祐一の部屋:相沢祐一
転校初日の日。0-PHONEでセットしたアラームで目を覚ます。朝の目覚めは心地よくはなかった。まあ、昨日は結構遅かったし、仕方がない。しかし、改めて周りを見回してみる。俺が寝るベッド、勉強机とスタンド、本や小物をしまうラック。こうして見ると、なんか、本当にあらかじめこの部屋が用意されてたんだな、というのをつくづく感じてしまう。外を見れば、また深々と雪が降っていた。
「よく降るな……」
そう感じていたとき。
「うぐぅ〜、名雪さん、おーきーてー!」
昨日、俺が寝室代わりに用意した部屋から、あゆの悲痛な声が聞こえてきた。
何事かと思い、軽くノックするが返答はない。ただ、あゆの「うぐぅ」が、連呼されるだけだ。
「開けるぞー」
部屋に入ると、先に目を覚ましたあゆが、いまだに眠りこけている名雪を起こそうと必死に格闘している姿が飛び込んできた。
「おはよう、あゆ」
「あ、祐一君! おはよう!」
「……何してるんだ?」
「だって、もうすぐ学校なのに、名雪さん全然起きないんだもん! 助けて祐一君!」
涙目で懇願するあゆに、俺はため息をついて、
「わかったよ、手ぇ貸してやるから、一緒に行くぞ」
「う、うん!」
俺は名雪の身体を思い切り揺さぶって強い衝撃を与えて目を覚まさせようとする。
一方、あゆの方も、耳元で大きな声で「起きてー!」と叫んでいる……にも関わらず、なぜこいつは目を覚まさない!?
「うぐぅ、全然起きない……」
「仕方ない、こうなれば最後の手段だ」
俺は名雪の耳元に近づきあゆに聞こえないように囁く。
「名雪、オレンジのジャム、好きか?」
「!!?」
がばっ、と。
そりゃもうこれ以上ないくらい凄い勢いで目を覚ます名雪。
「な、何てこと言うんだよ祐一〜、そんな事言うと、ほんとに出てくるんだから〜」
「俺だって使いたくはないんだよ。いつまでも目を覚まさないお前が悪い」
「うー……」
上目遣いで俺を睨みつけるが、迫力は全くない。
「後で覚えててよ……」
「ああ、忘れてやるから安心しろ」
名雪は言うだけ言い終えると、部屋を見渡す。どうやら今頃になって、自分の寝室でないことに気が付いたようだ。
「あれ、何でわたし、こんなところで……」
「俺が運んだからだよ」
「あ、そっか。ありがと、祐一。でも、どうして私の部屋じゃなくて……」
「それはお前の部屋に入れば分かる」
「うーん……?」
何のことだろう、と首をかしげる名雪だが、すぐに何でもなさそうに起き上がって、着替えてくるよと、自室に入っていく。
そして、
「うにゅー!?」
自分の部屋の惨劇を目の当たりにして、名雪は絶叫した。
登校への道程:相沢祐一
「ひどいよ祐一」
「お前が悪いんだろうが」
断じて言うが、寝ぼけていたお前が、注意力散漫だったのが原因であって、俺は一切悪くない。
ちなみに描写すると、名雪の部屋はガラスが割れて、散らばった破片で足場の踏み場もないよう状態に加え、そこに追い討ちをかけるかのように、雪が割れたガラスから浸入し、名雪の部屋は、これ以上ないというくらいぐちゃぐちゃになっていた。
「まあ、掃除とかは手伝ってやるから、あとはガラスに段ボールでも張って、しばらくそれで凌ぐしかないな」
「うー……」
雪の浸入によって大打撃を食らったのは、何よりも名雪の制服、そして布団である。すっかり湿っぽくなってしまっていた。布団はまだしも、制服の方は大慌てで乾燥機を使用して乾かす時間もなく、もうそのままで登校するしかない状態であった。おかげで名雪は「寒いよ〜」と泣き顔で登校している有様だ。
