「どうでしたか? 久しぶりの家族の会話は?」

 秋子さんが聞いてきたが、今の俺にはそれに答えられるほど余裕がない。
 七年前の俺に……何があったのか知りたい。
 だが。果たして、目の前にいる彼女は、俺に全てを話してくれるだろうか?
 答えは……
NO
 分かってる。分かってるんだが、抑えが利かない。

「秋子さん、教えてください……」
「……それは七年前のこと、ですか?」
「…………!!」
「ふふ、顔に書いてありますから」

 微笑む秋子さんだが、その笑みにはどこか陰りの様なものが見えたのは俺の気のせいか……?

「……そう、大したことではありませんよ。私の夫と……香里さんのお父さんが行方不明になった。それだけです」

 ……なんだって?
 それだけのことが七年前にいっぺんに起きているのか?
 それは……いくらなんでも出来すぎだ。

「夫が行方不明になった日からでしょうか……祐一さんは、義兄さんに、しきりに早く帰ろうと言い出してきたんです。こちらの方も、夫の行方不明のごたごたもあって、祐一さんたちは早く帰ることになった……真琴さんにはそう話しています」

 そう、それだ。
 俺はおそらく、そのときのいつかに影時間を体験している。
 そのときに何かが起こったのだろう。
 それを問い質したかったが、目の前にいるこの人は、笑って口を紡ぐであろうことは、なんとなく確信していた。

「それから、
KKOの崩壊事件が起こったのも、そのときでしたね」
KKO? なんです、それ?」
Kurata And Kuze Organization。倉田家と久瀬家が共同出資で作り上げた組織団体です。児童心理研究、児童保護を名目とした福祉組織でしたが、経営していた孤児院の一つが爆発事故を引き起こし、その引責を取る形で解散となり、今ではその資料は封印され、施設は倉田家、久瀬家の親類たちによって新しいものになりました。祐一さんの学校も、そのひとつだったんですよ」
「それで、久瀬の叔父さんが理事長に……」
「そうです……少なくとも、私から言えるのはここまでです」
「いえ……ありがとうございます」
「祐一さん」

 秋子さんは、背を向けて部屋に戻ろうとする俺に一声かける。

「過去に……囚われすぎては駄目ですよ?」
「はい……」
「祐一さんの隣には、素敵な仲間がたくさんいますからね」
「はい……」
「困ったときには、彼らに相談してみてください。力になりますよ」
「ありがとう……ございます」




P-KANON ACT.14




 翌日。
 いつものごとく遅刻ぎりぎりで登校してくると、なにやらクラスの連中が騒がしい。

「あ、おはよう、相沢君」

 いつものように、先に来ていた香里も、顔色が悪くなっている。
 どうやら、あまりいい類の話ではなさそうだが……

「……クラスの連中は何騒いでんだ」
「それは大騒ぎもするわよ……うちのクラスから、無気力症の人間が出たんじゃ、ね」
『ええっ!?』

 俺と名雪も大声で叫ぶ。

「昨日の深夜になって、その子が家から急に行方不明になったらしいの。家族は大騒ぎして町中を探したんだけど見つからなくて……そして今朝、用務員の人が発見したらしいわ」
「……どこでだ?」
「うちの文化部の部室。そこで何かがあったようよ」
「祐一……」

 名雪が心配そうな表情を浮かべ、俺たちを見ている。

「それって……学校にもシャドウがいるってこと……?」
「久瀬君の話によると、学校は特に念入りに見回りしてるから、そんなことはありえないという話だけど……その子、普段は夜遊びもしないような子だったそうよ。部活熱心で、後輩の指導もしっかりこなしてたらしいわよ」
「部活?」
「演劇部らしいわよ」

 それにぎょっとする。
 演劇部といえば、澪の所属する部活じゃないか!

「とりあえず、そういうこともあるから、今日の一限は自習だって。職員ももめてるらしいわ。今後の対応とか、
PTAへの受け答えとか、色々ね」
「ああ……」

 俺は自分の席に座るが当然勉強なんて身が入らない。それは名雪や香里たちも同じようで、顔を真っ青にして、うつむいている。
 そのとき、俺の携帯が震えだす。
 誰だ? と思い、メールを見てみると、斉藤のアドレスで、件名は「ちょっと話がある」。

『ちょっと時間をくれ。ここじゃない場所がいい。屋上なら今の時間なら誰もいないから、そこに集合してくれ』

「おい、名雪」
「うん、わたしも斉藤君からメールもらったよ」

 俺は教室を見渡してみたが、斉藤の姿はない。どうやら一足先に屋上に行っているみたいだ。

「香里、北川、留美。斉藤のメールは読んだか?」
「読んだわ。話って何かしら?」
「分からない。でも、行ってみれば分かるんじゃない?」
「だな。斉藤が何を話したいのか、ちょっと気になるしな」

