注意
このSSはキャラが死ぬときがあったり、キャラの性格が激変したりと、ダークな部分があります。
そういうのに不快感を持つ方は、読むのをおやめ下さい。
夢
夢を見ている
まだ北の街に行ったことがない、幼い自分の夢を
『祐ちゃん、自分がされて嫌な事、考えれば直ぐに分かる事は絶対にやっちゃ駄目よ?』
『悪いことをすれば、それは自分に帰ってくるし、祐ちゃんの好きな周りの人たちも悲しませて傷付けるの。まだ小さいから私が言ってる意味は分かんないと思うけど、覚えててくれるだけでいいの。人を傷付けるような男の子にだけはなっちゃ駄目、絶対に。これ、真琴お姉ちゃんとの約束よ。いい?』
『うん!分かった、約束だよ!!
あっ、そうだ!だったら俺はさ、そいつらが苛める人を守れるような男になるよ!!』
『ふふ。頼もしいわね。それじゃあ、もしお姉ちゃんが苛められてたら祐ちゃんは助けてくれる?』
『あったり前だよ!!!どんな奴がきても、俺がぶっ飛ばしてやるよ!!!』
『ありがとう♪ じゃあ指切りしようね。大きくなっても、今日という日があったことを忘れないためにね………』
『うん!』
『『ゆーびきーりげーんまん、嘘ついたら針千本飲ーーます!指切っ――』』
ガシャンという音が響き、懐かしい夢は終わりを告げた。
その音が聞き慣れた鉄格子のだと気付くのに、不覚醒な頭でも左程時間はかからなかった。
「一号、時間だ。来い」
さぁ、今日も地獄だ。クソったれ。
仮面ライダー
〜Living With You〜
第一話「All night long(中編2)」
真琴姉さんとの再会からしばらくが経った。その間にも身体に変化が起きた。いくら薬を注射されても反応が現れなくなったのだ。おそらく今までの薬が身体に順応してきたということだろう。解剖以外なら何の苦しみも無い。でもそれが、とうとう人間から逸脱してしまったという証拠の様に見えて喜べない。そして意表を付かれた変化が起きた。視力・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の反応向上、爪・毛髪類の成長減退、さらに弱った歯が全部抜け落ちて真新しい歯が生えてきた。次々と現れる変化に俺達の不安は積もるばかりだった。
俺は今日で何度目かになる真琴姉さんの実験室に連れて行かれた。真琴姉さんは相変わらず無表情だった。
「今日は血液検査です。腕を出してください」
もう慣れた検査を受ける。いつも通り一定量の血を抜かれ、顕微鏡で調べて変化をレポートに書き記す。その最中でも彼女の表情が代わることは無かった。
一体、この人は何を考えているのだろう?こんな所にいれば嫌でも人間が変わると思うが、この人の場合、他の研究員の様に狂的な好奇心やモルモットを扱うときの無関心さを見せるというわけでもない。ただ黙々と実験結果を考察し、身体の調子を聞いてくる。そこらの無愛想な医者と変わらない。
「なぁ、
子供の頃に使っていた愛称で呼ぶと、背を向けていた真琴姉さんの肩がピクリと動いた。
「私は君のことなんて知らないと言ったはずです」
「分かってる。あんたは何も言わなくていい。
俺が今から話すことを、聞くだけで構わない」
予想していた応えを受け流し、俺は記憶の底に眠っていた遠い日の思い出を呼び起こした。
「俺がまだガキの頃だ。
俺ん家の近所には年の離れたお姉さんがいて、俺は『姉さん』と呼んで慕っていた。姉さんは知らない事をたくさん知っていて、俺は暇さえあれば姉さんの家に行って一緒に遊んでた」
真琴姉さんは俺の言うとおり一言も喋らず背を向けていたが、レポートを書く手は止まっていた。
「姉さんは人としての『人の痛み』『優しさ』『労わり』『思い遣り』を教えてくれた素晴らしい人で、当時の俺は姉さんに強い憧れを持っていた。