「そんなことより、俺はなぜ、初日から走って登校しているのかを、お前に激しく問い詰めたい」
「それは朝ごはんがイチゴジャムだからだよ〜」
「そんな理由で遅刻して、たまるか!」
そう、俺たちは今までの会話を全速力で走りながら行っている。そもそもこいつが悪いのだ。朝のハプニングは仕方ないとしてもだ、朝飯食べるスピードが極端に遅い。明らかにそんな余裕なんてあるはずないのに、こいつイチゴジャム乗っけたトーストをじっくりと吟味してやがったのだ。おかげで登校時刻なんかに余裕なんて生まれるはずもなく、遅刻ギリギリの状態で、全速力で走らなければ間に合わないレベルになったのだ。
「大丈夫だよ、100メートルを7秒で走れば間に合うよ」
「……くそう、マジでテンペストとかがあればいいのになあ」
「登校に“箒”を使うウィザードなんて聞いたことないよ……」
テンペストとは、アンブラ社製の箒の中でもトップクラスのスピードが出る代物。こんな状況になるんだったら、マジでひとつ欲しいんだが、あれ結構高いんだよなあ……
「だー! 放課後になったら補習も待ってるし、朝っぱらから走らされるし、気分は最悪だー!」
「そんな事まで言わなくてもいいのに……」
「あ……」
横で走っている名雪の顔が少しだけ曇る。
やっちまった……
「……あー、悪かった。最悪発言は謝る」
「……それじゃ、後でイチゴサンデー奢ってくれたら許してあげる。それから、放課後の補習も一緒に付き合ってあげるよ。それでいいでしょ?」
「わかったよ……そろそろか?」
「うん、もうすぐ学校だよ」
「頼む、黒い車来るな黒い車来るな……」
「どうしたの?」
「いや、登校中にいきなり黒い車が遮って来ない為のおまじないだ」
はっきり言ってほとんど効いたためしはないけどな。
しかし、どうやら、今回ばかりは効果があったようで。
俺たちは無事、ギリギリの時間で輝明学園の校門を潜ることが出来たのだった。
3年の教室:???
窓を眺める。
登校中の生徒がまばらになっていき、そろそろ予鈴が鳴る時間、一組の男女生徒が、駆け足で校門を潜り抜けるのを見た。
片方は、私と同じウィザードで、危ないときにいつも手助けをしている名雪。そしてもう一人の方は……
「……祐一……アンゼロットの言ったとおり」
相沢祐一。かつて、私と同じく世界の守護を目的とした組織、ロンギヌスに所属し、高い成果を上げながらも、マジカルウォーフェアのある日を境に、強引に除隊したウィザード。今はフリーランスのウィザードとして様々な組織の依頼を受けていると聞いている。今でも、アンゼロットに呼び出されては、任務を与えられているが、それすらも難なくこなす。
私も彼と共に死線を潜り抜けた経験もあり、彼に命を救われたことも多い。
そういう意味では、私は祐一に感謝している。
だけど、
「……どうして、突然いなくなったの?」
それだけが私がどうしても許せないこと。祐一は、私と一緒に戦ってくれる仲間だと、ずっと思っていたのに。私に何も言わずに、ロンギヌスを勝手に抜けたことだけが、何よりも許せない。
「まーい!」
背後から声をかけられる。私に親しげに話し掛けるのは、ウィザードの仲間でも、たった一人だけ。
「……佐祐理」
倉田佐祐理。世界魔術協会の一員であり、私とよく行動を共にすることも多い。私と肩を並べられるウィザードの中でも、一番信頼できる私の親友だ。
「さっきからずーっと校門を見てたけど何見てたの?」
「……祐一が来た」