 答えは全員一致のようだ。俺たちはこっそりと教室を抜け出し、斉藤の待っている屋上へと向かう。巡回している先生も、どうやら会議に出席しているようで、そこは難なく突破できた。
 屋上へ着くと、そこには、寮のメンバーのほとんどが集まっていた。

「よお、お前らでラストだ」

 斉藤が手を上げて言った。

「あれ? 繭はどうしたんだ?」
「端から呼んでない。そもそも学部が違うから、そこから抜け出してくるのは無理ありすぎだろ?」
「確かに……」
「で、俺たちがここにお前らを呼んだ理由は……見当がついてるな?」
「まあな……」

 おそらく今回起こった騒ぎのこと。
 しかし、最初に口火を切ったのは、斉藤ではなく、佐祐理さんだった。

「実は佐祐理たちの学年からも、先日無気力症の人間が出たばかりなんです」
「え……!?」
「……どうやらそっちにはあまり伝わってないようですね。職員の方は、あくまで病欠扱いとしたいらしいそうです。おそらく今回もそうでしょうね」

 なるほど、学校から原因不明の病気が蔓延してるなんて噂が立ったら、根も葉もないこと言われて叩かれるのが、目に見えている。

「それでですね……ここからが重要なんですが……その無気力症になった人も……演劇部だったそうです」
「……!?」
「これって偶然でしょうか?」

 そこまでは分からない。たまたま二回連続で無気力症になったのがうちの演劇部員だった、という可能性もありえるが……

「それともう一つ。この騒ぎが起こる直前から、学校をずっとお休みしてる人がいるんですよ」
「……あの、すいません倉田先輩。それとさっきの話との関連性が分かりません」

 香里が尤もなことを言う。

「すぐに分かりますよ。お休みしているのは……川名みさきさん。この間、ペルソナ使いの候補に挙がった方です」
『な……?』
「マジかよ……最近見かけねえと思ったら……」

 折原は愕然としている。彼女とどれだけ仲がいいのか知らないが、その人が今回の事件でもしかすると関連あるとするとなると、どんな複雑な心境だろう。

「家のほうには……」

 俺は聞いてみる。

「帰ってないそうです。最も、失踪となると学校としての評判に関わるらしいので、病欠扱いにしているそうですが……既にクラス中の噂になりつつありますね。『演劇部は誰かに呪われてる』、と」
「なんでそこまで話が飛躍して……」
「ああ、お前知らなかったな。みさき先輩はな、演劇部部長の深山先輩の幼馴染なんだよ。だからしょっちゅう演劇部の手伝いをしてるんだ」
「……詳しいな、折原」
「俺もたまに手伝ってるからな」
「つまり、ここまで、演劇部に関連している人間が三人、何らかの形で影時間に関わっている……」

 なるほど……確かにこれは異常事態だ。

「……ちょっと待て。澪はどうする? もし、演劇部の連中が何らかの形でシャドウに狙われているとして、一番危険なのは澪じゃないか?」
『大丈夫なの』
「大丈夫じゃないだろう! お前はペルソナが使えない。万が一のことが起こったら、俺たちだって……」
『そんなことにならないって信じてるの』
「澪……」
「だーいじょうぶだ。澪、やばくなったらこの俺がいるからな。安心しろ」

 わしゃわしゃと、乱暴に澪の頭をなでる折原だが、澪は心地よさそうに目を細めた。

「……それで、これからどうするの?」
「ひとまずは今日の夜を待ちます。今日の影時間を使って、演劇部の状態を調べます。ひょっとすると、大きな巣になっているかもしれませんが……」
「巣……ですか?」
「そうです。ある程度大きな力を持ったシャドウ、あるいは一定以上のシャドウの集団になると、空間そのものを歪め、迷宮化した巣を作ることが出来るんです。まだ祐一さんたちにはお任せできませんが、そのうち参加させますので、今日の夜は全員で学校の調査を決行します」
『了解』