―――――――――きっと、初恋だったんだ」
「姉さんはしばらくして遠くの町に引っ越していった。でも、俺は姉さんの教えを忘れずに今まで生きてきた。全部が全部出来ていたと思えないけど、もし、もう一度逢えた時は、胸を張って『あの時は、ありがとうございました』って言えるような男になりたかったから」
俺の正直な気持ちを背中にぶつける。彼女は何も言わず、それを受け止め続けた。
「真琴姉さん。俺は、貴方が言ったような男になりましたか?」
さっき夢で見たあの日の思い出。
大切な人を守れるような男になれと言った真琴姉さん。
今の姉さんを見ても、あの日の言葉が嘘であるとは思えない。
エリュシオンのせいで仕方が無くやっているんだと思いたい。
例え嘘だとしても、諦めの悪い妄執だとしても、姉さんがこんな所にいるのは事情があってのことだと信じたい。
まだ【人間の心】があって、他の研究員とは違い、罪の無い人達を弄ぶことに心を傷めていると信じたい。
真琴姉さんを………憎みたくないから。
でも、現実は非常で
「話は終わりましたか?
スレイブ、一号を牢に戻して二号を連れてきて下さい。三号と四号は一緒にお願いします」
ようやく顔を向けてくれた真琴姉さんはさっきと変わらない無表情で、スレイブに指示を出して再びレポートに手を付け始めた。
俺は半ば引き摺られる形で引っ張られる。
「ああ、それと言っておきますが」
連れて行かれる寸前でこちらを見ずに言った。
「私はこの仕事に何の罪悪感も後ろめたさも感じていませんので。あしからず」
それは俺の心に僅かに燻っていた真琴姉さんへの期待を粉々にするのに十分過ぎる一言だった。
◆ ◆ ◆
牢が閉まる音と共に、私は顔を上げた。そこには祐一が居たけど、誰も話しかけることが出来ないくらい落ち込んでた。澪がいつものように抱きついても「なんでもない…」と言って寝てしまった。もしかして実験先で酷いことをされたのかしら?………そう思った自分を鼻で笑った。
ここで酷くないことなんてない。毎日が狂った地獄で、自分がまだ人間かどうかも疑わしい世界。そういえば本で読んだことがあったっけ。
『狂った世界では正常なモノの方が異常なのだ』
じゃあ私達は異常なの?そんなこと無い。私達は人間。人の皮を被った人でなしが生きる世界で立ち続ける『人間』。
七瀬留美は、他の皆がそうであるように自分の中にある人間を諦めない。
とにかく祐一が落ち込んでいるのは十中八九あの新しい博士『沢渡真琴』のせいだと思うし、きっとその人に今から検査される。
あの人が初めてここに来たとき、祐一は『子供の頃、近くに住んでいたお姉さん』って言ってた。でも、ただのお姉さんには思えなかった。何回か検査の度に会ったけど、他の研究員とは全く違う雰囲気を感じた。
とにかく聞いてみるしかない。沢渡真琴が祐一に何をしたのか。
祐一の、ために。
「で、私に聞きたいと?」
「そうよ。あなた祐一に何言ったの?もし祐一を傷付けるようなことを言ってたら……」
「言ってたら、どうしますか?」
「どんな実験されても一発殴るわ」
血を抜かれたばかりの腕を沢渡の眼前に突き出す。私は小さい頃から中学まで剣道をしていた。中3の時に腰を痛めて引退してからはやってないけど、10年近くの剣道で身体の作りは強い方だと思う。
沢渡は拳をちらりと見てから軽く溜息をつくと、祐一の時と同じく背を向けながら応えた。
「別にこれといっては。ただ彼の質問に答えただけです。落ち込んでいたのは彼の望んだ答じゃなかったからです」
「本当でしょうね?」
ペンを動かす手を止めて沢渡がこっちを向く。身構えたけど、沢渡は興味深そうな目で見てきただけだった。
