「つーわけだ、これも深山先輩のためってことで、一つよろしく」
夕方。
舞と佐祐理さんを除いた俺たちは帰宅後、折原によってロビーに集められ、雪見さんがシャドウの声を聞いていること、保護する名目で、舞と泊りがけで勉強会をすること、そのためには舞と佐祐理さんが喧嘩している振りをしていることを伝えられた。
「それについては大体分かったけど……」
留美が折原の説明を終えてから、口を挟んだ。
「もーちょっとましな言い訳思いつかなかったわけ?」
「まー、それは……なんとなく口からすらすらと出てきたんだよ! しゃーないだろう!」
「逆ギレするな! どアホ!」
「まあまあ、七瀬さん……」
怒鳴る留美を、長森さんがなだめる。
「ところで、他に声を聞いてる人はいなかったの?」
香里が最もなことを聞く。
「そうだな、少なくとも俺の方では先輩以外は聞いてない。澪は?」
『同じなの』
「ということは、護衛対象は深山先輩一人ってわけか……」
斉藤は深くソファにもたれかかる。
「どうやら、演劇部全員が声を聞いてるってわけじゃないわけだな……」
「だろうな。しかし、放置していれば、もっと被害者が増えていくかもしれない」
「うん、わたし達は深山先輩を全力で守ることを考えないとね」
ガッツポーズをとって名雪は気合を入れる。
「ところで、舞と佐祐理さんはどうした?」
「倉田先輩は時間潰しで外に出てもらってる。川澄先輩は今頃、深山先輩を迎えに行ってるとこだ」
なるほど、道理で遅いわけだ。
「ちなみに作戦間の間以外はなるべく倉田先輩と川澄先輩には一緒に行動するのを控えてもらうように言ってある。これはみんなも了承してくれ」
「徹底してるなー」
北川が軽口で言う。
「仮にも演劇部の部長だぞ。どこでぼろが出るか分からんからな」
「それじゃ、川澄さんがそのまま深山さんの護衛を兼任してもらった方がいいな。帰ったら、そう伝えよう」
「んじゃ、その方向で決定ということで、よろしく!」
『はー……』
折原の思いつきに巻き込まれる形になった俺たちは一斉にため息を漏らした。
P-KANON ACT.15
「ただいま帰りましたー」
明るい声で佐祐理さんが寮に帰ってきた。
その様子からは、決して舞と喧嘩してるようには見えない。
「舞はまだですかー?」
「ええ、帰ってませんよ。もうしばらくしたら、雪見さんと帰ってくるらしいです」
「はぇー、そうですか。ふー……」
佐祐理さんが疲れたようなため息を漏らした。
「……随分疲れてるようですけど、大丈夫ですか? 佐祐理さん」
「あははー、大丈夫ですよー。ちょっと慣れないことをした疲れが、一気に来ちゃいまして……」
「……何してたんですか?」
「昼休みからずっと、舞と喧嘩した振りをしていましたから」
「そ、そうなんですか?」
「はい。午後の授業からずっと口を利いてません。だからクラスの皆さんも、佐祐理たちが昼休みに、何か喧嘩したようには見えるはずです」
そ、そうだったのか……
「深山さんとは別クラスですからね。急ごしらえの手段としてはこの程度でいいはずです。後はなるべく寮内でぼろを出さないように気をつけるだけです」
佐祐理さんは折原のアイディアにすっかり乗り気だ。
が、しゃべり終えた佐祐理さんは、ちょっと困った笑みを浮かべた。
「でも、しばらく舞と一緒にご飯を食べられないのがちょっと寂しいです」
「大丈夫っすよ、先輩。ちゃちゃっとシャドウを片付けて、また、川澄先輩と飯を一緒に食えるようにしますよ」
発想者が何を言うか。
あきれ返る俺の携帯が鳴る。着信者は、舞。
「舞、どうしたんだ?」
『……もうすぐ帰る。雪見も一緒』
「……そっか。早く帰って来いよ」
『はちみつくまさん』
それだけ言うと、舞は電話を切った。
「佐祐理さん、もうすぐ舞が帰ってくるそうです」
「そうですか。では、佐祐理はしばらく部屋に篭ってます。今日のご飯は皆さんが食べ終わった後に食べますから」
佐祐理さんは、それだけ言い残すと、自室へ帰っていった。
舞が雪見さんを連れて、寮へ帰ってきたのは、その直後だった。
雪見さんは、寮長の秋子さんと対面して何事か挨拶をしているようだ。
雪見さんからすれば、寮生でない人間が、泊りがけで勉強会など普通は認めないだろうと思うだろう。
しかし俺たちは知っている。どんな無茶なことであっても秋子さんはきっと
「了承」