「はぇ〜、ホントだったんですね〜。佐祐理も祐一さんにはお世話になりましたし、あとで挨拶に行かないといけないね、舞?」
「……ん」
確かに後で色々話したいことがある。まずは何から話せばいいか。文句の一つでも言ってやろうか。それとも普通に再会を喜べばいいのか。私の思考はそこから、ぐるぐるとめまぐるしく回転していった。
祐一の教室:相沢祐一
「今日から、このクラスに編入することになりました相沢祐一です。よろしく」
我ながら無難な挨拶だと思う。
さっきから教室でぶんぶんと手を振ってる名雪さえいなければ、な。
見れば、昨日会ったウィザード、香里と北川の姿もあった。
偶然とはある意味恐ろしい。
担任の石橋に案内されるまま、俺は用意された席に座る。狙ったかのように、名雪の隣の席だ。後ろ斜めに香里が、真後ろには北川。いや、もう、偶然とは思えないね。
「同じクラスだね、祐一」
「どうせ秋子さん辺りがそうするようにしたんだろ。それかもっと上の誰かか」
「そんな邪推はよくないよ。せっかく一緒のクラスなんだから、仲良くやっていこうね」
「……ああ、よろしくな」
「転校早々遅刻ギリギリで登校なんて……やっぱり名雪のお守り、大変じゃない?」
「そう思うなら変わってくれ、香里」
「結構よ、やっと手が離れたんですもの。相沢君にお任せするわ」
「……薄情者」
「もしかして、凄くひどい事言ってない?」
「「気のせいだ(よ)」」
「いよっす、また会えたな! 相沢!」
「おう……誰だっけ?」
「北川だ! 北川潤! 昨日会って自己紹介しただろが!」
「ああ、知ってる。知ってて惚けた」
「……お前って、案外イイ性格してるよな」
「そうかもしれない」
「おい! そこ、うるさいぞ!!」
おう。石橋の叱咤が俺たちの会話を途切れさせる。
石橋は俺たちを黙らせると、授業の続きを始める。
石橋はおそらく何も知らないイノセントだろう。まさかこのクラスに、非常識な力を持ったウィザードがどれだけいるか、なんて知る由もない。そしてその中には、当然俺も入っていたりして……
そんな悪戯心を出しながら、俺は石橋の授業を受けていた。
学食:水瀬名雪
「祐一、お昼ご飯だよ」
「ん、わかった」
わたしは祐一に呼びかける。祐一もそれに当たり前のように応えてくれた。そのやり取りだけで、ちょっとだけ嬉しく感じる。
「あたしも一緒でいいかしら? 相沢君には、色々聞きたいし」
「あ、俺も俺も!!」
「うん、大歓迎だよ。祐一もいいよね?」
「……出来るだけお手柔らかにな」
ちょっとだけいやそうな顔をしながらも、祐一は四人でお昼を食べることを承諾してくれた。
「で、相沢君は随分と魔王のことに詳しいみたいだけど……どんな戦いをしてきたの?」
「おう、俺も知りたい! 昨日の戦いぶりから、マジでどんだけ強え奴と戦ってきたんだよ?」
お昼の話題はやっぱりそれに決まる。正直に言えばわたし自身も、とても興味あるので、二人の追及を止めたいとは思わない。
「……聞きたいか?」
「ええ、是非とも」
「はあ……わかったよ。話してやるけど、なるべく大きな声は出さないでくれよ?」
「努力はするよ〜」
「一番お前が信用ならんが……ま、いいか。そうだな……マジで死ぬかと思ったのが、前の学校に乗り込んできたベール=ゼファーとの戦いとか……」
「ぶふっ」
北川君が飲みかけたパックジュースを噴出した。香里もそんなバカな、という顔をしているし、わたしだって嘘、と言うしかない。というか、声も出ない。ベール=ゼファーだったら、わたしだって知ってる裏界の大魔王の一柱。それと戦った経験のあるウィザードなんて、どれだけいるだろう。