「随分と彼を気にしますね」
「何?私が祐一のことを心配したら駄目だって言うの?あんた達にはそんなことを言う権利まであるっていうの?」
祐一を気にするのなんて当然だった。相手が聖さんや澪でも私は同じ質問をしたと思う。
だって、この地獄で心を許しあえる人達なんだから。
「いえ、そういうわけではないんです」
労わりや献身なんてどうでもいいという言葉なのに、そのとき振り返った彼女を見て、私は初めて無表情以外の表情を見た。
微笑んでいた。
相手を侮辱したり嘲笑うようなものじゃなくて、年上の人が時折見せる温かい笑みだった。
正直、この人にそんな表情が出来るとは思っていなかった。
だからかもしれない。さらに話しかけてしまったのは。
「じゃあ何よ?言いたいことがあるなら言いなさいよ」
久しぶりに見た祐一達以外の笑顔に、口調から刺々しいものが抜けたのが分かる。沢渡もこっちに身体を向けた。
「仲間意識より上の物かと思っただけです」
「仲間意識より上?何それ?」
何を言ってるのかサッパリだった。どういう意味か聞こうとしたけど、腕時計を見た沢渡は元の無表情に戻ってしまい、聖さん達に交替しろとスレイブに言った。
なんでそんなことを聞いたのか?
どうしてそんなことを言ったのか?
それだけは聞きたかったけど、スレイブに立たされてしまう。
その時、彼女が私にしか聞こえない程の小さな声で言った。
「彼を…祐ちゃんを」
え?と、全てを聞き終わる前に部屋から連れ出された。
◆ ◆ ◆
戻ってきた留美君は納得出来かねているような顔つきだった。
「聖さん。私、沢渡って人が分からない。やたら人間臭いし、最後に祐一に何か伝えたかったみたいだし。これ、どう思う?」
今の会話は幸い(?)にも寝ていた祐一君には聞こえてなかった。しかし祐一君に何を伝えたかった?祐一君から沢渡さんについては聞いていたが、彼女からそんな台詞が出るとは思わなかった。何か裏で画策しているのか?いや、そんな大事なことをわざわざ仄めかす必要なんて無い。
一体どういうつもりだ?あの人は。
『どうしたの?』
そんな私を心配そうに下から見上げる澪君の頭を「何でもない」と撫で、私達は研究室に連れて行かれた。
「四号の通訳、今日も頼みます」
「ふん。貴方達は喋れない澪君に実験以外のことをするかもしれないからな。傍につくのは当然だ」
注射針が抜かれた部分を押さえながら憮然と言う。澪君も同じく押さえているが痛がっている様子は無い。慣れだろう。嫌なものだ。
『沢渡さんは、留美さんに何が言いたかったの?』
「澪君……」
口の動きから言いたいことを読む。声が無かったから良かったものの直球過ぎる。しかし容姿に似合わずその視線は鋭く、この狂った世界でも唯一笑顔を絶やさない彼女の強さを垣間見ることが出来た。
「四号は何と言いましたか?」
「君が留美君に何を言いたかったか気になっているようだ」
「……………」
急に黙り込んだ。ついと澪から目を逸らし、あらぬ方向を見て話をウヤムヤにしようとしているのが分かる。こっちは伊達に医者をしてはいないのだ。こういう状態になった人が何を思っているくらいは察しがつく。
「ここでは言いにくい事なのかね?」
「……………」
「私が思っているような、物騒なことではないようだね」
「……………」
「……貴方はここにいる他の研究員よりはまとものようだ」
沈黙という名の肯定。時として沈黙は万の言葉よりも雄弁となる。本来の関係とは逆になった形で聖の質問攻めが行われたが、沢渡は断固として質問に答えなかった。聖も沢渡の真意を聞きたかったが、もうすぐ時間に限界が来る。駄目かと思ったとき、沢渡の目線の先に立つ者がいた。
その小さな身体に計り知れない強さを持つ、頭の後ろのリボンがトレードマークの少女が。