 それで解散になるはずだった。しかしそのとき、

『ちょっと待つの!』

 澪が通せんぼをして、俺たちにスケッチブックを見せた。

『思い出したことがあったの』
「思い出したこと?」
『昨日の昼休みのことなの』

 澪はせっせとスケッチブックに文を書いていく。

『無気力症になった先輩が、耳鳴りがするとか、言ってたの』
「耳鳴り?」
『気味悪い耳鳴りだとも言ってたの』

 耳鳴り、と言う言葉に、まともに青ざめているのは、久瀬と佐祐理さんだった。

「耳鳴り……いや、それはおそらく……」
「シャドウの呼び声……」
「呼び声……?」
「無気力症になる人間の前兆症状らしいです。耳鳴りがするといった次の日には、無気力症になっているというケースがほとんどなんですよ」
「だが、実際は違うというのは僕と佐祐理さんの見解だ。おそらくそれはシャドウの呼び声。この声を聞いた人間を、餌になるべき人間として選出しているんだと思う」
「なるほどなあ……って、うん?」

 俺はその話を聞いて、ある方法を思いつく。

「なあ、演劇部所属の人間で、かつ耳鳴りが聞こえる奴を、うちの寮で保護することって出来ないか?」
『おおっ!』
「凄いよ祐一、そんなアイディア出てこなかったよ!」
「確かに現状、被害者をこれ以上増やさないためにも、それは一番いい手かもしれないわね」
「やるな、相沢。その手があったか」
「秋子さんなら、一秒で了承してくれそうだし……いい手だわ」
「デメリットとしては、学校調査の人員の一部を保護の方に回さないといけないことだが……案としてはいい手ではあるな。よし、それを採用しよう。手っ取り早く演劇部に縁のある折原君と上月さんで、演劇部の聞き込みを頼めるか?」
「任せろ、俺の人脈をなめるなよ?」
『わかったの』

 とんとん拍子に準備は進んでいくのだが……今気づいたんだが、どうやって、説得するつもりだ? あの二人。

「じゃあ、方針もある程度決定したし、いったん教室に帰るか。そろそろ予鈴もなるしな」



 昼休み。今日は久々に一人で飯が食べたくなったので、名雪たちと別れ、中庭のベンチに腰掛けている。今頃澪と折原は演劇部のみんなに声をかけて回っている真っ最中だろうか。
 そんなことを考えながら、秋子さん手製の弁当を食っていると、

「隣、いいかしら?」

 聞き覚えのある声が俺の横から聞こえてきた。
 振り向くと、そこにはウェーブのかかった見覚えのある女性。

「えっと、確か……」
「雪見よ、深山雪見。ちょっと顔をあわせただけだから、覚えてないか」

 苦笑する。確かに覚えてなかった。

「ま、いいわ。で、さっきの質問だけど……」
「あ、いいですよ」
「ありがとう」

 雪見さんは礼をいい、俺の隣に座り、買ってきたパンにかじりつく。

「連れがいなくなっちゃってね。一人でご飯食べるのも味気ないから」
「……みさきさんのことですか?」
「……倉田さんから聞いたの?」
「まあ、そうですね。寮でも、たまに話題に上りますよ」
「……そう」
「それより、演劇部の部長がこんなところにいていいんですか? 演目の準備は?」
「それどころじゃなくなっちゃったから、こうやって一人さびしくご飯食べてるのよ。みんな今回のことで怯えちゃってね、退部届けも何枚も受け取ったわ」
「それはまた……」

 それも仕方なしだろう。『呪われた』と噂が立っている部活にいたがる理由なんてない。

「……ところであなた、相沢祐一くんでいいのかしら?」
「え? はい、そうですけど……どうして俺のことを?」
「みさきから聞いたのよ。新しいお友達が出来たって。それに、私も倉田さんや久瀬君とはそれなりに懇意にしてるしね。よく話題になってたの。だから、前から興味があったのよ」
「そんなに目立ってますかね、俺……」
「そうね……役者に立たせてみたら、映えそうと思うけど」
「そんな柄じゃないですよ」

 思わず自分が演劇の舞台の上で演技をしている自分を想像する。が、まるっきりイメージできないで苦笑いする。

「……ねえ、相沢君は……呪いって、信じる?」
「はあ?」

 急にそんなことを言われても、何を突然、と言う感じだろうが、彼女の目は真剣そのものだった。

「もしも本当に呪いというものがあるのなら……次に呪われるのは私かもしれない」

 そう語る雪見さんのその目は、見えない何かに怯えている。これは……真剣に聞いてやるべきだろう。

「……何が、あったんですか」
「みさきが失踪する前の日、私、みさきと大喧嘩したの」
「え……?」
「今になって考えたら、ホントに些細なことだったんだけどね。ただ、その時には、頭に来た私は、みさきを突き飛ばして、小道具入れの倉庫に押し入れて、鍵をかけてやったの」
「…………」
「あそこは窓はあるけど、ハメ殺しになってるから、完全には開かないし、私が鍵をかけちゃえば、中からは開けられない。閉じ込めて懲らしめてやるつもりだったの」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、それ。どういうことですか!?」
「分からないの! 私もさすがにやりすぎたと思って、後悔し始めて、その日の深夜にこっそりと学校に来て……」
「セキュリティは……?」
「前もって忘れ物をしたって警備員さんに電話したの。でも、もうその時に倉庫を開けたら、みさきはもういなくなってて……」