「ベ、ベール=ゼファーって……冗談じゃないわよね?」
「冗談でこんなこと言うか。あと、幻影という形でやりあったグラーシャ=ロウラスだろ、レライキア=バルだろ、シアース=キアースだろ……あとは、ハール=ファロウとマール=ファロウ、パイ=レイモーン、カミーユ=カイムン、クロウ=セイル、レビュアータ、それからパーズ=スーか……挙げていったら、魔王級だけでも、結構何度か相手にしてるな、俺」
「ちょっと待て、相沢! それ、全部マジで言ってんのか!? そいつら、ほとんどが裏界の大魔王クラスじゃねえか!」
「お前、勘違いしてるけど、俺が相手にしたのは本体じゃないぞ。あくまであいつらが送り込んできた現し身だ。本体だったら、とっくに俺は死んでるわ」
それに俺一人で戦ったわけじゃないぞ、と祐一は付け足す。
「それでも化け物じみた強さじゃない……現し身でも、大魔王を相手にしたら、並みのウィザードたちならあっという間に倒されてるわ」
わたしの知らない祐一はそんなに凄い戦いをしていたのか、と思うと、ぎゅっと胸が苦しくなる。なんだか、祐一がとても遠い存在のようで……
「じゃあ、逆に聞くが、お前ら、魔王級エミュレイターとの戦闘経験、あるか?」
「「「え?」」」
「言っとくが、俺はお前らくらいのレベルのときには、もう魔王級エミュレイターを倒したことがあるからな。悪徳の七王の一人、アー=マイ=モニカを倒したウィザードたちも、その時は大体お前らと同じくらいのレベルだったらしい。ひょっとして、この学園のウィザードって、そういう経験、乏しいのか?」
祐一の質問にぎゅっと返事に詰まる。
実際、その通りだ。わたしたちが今まで相手にしてきたのは、やや高レベルのクリーチャーや、“憑かれし者”のように、人間に憑依したエミュレイターばかりであり、魔王と面と向かって戦ったことなんてない。
その様子を見て、やっぱりな、という顔で祐一は苦笑する。
「まあ、そうだろうと思ったぜ。昨日の名雪のうろたえぶりからして、そうじゃないかと思ってたけど」
「……まあ、この学園には、俺らの手に負えない奴らは、みんなあの人たちに任せっきりにしてたからな……」
北川君がポツリとつぶやく。
「あの人たち?」
祐一が鸚鵡返しに聞き返す。
「おう、お前に負けるとも劣らない強さを持った二人のウィザードだ。俺たちも何度かあの二人の先輩には助けられてる」
「そうだね。どうしようもない相手が出てきたら、倉田先輩と川澄先輩がいつもなんとかしちゃうから……」
「……ちょっと待て」
祐一が今度はうろたえだす。
どうしたんだろう?
「倉田先輩と川澄先輩って言ったな……もしかして、その二人、倉田佐祐理と、川澄舞って言わないか?」
「わ、すごい。よくわかったね」
祐一はわたしのほめ言葉を聞き、親指と人差し指でこめかみを押さえる。
「道理で……こいつらに妙に経験が不足してるわけだ」
「なんだ? 相沢は、先輩たちと知り合いか?」
「ああ、よく知ってるよ。だってあいつらは……」
「……探した」
突然後ろから声が掛かる。その声はわたしがよく知る先輩の声。そしてその声の主に向かって、祐一は苦笑いを浮かべながら、その顔を見る。
「……久しぶりだな、舞。パーズ=スーの事件以来か?」
「……久しぶり」
「あはは〜、祐一さん、お久しぶりです」
「佐祐理さん、ご無沙汰です。最後に会ったのは、節制の宝玉絡みの事件以来ですね」
三人は親しげに挨拶を交わす。
……ひょっとして、三人は知り合いなの?