『なんで、そんなに辛そうなの?』
喋れずとも視線が想いを乗せて沢渡を貫く。しばらく睨み合う形になったが、先に折れたのは沢渡だった。軽く舌打ちし、椅子を回して再び背を向ける。その背中を澪と一緒に見つめながら、聖は静かに口を開いた。
「……私も医者の端くれだ。沢山の人達を見てきた。
病気で苦しむ人。
患者を心配する遺族。
全快し、喜んで出て行く人。
軽い怪我だと知ってホッとする人。そして
心に、悩みを持つ人」
最後の言葉に、沢渡が目だけを聖に向けた。
「私に、貴重とはいえモルモット如きの扱いに良心の呵責があると?そんなもの「だったら!」
「だったら貴方は、なぜ、そんなに、泣きそうな顔をしている!」
ゆっくりと、だけど強く言う。
私の言葉に澪君も沢渡の顔を見て、少しの驚愕と一緒に視線を緩めた。
自分とそう変わらない年齢の女性が、口をへの字に曲げて泣くのを我慢していた。背を向けたのは、それを見せないため。
本来、人間性が消え失せるこの場所で彼女はまだ人間らしさを残している。そんな人を無視できるほど、私はまだ医者を……人間を捨ててはいない!
「頼む。教えてくれないか?祐一君に何を言いたかったか、本当にこんなことをして平気でいられるのか!」
最後のは個人的なことだった。祐一君と同じという訳では無いが、私もこの人を信じたくなったのだ。しかし、帰ってきたのは望んだ応えとは程遠いものだった。
沢渡はいきなり手を机に叩きつけ、椅子を蹴って立ち上がった。乾いた音が澪君と私を怯ませ、その音に反応したスレイブが数人、部屋に駆け込んできた。
「明日は被検体への最終調整を行います!!非常に苦痛を伴うであろうことが予想されますが、必ず耐えるように。そしてこの事を一号と二号にも報告しておいてください。以上!!
スレイブ!!!何をしているのですか!!!早く2体を牢に戻しなさい!!!!!!!」
沢渡はらしからぬ怒声でスレイブを動かした。まるで、さっきまでの会話を無かったことにしたいようにも見える。
聖と澪はスレイブに命令通り手早く引き摺り出されていく。ただ、二人が沢渡を見る目は部屋に来たときより柔らかいものになっていた。
バタンとドアが閉められ一人だけとなった沢渡は、備え付けのベッドに幽鬼の様な足取りで腰掛けると、両膝に顔を埋め
「みんな、ごめんなさい…」
静かに涙を流した。
◆ ◆ ◆
祐一は聖と澪から沢渡の事を聞き、少し安心していた。
やっぱり彼女の心の奥深くには、まだ人間らしさが残っていたんだ。良かった、本当に良かった。
そう、安心していた。
蘇りつつあった彼女への信頼が、裏切られるということも知らないで。
いつもの薄暗い牢の前には、真琴姉さんと研究員を含むスレイブがいた。実験工程の最終チェックをしているみたいだったが、昨日の夜から俺を抜かす3人は体調を崩していた。いつもの症状より軽くはあったが、最悪と聞く最終調整に耐えられるとは到底思えなかった。下手をしなくても死ぬのが分かる。
だが奴らはそんなことはお構い無しに実行に移そうとしている。あいつらにモルモットにかける情があるわけない。俺は聖さん達にそんなことをさせないため、自分が出来ることを考える。
ある。
確かにあるが、それは俺自身が死ぬ危険も孕んでいる。
祐一の心の中に迷いが渦巻く。自分だって死にたくない。
でも早く行動に移さないと実験が始まって、みんな死ぬかもしれない。
どうする?どうする!?と迷いながらもう一度みんながいる後ろを見て
そんな事を考えている自分がどうしようもない馬鹿に見えた。
ベッドの上で痙攣する身体を抑える聖さん。
玉のような汗を浮かべて呼吸を荒くする留美。
悲鳴を上げる神経の痛みに耐え続けている澪。
