がこの世界の危機を救ってやる」

 決意に満ちた声で、北川は宣言した。
 俺はそれを聞きながら、北川に拳を突き出す。

「お前の決意は聞き届けた。頼むぜ」
「……おう!!」

 俺と北川は互いの拳をぶつけ合った。



Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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