「……一応、もう大方想像はついてると思うが、俺と舞、佐祐理さんはマジカルウォーフェアのときに協力し合った仲だ。ついでに言うなら、俺と舞は元同士」
「……祐一もマジカルウォーフェアのときまでは、ロンギヌスだった」
「「「ええええええええ!?」」」
「大声禁止だ。周りが見てる」
「「「あ……」」」
今の声で、じっと私たちを咎める視線が、周囲から突き刺さる。うう、恥ずかしいよ……
でも、正直今のは驚いた。祐一も、昔はロンギヌスにいたなんて……
「……でも、マジカルウォーフェアのある日、祐一は突然辞めた」
「……まだ、恨んでるか?」
「……そのことで話がしたい」
「わかった……すまん、もう少し聞きたいことはあるだろうが、ちょっと、この二人に付き合わなきゃいけなくなった」
すまなそうに頭を下げる祐一。
正直に言えば引き止めて、もっと話が聞きたかったが、二人の先輩がそれを許してくれそうにない。それに、今日が駄目でも、わたしにはまだまだ聞くチャンスはいくらだってある。
だから、
「うん、行ってらっしゃい、祐一」
「サンキュ、名雪」
学園屋上への扉前:川澄舞
「…………」
「…………」
「…………」
踊り場で三人がじっと腰を落とす。
誰も口を聞かない。誰かが言葉を発するのをじっと待ってる状態。
この沈黙の時間が、とても煩わしい。
「あー……舞」
耐え切れずに最初に口を開いたのは祐一だった。
「まずは何も言わずにロンギヌスを辞めたことは……悪かった」
頭を下げ、許しを請う祐一。
「…………どうして?」
「え?」
「どうして祐一は、ロンギヌスを辞めたの?」
だから、祐一に最初に聞きたかったことを聞いてみる。
「……怒るなよ?」
「…………」
「もともと乗り気じゃなかったんだよ。俺の場合、いきなりアンゼロットに拉致られて、ロンギヌスに入隊させられた口だからな」
そんな理由で……
ふつふつと怒りがこみ上げる。
私は少なくとも、ロンギヌスの一員であることに誇りを持っている。だけど、今目の前にいる祐一には、そんな誇りもなく、単にやる気がなかった、という理由で辞めたのだ。
ますます……許せない。
怒りの言葉をぶつけようとする私を遮り、祐一は言葉を続ける。
「まあ、それもあるけど、もう一つ、どうしてもロンギヌスじゃ出来ないことがあったからな」
「…………何?」
「大を救う為に小を切り捨てない、そんなウィザードになってみたくなったからだよ」
「大を救う為……」
「小を切り捨てない、ですか? 口では簡単に言えますけど……」
「まあな。でも、それを実践して、見事世界を救ったウィザードに出会っちまったんだ。それを目指したいと思うのは、当たり前だろ?」
「……誰のこと?」
「柊蓮司。舞はよく知ってるだろ?」
柊蓮司。確かによく知ってる。
「……下がる男?」
「佐祐理もよく知ってますよ。学年が下がったりレベルが下がったりする不幸な魔剣使いさんで有名ですよね」
「やっぱりそういう認識かよ!」
だってそういうイメージしか私にはない。
そのウィザードと祐一がどう繋がるのか、全然分からない。
「……まあ、言いたいことはわかるけどな。でも、俺はあの人のようになりたいと思ってる」
「……祐一も学年やレベルが下がりたいの?」
「違うわ! 何でそうなる!? そういう意味じゃなくて、俺はあの人みたいに、小を切り捨てることなく世界を救うウィザードになりたい、って言ってるんだよ!」
こほん、と祐一は咳払いをして真面目な顔をする。
「舞も知ってると思うけど、小惑星ディングレイの事件、覚えてるよな?」
「……よく覚えてる」
「あの時、俺のクラスに柊さんが入ってきたんだよ」
笑いをこらえ、懐かしむような表情をする祐一。
「あの時ディングレイは“星の巫女”を道標にして、世界を滅ばそうとした。ということは、簡単な話、その“星の巫女”さえ殺してしまえば、世界は救われる。実際、そういう動きがあったのは事実だろ? 俺は絶対に動くな、って指示があったから大人しくしてたけどな」
そう、確かに“星の巫女”の抹殺が世界救済に繋がると知った各ウィザード組織たちは、当時、ディングレイが落ちる前に“星の巫女”を殺そうという動きはあった。