迷いなんて、一瞬で消えた。
「待ってくれ!!」
牢に掴みかかり、実験工程の最終チェックをしていた真琴姉さんに叫んだ。
「今あいつらは身体の調子が悪いんだ。だから今日の実験は勘弁してやってくれ!代わりに俺がみんなの分を受けるから!!!!」
祐一の提案に研究員達が騒ぎだす。それを聞いていた聖達は動かない身体を無理やり動かして祐一を止めようとするが、祐一はそれを無視した。
真琴姉さんは暫く逡巡し、答を出した。
「良いでしょう。今回限り二号、三号、四号の最終調整を見送り、代わりに四人分の調整薬を打たせて戴きます」
「約束、だぞ」
真琴は頷くと、提案通り祐一だけを牢から連れて行く。それを身体を引き摺ってきた聖達が見ていた。
祐一は顔だけを向け『大丈夫だ』と微笑んだ。
三人は久し振りに祐一が笑ったのを見た。
身体が重い。
視界は歪んで気持ち悪いし、呻き声に聞こえる不気味な幻聴が耳を打つ。
先程と同じ研究者メンバーに支えてもらっているが、自分で歩いている感覚は無く、歩きながら這っているような感覚で自分でも何が何だか分からない。
碌な呼吸が出来ず、いくら酸素を吸っても足りないので結果的に荒い呼吸となる。投薬はそれくらいきついものだった。只でさえ発狂しかねない苦しみを与える薬を四人分打ったのだから、当然といえば当然だ。でも命はしっかりとあるし、こんなことを考えれるのだから頭も正常だろう。この苦しみも3人が死んでいたかもしれないのなら安いもんだ。薄暗い廊下を曲がればいつもの部屋。さっきは皆に心配させてしまったから大丈夫な姿を見せれば安心してくれるに違いない。門番のスレイブに押し込まれるように入れられる。
「みんな、ただい…」
信じられない光景だった。
出ていく時より、症状が悪化している三人がいたのだ。
駆け寄って皆に話しかけても応えることすら出来ず、ひたすら荒い呼吸を繰り返す。こんな症状は今までに一度もなかった。
待て
これと似た症状を俺はいま体験したばかりじゃないか。
まさかと思い、三人の袖を巻くってみると、そこにあったのは
新しい注射痕
「お…お前らああああああアアアアアアアっっ!!!!」
薬で胡乱とした頭でも、皆が何をされたか一瞬で理解できた。歪んでいた視界と脳が怒りで正常に戻る。もつれる足で、叫びながら鉄格子に掴みかかった。
「約束が、約束が違うぞ!!みんなの分を俺が全部受けるから、三人には実験をしないって約束だったろぉっ!!!!」
血を吐くように叫んでも研究者達は怯まず、ウルサイといわんばかりに顔をしかめた。
「真琴姉さん!!あんたやっぱり変わっちまったのか!?こんな事して何も感じないような人でなしになっちまったのかよ!!!」
もう人目なんて阻からず昔の愛称で呼ぶ。でも真琴姉さんは一番後ろで俯いたまま何も言わなかった。
拳を振り上げ鉄格子を殴りつけると、ガシャンという無機質な音が鳴った。
ガシャン
ガシャン
ガシャン
何度も、何度も殴る。
その音が、まるで積みなおされていた信頼が崩れ落ちていく音にも聞こえた。
だが『バチン』という音と一緒に激痛が全身を駆け抜け、俺は崩れ落ちた。何が起きたんだと火花が散る視界を見れば、スレイブがスタンガン付きの電磁警棒を向けていた。真琴姉さんは来た道に踵を返し、それに続いて他の研究員達も引き返していく。そして最後の一人が見えなくなる前に吐き捨てていった。
「なぜ、モルモット如きの約束を守らなければいけないんだ」
◆ ◆ ◆
祐一は三人を抱きしめた。ブルブルと痙攣する三人へ出来ることといえばこれ位しかなかった。三人の意識はほとんど無いのに、身体が覚えているのか祐一の服を掴んで放さなかった。
三人の温もりを感じながら、ぼやける頭で考えた。
なぜこんなことになった?