というと分かってたから。
さすがに慣れてない雪見さんはあまりの決断の早さにちょっと驚いたりしてたけど。
「では、しばらくは舞さんと相室でよろしいかしら?」
「は、はい……それで構いません」
「ごめんなさい。こちらも部屋を用意したいのですけど、何分部屋数も限られてしまってまして」
「いえ、むしろこちらの方が押しかけるわけですから……その言い方はおかしいかと……」
すっかり態度がしどろもどろになっている雪見さん。
秋子さんも、そんな雪見さんの様子に、柔らかい笑みを浮かべて、
「何も気にしないで結構ですよ。自分の家と思って、くつろいでくださいね?」
「は、はい……ありがとうございます」
そんな秋子さんに、すっかり緊張も解けたのか、自然体となって一礼する雪見さん。
「よっし、そうと決まれば! 秋子さん、俺、腹減りましたー」
「ふふ、分かりました、今日は一人分大目に作らないといけませんから、少々時間が掛かりますよ」
「あ、じゃあ、俺、手伝います」
「あらあら、助かります英二さん」
「むしろこういうときに役に立たないといけませんから」
「では、お言葉に甘えましょうか」
「うっす」
秋子さんと斉藤が、厨房へと消えていくのを見て、雪見さんが、はあ、とため息を漏らした。
「どうしましたか? 深山さん」
久瀬が雪見さんをいたわるような口調で聞いてきた。
「あ、ううん。大したことじゃないけど……こんなに賑やかな寮なのに、倉田さんと川澄さんが喧嘩だなんて、未だに信じられなくて……」
「……まあ、彼女たちも人ですから。意見がすれ違えば、喧嘩にもなるし、殺し合いにもなる。そんなものでしょう」
「……随分シビアな意見ね」
「まあ、そういう考え方もある、というだけですよ」
苦笑いを浮かべる久瀬。
それに対して、雪見さんは、ふと、顔を暗くする。
「……でも真理かも。つまらない事で喧嘩して、気が付いたら、友達をなくしてるなんて、どこかの誰かさんみたい」
「…………」
しまったと言う顔つきをする久瀬。俺たちに目配せして、どうにかフォローしてくれ、と訴える。
しかしこの状況で誰がどう言っても、フォローどころか、逆効果になりそうで、誰も口を開けない。
そこに、
「すみません、瑞佳さん。英二さんが手を切ってしまいまして……絆創膏を持ってきてくれないでしょうか?」
「あ、はい! 行って来ます!」
秋子さんの要望に、慌てるように応え、長森さんは救急箱を取りに、ロビーから消えていった。
「名雪、ちょっと手を貸してくれないかしら? ご飯の盛り付けが終わりそうにないの」
「あ、うん、分かったよ」
「ごめんなさいね、雪見さん。もうしばらく、ご飯の方はお待たせしちゃいますね」
「あ、いえ、お気遣いなく……」
あ。
……ひょっとして、秋子さんなりにこの雰囲気を和らげようとしてくれたのだろうか?
気が付けば、どこか重苦しい雰囲気は消え、和らいだ、とまではいかないが、誰もが簡単に口を開きやすい状況にはなっている。
そして、そのチャンスを逃さんと動き出したのは、もちろん、この男。
「深山先輩、川澄先輩に勉強教えるついでに、俺にも勉強教えてくれませんかね」
「はあ? 何考えてるの折原?」
「いやー、俺も赤点寸前だからさ、これもいい機会だし?」
「なーにほざきやがる。普段から勉強どころか、むしろ俺らの邪魔ばかりしてる奴が」
「だからこそ! 俺はお前らを超えられるときは、進んでチャンスをものにする! これぞ俺のクオリティ」
「訳分からんわ! ボケ!」
「ぷっ」
雪見さんが俺たちのやり取りを見て、面白そうに噴出す。
「あ、貴方たちって、毎日こんな風に生活してるの?」
「まあ、毎日と言うほどではないですけど、いつもはこんな感じなんですよ。だから雪見さん、今だけ、この寮にいる間だけは、深刻に物事を考えないで、気楽にいきましょうよ」
「そうね……貴方たちを見てると、深刻に考えてる自分が、なんだか馬鹿らしくなってきちゃう」
「そうそう、深山先輩、世の中頭空っぽくらいが丁度いいんですよ」
「お前は空っぽにも程があるけどな」
「おおう、鋭いツッコミ。それこそ相沢クオリティ」
「だから訳分からねーよ!!」
しかし、結果的に雪見さんが俺たちになじんでくれたのはいい傾向だろう。
……もしかして、折原の奴は狙ってやったのかもしれない。
まあ、単に何も考えてないだけかもしれないけどな。