しかし、アンゼロットは別のアプローチで世界を救おうとした。
それが“星の勇者”の覚醒。
アンゼロットは聖王庁に働きかけ、あるエージェントを秋葉原分校に送り込んだらしい。
私も詳しくは知らない。でも……結果として“星の勇者”は覚醒し、世界は救われたことだけは知っている。
そんな事を思い出しているうちに、祐一はさらに言葉を続ける。
「……柊さんにも、コスモガードの奴らから、“星の巫女”の監視と抹殺の命令の指令を受けたらしい。でも、柊さんはそれをしなかった。柊さんと“星の巫女”は幼馴染だったからな。逆に柊さんは“星の巫女”を守って、その上で“星の勇者”と共に世界を救った。だから俺は事件が終わったあと、思い切って柊さんに聞いてみたんだ。『どうして“星の巫女”を殺さずに世界を救おうと思ったんですか』ってな」
そしたらなんて言ったと思う? と笑い顔で祐一が言う。
「『お前は世界のために大事な友達や仲間が黙って殺されるのを見過ごせるのか? 俺は大を救うために小を切り捨てるような真似は大嫌いなんだよ。くれはが“星の巫女”だからという理由だけで死んでいい理由なんてどこにもねえ。くれはも守って世界も守る。そうするのが正しいと思ったから、俺はそうしたまでだ』ってさ」
一気に言い終えた祐一はふー、と深い息を吐く。
「ずしんときたよ。柊さんのその言葉。だから俺も……そんなウィザードになりたいと思った。だからロンギヌスにいたんじゃ、そんなことは出来ないからな。思い切って辞めてやったんだ。いつか柊さんみたいなウィザードになるって決めたから」
「…………」
「はぇ〜……」
祐一の目は真剣そのものだった。祐一は、本気で大も、小も救うウィザードを目指していることがその目だけで分かってしまった。
……ずるい。
そんな目でそんな事言われたら、私の怒りはどこへ行けばいいのだろう。
だから私は、
祐一の脳天に、思いっきりチョップを食らわせてやった。
「ぐあっ」
悶える祐一。その姿を見て、私の心は、すっと軽くなる。
「これでいい」
「……は?」
「許す」
「あはは〜、よかったですね〜、祐一さん。でも、舞もホントはずっと仲直りしたかったんだよね〜?」
佐祐理が突然恥ずかしいことを言い出す。だから照れ隠しに、チョップを佐祐理に食らわせる。
「きゃあ、きゃあ」
かわいらしい悲鳴を上げながら、佐祐理は体を縮める。
明らかにからかわれてるのが分かるので、腹いせにさらにチョップを食らわせる。
「きゃあ、きゃあ」
「その辺にしとけ、舞」
「む……」
祐一に突っ込まれたので、佐祐理へのチョップを中断する。
「それじゃ、お互い仲直りしたということで……これから何かあったら、協力してくれるか?」
「……はちみつくまさん」
「おい……それ、確かアンゼロットが冗談半分に『ハイ』か『イエス』の代わりに言えって言った奴だよな、確か」
「……はちみつくまさん」
「あの女の言うことなんていちいち真に受けるな。身体がいくつあっても持ちやしな……ぐはあっ」
渾身のチョップを脳天に直撃させる。
たとえ祐一でも、アンゼロットの悪口だけは、私は許さない。
アンゼロットは私に取って、最大の恩人なのだから。
彼女のトレーニングのおかげで、私は自分の中の魔物をコントロールできるようになったのは事実。さもなければ今頃、自らの魔物に食われていたかも知れないのだから。
「アンゼロットの悪口は駄目」
「わ、悪かったよ……でも、本当にやばくなったら、手を貸してくれ、舞、佐祐理さん」
「もちろんですよ」
「……当然」
「……ありがとな」
祐一の感謝の言葉と同時に予鈴のチャイムが鳴る。
「っと、ここでお開きだな。それじゃ、またな。舞、佐祐理さん」
「はい。それでは〜」
「……また」
「おっとと、それから言い忘れた」
「……何?」
「名雪たちにも、もうちょっと活躍させてやってくれ。いつこの街で魔王が動くか、分からないんだからな。無名の魔王くらいだったら、手を出さずに見守ってやるくらいにした方がちょうどいいと思うぞ。やばくなったら、手助けしてもいいけど、過保護もほどほどにしないと、害になる」