なにか悪いことをしたからか?
そう考えて、思い当たる節があった。
もしかして、これが償いだと…罰だとでもいうのか?俺が名雪達に犯した罪への罰なのか?それなら構わない。当然の報いだって思える。でも、この三人には何も無いだろ!?例えあったとしても、こんなに惨いことをしなくてもいいだろ!!!
今まで考えないようにしていた理不尽な運命への怒りが、ゆっくりと鎌首をもたげてくる。心の奥底の暗い部分が沸騰し始め、生まれて此の方感じたことの無いモノが込み上げてくる。
畜生ちくしょうチクショウ絶対に許さない皆をこんな目に合わせたことをいつか必ず後悔させてヤル絶対絶対絶対にだ この身体が人外に変わり果てても心がムシケラ以下になってもナニがあっても絶対に忘れるモノカ 例えどんなに遠くに行ったって追いかけてヤル地の果てだろうが地獄の底だろうが追い詰めて追い詰めて追い詰めて俺達にしたような恐怖と苦痛を何十倍にも何万倍にもして味あわせてやる アアアアその時こいつらはドンナ顔をするだろう考えただけで胸が躍る そうだそうだ奴らが悲鳴を上げてのた打ち回る姿を思い浮かべろ それはとてもとてもとても―――――――!
頭を駆け巡るエリュシオンへの怨嗟。身体の芯からゾクゾクと駆け巡るそれが、本物の【憎悪】だと分かるのに大して時間はかからなかった。意外だったのはそれが思っていたほど不快ではなく
むしろ楽しくて
堪らなく気持ち良くて
ともすれば笑い声をあげたくなるくらい愉快で
そのままゆっくりと口の両端が釣りあがっていき
『祐一……さん』
澪の息遣いで意識を引き戻された。
腕の中で中央にいた澪はゆっくりと顔を上げ、言葉の『形』を紡ぎだす。
『今、祐一さんが怖かったの』
「な、なに言ってんだよ澪。俺はなんにもしてないぜ?」
態度には出さなかったが、祐一は澪の身体が人間の限界を超えた熱を持っていることに気付いた。それが更に心の闇を広げ、呪いを謳いだす。
澪は祐一の荒れる心を感じ取ったのか、両手で祐一の胸元を掴んだ。
『違うの。
何だか祐一さんが遠くに行ってしまいそうな感じがしたの。もう目の前から誰かが居なくなるのは嫌なの………嫌なの』
ギュッと強く握り締め、その大きな目で祐一を見つめる。
まるで祐一をどこにも行かせないように。自分のそばから、この世界から消させないように。
祐一はその言葉と視線で心を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。
さっき自分はどんな顔をしていた?エリュシオンへの憎悪を滾らせていたとき、どんな表情をしていた?