「お待たせしました。皆さん、ご飯が出来ましたよ」
丁度その時、秋子さんの声がロビーに届いた。
『はーい』
俺たちは声を合わせて返事をした。
いつもの佐祐理さんの指定席は、やはりぽっかりと空いていた。
それだけの事のはずなのに、どこか寂しく感じるのは、俺だけじゃないはず。
実際、名雪は、佐祐理さんの席をしきりに気にしている。
「やっぱり全員が揃わないと寂しいですね……」
ポツリと秋子さんが苦笑いと共につぶやいた。
「川澄先輩、やっぱ、仲直りした方が……」
そして元凶であるはずの折原が、舞に向かって、白々しく言う。
「……いや」
「いやって、川澄先輩、子供みたいな言い方はさすがに……」
「佐祐理が悪い」
「……やっぱ駄目か……」
はー、とため息を漏らした折原。
「すいません、深山先輩、ここしばらくこの調子でして……」
「……大丈夫よ。気にしてないから」
「そうですか、すいません……」
平坦する折原。よくもまあ、ここまで白々しい演技ができる事できる事。自分がけしかけておいて、ここまで言える奴はそうはいないだろう。
どうやら、そんな事を思っていたのは俺だけではなかったようで、さっきの折原の台詞に、苦笑を隠しきれてないのがちらほら。
「……ごちそうさま」
雰囲気に耐え切れなかったのか、自分が食べ終わった事を報告するためなのか、舞が足早に立ち上がり、席を離れた。
二つ分の空いた席が、いつもの賑やかな雰囲気をますます寂しくさせる。
それを感じたのか、舞が食べ終わったのと同時に、席を立ち上がる面々。
そして、久瀬が食べ終え、席を離れる直前、俺の後ろで、小声で囁いた。
「あとで作戦室へ」
無言で、了解の意思を伝え、俺もさっさと食事を終えると、久瀬の指示通りに作戦室へ向かった。
「今日から、川澄さんは、深山さんの護衛も兼ねて、しばらくは同じ部屋で寝食を共に過ごしてもらう。こうして会議にも当分は出席できないが、その辺の話はすでに川澄さんのメールで連絡済なので、問題なし。当面、川澄さんの穴は折原君に担当してもらう。それから、しばらく僕はオペレートに集中することになる。折原君の穴埋め要因として英二にがんばってもらうためだ。このプランに異存があるものは挙手を」
誰も手を上げない。
すなわち、久瀬のプランに反対するものは誰もいない、ということだ。
それを確認し、久瀬は次のプランを打ち出す。
「今日からしばらくは、常春学園演劇部部室周辺を重点的に調査したいと思う。相沢君、折原君の報告によれば、川名さんが姿を消したのは、演劇部小道具倉庫――密室の状態から忽然と姿を消したとのことらしい。詳細を調べ上げる必要があるが、おそらくは“巣”に巻き込まれたものと推測される」
「ちょっといいかしら?」
「どうぞ、美坂さん」
「“巣”と言ったけど、具体的にシャドウの巣というものは、どのようなものなの?」
「これについては実際に体験してみるのが早いだろう。今回、相沢君のチームも含め、街中のシャドウ討伐はいったん中止し、全チームを演劇部部室の調査に回そうと思っている。今朝、倉田さんは相沢君たちにはまだ早いとは言っていたが、状況は予断を許さない。この際、相沢君たちにも参加してもらおうという意図だ。何か他に意見があるなら、今のうちの挙手を」
「それじゃ、いいかな?」
「長森さん、何か意見でも?」
「うん、意見と言うより、全部のチームを合流させるなら、そこからもう少しだけバランスを考えたパーティ構成にするべきだと思うんだよ。相沢君チームが弱い、と言うわけじゃないけど、明らかにバランスを考えると、経験者のパーティに混ぜて、少しでも身を守れる状態にして、みんなの安全を考えたいんだよ」
「ふむ……」
久瀬があごに手を当てて、長森さんの意見をじっくりと吟味する。
熟考して、しばらくし、久瀬は顔を上げて、
「その案を採用しよう。やはり、安全性に勝るものはないからな。反対意見はあるか?」
「…………」
「おいおい、今のは特に相沢君たちが反応しないとまずいぞ」
「いや、長森さんの意見は間違っていないからな。俺たちが経験不足なのはいやでも分かる。だったら、俺たちが反論する意味はない」
「なるほど。相沢君も考えた結論だったと。他のみんなは?」
「いや、俺も悔しいが相沢と同意見だ」
「同じね。経験不足は一朝一夕で補えないもの」
「うん、わたしも同じだよ」