「……わかった」
祐一の教室:相沢祐一
放課後。クラスのみんなは部活や帰りの寄り道に向かう相談をしているのだろうが、俺はそうはいかない。
何しろ、進級が掛かっているのだ。
今日からみっちりと、補習で時間が埋まる。
担当は、担任の石橋。
「相沢のことは聞いてる。何でも、出席日数が前の学校では芳しくなかったようだな……? 素行は悪くないようだが……」
「いや、まあ、その辺はちょっと察してください、いやホント」
「……まあ、深く追求しても仕方ないだろう。相沢、今日から三学期の間、みっちりしごいてやるから覚悟しろよ」
「う、ういっす」
「よし、じゃあテキストの3ページから……」
それからの時間は苛烈を極めた。何しろ少しでも間違えようものなら石橋の強烈な怒鳴り声が炸裂する。そもそも、俺は授業にろくに出てないものだから分からないところだらけで、授業についていけてないのは、火を見るより明らかだ。なもんで、石橋の怒鳴り声は補習終了時間まで、始終俺の耳を叩く。ああ、いっそこんな補習を毎日受けるんだったら、大人しく留年した方がよっぽど楽だったかもしれないなあ。でもそんな事したら、親父やお袋からの折檻が飛んでくるしなあ。
「……ふー、今日はここまでにしとくか。相沢、明日はもっと厳しくいくから、そのつもりでいろよ」
「あ、あざーっす……」
憔悴しきった声で石橋に礼を言う。マジで疲れた……
よろよろと教室を出て行くと、そこには名雪がちょこん、と立っていた。
「お疲れ様、祐一」
「ああ、マジで疲れた……」
「そうみたいだね。でも、家でも補習……と言いたいところだけど、何でも、お母さんが今日は遅くなるらしいから、なしだって」
「おお! マジか!? 助かったー!」
今日はもう、これ以上の補習はこりごりだ。
「だから、今日は帰りにお夕飯の材料を買っていくから、祐一、一緒に来て」
「おう、今日は何にするんだ?」
「うーんと、ポトフにして、みんなで暖まる料理にしよ?」
「そうだな、あゆも一緒にな」
そして俺たちは、商店街のスーパーを渡り歩きながら、家路に帰っていく。
こんな何もない日常も悪くないな。
そんな事を考えながら、俺は名雪と共に歩いていた。
アンゼロット宮殿:水瀬秋子
「久しぶりですね、秋子さん。最後にお会いしたのは名雪さんがお生まれになる前でしたから……」
アンゼロットは、両手を差し出して、旧い友人を出迎えた。
秋子もまた、アンゼロットの両手を握り返して、それに答えた。
「ええ、こうしてまたお会いできた事を嬉しく思います、アンゼロットさん」
「久しぶりにお会いしたのです。こちらで、紅茶をご一緒しませんか?」
「ええ、是非に」
用意された瀟洒なテーブルと椅子に腰掛け、秋子とアンゼロットは対面で座る。ウィザードの一人が、用意したティーポットを、完璧なマナーで傾け、暖めたカップに注いでいく。紅茶の香りが、その場を支配する。
「すばらしい香りですね」
「ええ、今日の日のために用意した上質のダージリンです。さ、どうぞ」
「ええ、頂きますわ」
秋子はティーカップを口に持っていき、紅茶を口に含む。
「……最高の味ですね」
「我がロンギヌスが用意した紅茶です。当然です」
自慢げにアンゼロットが胸を張る。
秋子はそれをほほえましそうに眺めると、ここに来た本題を切り出す。
「……あゆちゃんはやはりウィザードとしての才能はすさまじいですね。さすがは『大いなる者』、というべきでしょうか」
「やはり、そうですか……」
「ええ、今のところ、わたしの元でその力をコントロールする手段を教え込んでいるところです。それでも、その実力だけでも、おそらくは祐一さんと同等、と見るべきでしょうか」
「そうですか……こちらとしては、一つ、秋子さんの街で魔王級エミュレイターの動きをキャッチしました」
「……どのような?」
「そこまでは……ただ、確実に言えることがもう一つ。おそらく、そちらの街にいると思われる裁定者の存在が関係しているのは確実でしょう」
「…………」