ワラっていた。嗤っていたんだ。命を奪うという行為を夢想して悦んでいた。
それに気付いたとき、祐一は自覚した。
俺はもう――――――壊れている
そんな自分に自嘲して、また口が三日月を描こうとしたところで澪の両手が頬を包み込んだ。
『駄目、祐一さん。ダメなの』
再び憎悪に飲まれそうになった祐一が見たのは、両目に涙を溜めながらも懸命に笑顔を作り続ける、健気な澪の姿だった。
澪の真摯な想いが、両手の温もりと共に心の中に染み込んでくる。
『笑って。
笑うと、あったかくなるの。
どんなに辛くても、まだ大丈夫って、頑張れる気になれるの』
そう言って浮かべた微笑みは、とても綺麗だった。
さっき自分が浮かべていた笑みが、なんと醜かったか。
俺は何をしている。
自分より年下の女の子がこんなに頑張っているのに、なに自分だけ壊れて楽になろうとしているんだ?そんな自分が堪らなく嫌になった。でも、本当に不思議に思う。俺達四人の中で一番年下で小さい身体なのに、そのどこに笑顔を絶やさないでいられる強い心を持っているのか。
自分だって怖いはずなのに、皆を心配して笑顔で有り続けられる意志を持てるのか。
澪は黙り込んだ俺を不思議そうに見てから、やっぱり微笑んだ。
美しくて、澄んだ、尊い笑顔で。
唐突に、祐一の目から一筋だけ涙がこぼれた。それはゆっくりと頬をつたい、澪の手を濡らす。
『祐一さん、泣いてるの?』
「泣いてなんか…ない。水だ」
これ以上涙が出ないよう、声を押し殺して言う。
強がりだった。叩けば直ぐに砕け散る、やわで薄っぺらい強がり。
心が語りかける。この笑顔を守りたい。誰よりも澄んだこの笑顔を守りたい、と。でも、出来ない。
相手は人智を超えたバケモノで、ただの人間の力なんて何の障害にもならない。そう考えると、無力な自分自身が許せなくて、悔しくて、肩が震えた。澪はそれを俺が薬の副作用のせいで寒くなったのかと勘違いし
『祐一さん、寒いの?』
そう言って俺の頭に両腕をまわし、抱えるように抱き締めた。
『こんな小さな身体だけど、祐一さんの身体くらいは暖めることが出来ると思うの。どう?あたたかい?』
耳が澪の胸に押し当てられ、服の上からでも澪の異常な体温が感じられた。だが、もう一つ感じられるモノがあった。トクントクンと、澪の心臓の音が伝わってきた。静かな地下牢に流れる、俺しか聞くことの出来ない【命の音】。
(生きてる…生きてるんだよな…こうやって、トクントクンって鳴って…生きてるんだよな?
無くしたくねぇ。無くしたくねぇよぉ…なんでなんだよ、神様は何でこんなに良いヤツから真っ先に不幸にするんだよ……!)
澪はしばらくすると腕を外し、頬を祐一の胸に摺り寄せた。ふわりと女性特有の甘い香りがし、トレードマークの大きなリボンが揺れる。
『もし、また寒くなったら言って欲しいの。コレくらいなら幾らでも出来るから。だから、もし澪も寒くなったら同じことして欲しい…の』
俺を見上げて小さく笑ってから、はにかんで言う。
「あったり前だ。いくらでもするぞ。
こんなことに許可なんていらないんだ。後からだろうが前からだろうが抱きついて、好きなだけ暖をとってくれ」
俺は今できる精一杯の笑みで答えた。すると澪は花のような笑みになり、両手を身体に回して抱きついて、言った。
『祐一さん――――――――あったかいの』
限界だった。
心の堤防と涙腺が崩れ落ちる。
声は上げなかったけど、涙だけは滝の様に流れ続ける。
失いたくない!
失いたくない!!
失いたくない!!!
この温もりを、優しさを、笑顔を、失いたくない!!!!
心が叫ぶ。自分はどうなってもいいから、澪達だけでも助けてくれと。下らない妄想だって思われてもいい。今、世界で一番無くなっちゃいけないのはこいつらなんだ!!!頼む、なんでもいい!こいつらを助けてくれ!!!!
叫びはやがて祈りとなって、心の中でこだまする。
『だれか、助けて』と。
願いが聞き届けられたのかは分からない。そう思った途端、投薬の影響か急激な睡魔が襲いかかり、俺を眠りの底に引き摺りこんでいった。
ただ、最後にふと理解できたことがあった。
俺はさっき【神様は何で良いヤツから真っ先に死なせるんだ】と思った。でも、それは当然だったんだ。
この世界の神様は、エリュシオンの
Shadow
Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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