「……反論したいですけど、いい言葉が見つかりません」
「では、滞りなく、長森さんの案件を採用する。他に意見は?」
誰も手を挙げるものはいない。
「……それでは今日の作戦会議は以上だな。それでは、今から午前0時までに準備を整えて、学園校門に集合、影時間に入り次第、作戦を開始する」
「……雪見、ここは?」
「ああ、ここはこの公式を当てはめて……ほら、こうすると、aに3が導き出せるでしょ。それからaに3を代入すれば、あとは……」
「分かった。ありがとう」
舞は雪見を引き止めるためということで、勉強を教えてもらっていた。
熱心に教えてくれる雪見に対して、舞の心に、ちくりと罪悪感が募る。
そして、この後の行動も……
「……雪見、喉渇かない?」
「……そうね、ずっとしゃべりっぱなしだから、ちょっと喉が渇いたかも」
「待ってて。紅茶、入れてくる」
「ありがとう、川澄さん」
舞は茶だんすから、ティーパックを二つ取り出し、それぞれ用意したマグカップに投入し、湯を注ぐ。
紅茶を入れている間、雪見と紅茶の前に、舞が立つ事で、わずかな死角が生まれる。
そこに、舞はあらかじめ用意した、強い眠気を誘うマイナートランキライザーを、砂糖と一緒に、片方の紅茶の中に混ぜる。
「お待たせ」
「ありがとう。川澄さん」
何の疑いもなく、睡眠薬入りの紅茶を受け取る雪見に、舞はまた、ちくりと胸が痛んだ。
学校の校門に、警備員が、じっと侵入者が来るのを拒むかのように立ち尽くしている。
その様子を、影で伺いながら、俺たちはそれぞれ、前もって合わせた時計を確認する。時刻は23時58分。もうすぐ、0時……
そして、その今日もまたその時間はやってきた。さっきまで立っていた警備員は、棺型のオブジェとなり、俺たちが浸入しても気づくこともない。
俺たちは始めて、影時間の学校に突入した。
「夜中の学校って不気味と聞くけどよ……影時間のときじゃそれも殊更、だな」
「馬鹿なこと言わないでよ、北川君」
「さすがにこれだけの人数で一斉に行動すると、うちの活動って、結構大規模だったんだな、って改めて実感しますね」
「確かに……」
「おーい、随分余裕だな、お前ら」
呑気な俺たちに、斉藤がたしなめるように口を挟んだ。
「いや〜、逆逆。しゃべってないとなんか、不安でさ〜」
「本当かよ……まあ、いいけどさ」
北川の言い訳に疑わしげな目を向けつつも、それを流す。
「今回はあくまで様子見だな。あんまり深入りはしないで、入口付近の探索をメインにしたほうがいいだろう。まずは敵の戦力と規模を見極めるのが先決だな」
「おい、斉藤。それじゃみさき先輩はどうなるんだよ?」
「……おそらく功を急いてもろくな事にならない。悪戯に被害を拡大するだけだ」
「…………」
「そんなに睨むな、折原。見捨てるって言ってるわけじゃない。ただ、今日は無理だと言う事だけは言わせてくれ」
「……分かったよ」
「浩平、ふてくされちゃ駄目だよ。斉藤君だって、苦渋の決断で出した結論なんだから」
長森さんが優しく諭すが、折原はすっかりふてくされてしまい、長森さんの説教に、そっぽを向いてしまった。
その様子を見て、ため息を漏らす長森さん。
「……長森さんも大変だな」
「大丈夫だよ。浩平は、頭ではちゃんと分かってるけど、素直になれないだけだから」
「ほんと、よく見てるな……」
「付き合い長いからね」
「おーい、話をするのはいいが、着いたぞ」
斉藤の台詞に、会話を打ち切る。
件の演劇部小道具倉庫。一見すれば、そこは単なる小道具倉庫にしか見えなかった。しかし、その奥から溢れてくる得体の知れないこの妙な気配は……なんだ?
「何だ、この異様な気配……背筋が寒くてしょうがねえ……」
どうやら北川も、俺と同じことを考えていたようで、ストレートな脅威を口に出す。
「ここからは一切気を抜くなよ。雰囲気に飲まれたら終わりだからな。行くぞ」
斉藤は合図と同時に、
こっそりと借りてきた小道具倉庫の鍵を差し込み、回す。
そして、重たげな引き戸を一気に開け放ったとき。
そこは、俺たちが目にしたことのない、異様な空間と化していた。
Shadow Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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