「既に絶滅社のほうは対処に動きを見せています。そろそろ私たちロンギヌスも、何らかのアクションを起こさねばなりません」
「……わたしたちの街で、大きな事件が起こると?」
「ええ、それも世界が危機に陥るレベルの大事件と予想されます」
「…………」
秋子は固唾を呑んだ。もうすぐ、自分たちの街で、世界の危機に繋がるような事件が起こる。そのことに緊張は隠せない。
「……何事も起こらなければよいのですが……」
「そうは行かないでしょう。エミュレイターは今でも、いえ、『世界結界』が弱体化した今だからこそ、世界を滅ぼす計画を着々と進行させているでしょうから」
「……ならば、わたしも動かなければいけませんね。あの街を守るのも、わたしの使命でしょうから」
「ええ、その時はそちらもお願いしますよ」
「そうですね……それと、アンゼロットさん、今のうちに耳に入れて欲しいことが、一つありまして……」
「あら、一体なんでしょう?」
「……今回の生で、わたしの役割はおそらく終わりでしょう」
「…………」
「今まで長らく貴方にお仕えしてきましたが、今回の生を終えたとき、貴方との今生の別れとなりましょう」
「……そうですか。残念です。貴方の入れた紅茶が、もう二度と飲めなくなる日が来ようとは……」
落胆の声を隠せないアンゼロット。秋子とアンゼロットの関係は、こう見えても数千年は続いている。秋子は人間に転生しながら、使徒として、世界を守護してきたウィザードである。身体こそ違えども、魂は常にアンゼロットに仕えてきた。しかし、最近になって、秋子は自身の力の衰えを確実に自覚していた。おそらく、今回、水瀬秋子としての生を終えれば、魂は転生することなく、天へと還るだろうと、秋子は予想していた。
「ですから、今のうちにこうしてお会いして、わたしを忘れないようにしてもらいたいんですよ」
「……大丈夫です。私は、貴方のことは決して忘れません。この世界が闇に堕ちるときが来ようとも」
「……ありがとうございます」
秋子は心から、深々と頭を下げた。アンゼロットは、それを暖かく見届けた後に、自らも優雅に一礼する。
これまで長らく仕えてくれた事への感謝と、労いの意を込めて。
「せっかくですから、わたしの紅茶、久方ぶりにいかがでしょうか?」
「あら、素敵ですね。では、アールグレイをひとつ、頂きましょうか」
「はい」
秋子は慣れた手つきでティーポットを暖め、茶葉を入れ、湯を注ぐ。時間を体感で計り、最適の時間にカップに注ぐ。そして、フレーバーとして、あるものを混ぜ、アンゼロットに差し出す。無論自分の分も忘れずに注ぐ。
「……相変わらずの手際のよさ、すばらしいですよ、秋子さん」
「お褒め頂いて、光栄です」
「では……頂きましょう」
「それではわたしも……」
二人は互いにカップを口につけ、中身を飲み干す。
「……ふう、やはり、アールグレイには、ロシアンティーがいいと思いませんか?」
「…………」
「だから、今日も持ってきたんです。わたしの、手作りジャム。今日は思い切って、これを混ぜてみたんですが、いかがですか? アンゼロットさん?」
「…………」
アンゼロットは答えない。
紅茶を口に含んだままぴくりとも動かない。
口の端から、紅茶が零れている。普段の彼女ならこんな粗相はしないはずだが……
「そうですか、気を失うほど、おいしいということですね。機会があったら、また紅茶に混ぜてみましょう」
秋子は嬉しそうに言う。アンゼロットが微動だにしないのは、無論美味いからではないのに、本人は全く気が付いていなかった。
ガシャン。
テーブルにアンゼロットが突っ伏す。手にしたカップが転げ落ち、中身がテーブルと床を濡らしていく。
「た、大変だー! アンゼロット様が気を失っているぞー!」
「せ、世界結界が! 世界結界が著しい弱体化をー!」
「うわーだめだー!」
ロンギヌスの隊員たちが、ばたばたと走り回る中、秋子はまた、アンゼロットにまた手作りジャムを用意してあげようと思案していた。
Shadow
Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
会澤祐一様への感想は掲示板へ。
戻る 掲示板