 ……不可解だ。不可解すぎる。どうして、密室の中から人が消える要素がある。ましてやみさきさんは目が見えない。そんな人が自力脱出することなんて出来るわけがない……俺はひとつ、雪見さんにある種確信めいた質問をする。

「雪見さん。深夜っていいましたよね? 何時くらいだか、覚えてます?」
「……学校に電話してすぐだから……12時ちょっと前、倉庫に着いたのは丁度12時を回っていたわ」

 ……確信した。影時間だ。おそらくみさきさんは、影時間に巻き込まれ、何らかの形で取り込まれている状態に違いない!

「すみません、先輩。俺、ちょっと急用が出来たので、これで行かせてもらいます」
「そ、そう? ホントに急ね。何かあったの?」
「ええ、とても大事な用が出来ましたので」

 俺はそれだけ言うと、走りながら、携帯を手にする。
 掛けるのは、折原。

「もしもし、俺だ。みさきさんの失踪の原因、ほぼ確実に分かったぞ!」



「そういうことがあったのか……」

 折原は唸るように呟いた。俺は携帯で、雪見さんから聞いた話を一部始終折原には伝えてある。そして、俺たちは問題となった小道具倉庫に来ていた。

「しっかし、この小道具倉庫、明らかに臭いな……」
「ああ、ここがどうなってるのか、俺にはわからないが……」
「もし、みさき先輩が本当に影時間に巻き込まれたとしたら、だ。ここがシャドウの巣ということも十分ありえるな」

 そう言うと、折原は小道具倉庫の壁をコンコンと叩く。

「俺も巣を経験したことがあるから分かるんだが、中に入ると、外の大きさとは全く違う、完全な異空間になってる。みさき先輩が影時間の適正があって、もしシャドウの巣の形成に巻き込まれたら……どうなると思う?」
「まさか、みさきさんは……」
「……そんなことにはならねえよ。いや、俺がさせねえ」

 折原の目がぎゅっと凝縮される。いつもの悪戯めいた目つきとは違う、真剣そのものの表情。

「みさき先輩は俺が必ず助ける」
「折原……」

 決意に満ちた目。それに俺も答えなければいけない。

「そうだな。俺たちでやってみるか」
「相沢……すまんな」
「みさきさんは友達だろ? 友達を助けたいのは俺だって同じ気持ちだ」
「ああ、そうだな……」

 そうして二人でじっと小道具倉庫を見ていると。
 誰かがつんつん、と俺の腰を突付いた。
 振り返ると、そこにはちょっと困った顔をした澪が立っていた。

『そこいられると邪魔なの』
「澪……お前、何やってるんだよ」
『演目の準備なの』
「一人で……か?」
『みんなやらないから仕方ないの』

 しょぼん、とうつむく澪を見て、俺と折原は、顔を見合わせる。

「……やるか?」
「しゃーねーな……」

 ため息混じりに、俺たちは小道具倉庫に入り、

「おい澪、何すればいい?」

 折原の声に、澪はきょとんとした表情を浮かべる。

『手伝ってくれるの?』
「お前一人だけで仕事させられるか」

 折原のぶっきらぼうな言い方だが、その言葉に澪はぱあっと顔を明るくする。

「ま、そういうことだな。俺はあまり役に立たないかもしれないけどな」
『そんなことないの! 大歓迎なの!』

 澪はうれしそうに頷いた。

「おっと、そういや、さっき雪見さんに会ったぞ。まだベンチで黄昏てると思うから、折原、行ってやれ」
「おう。サンキュな」

 折原は手を上げて礼を言い、小道具倉庫を後にした。

「よーし、それじゃ澪、どこから手伝えばいい?」

 こうして俺と澪の共同作業が始まった。



 深山雪見は祐一がいなくなってから、ずっと震えていた。授業中も、食事中も、何か耳の奥で不気味なものが呼んでいるような感じがずっと続いていたから。耳を塞いでも聞こえてくる。
 それは今も。もう気が狂いそうになる。

(みさき……そんなに私が憎いなら、いっそ私を早く殺してよ!)

「みーやーませんぱいっ!」

 突然名を呼ばれ、はっとなって振り返ると、そこには顔見知りが一人立っていた。

「折原……くん?」
「こんなとこで何ぼさっとしてんすか? 演劇部の部長さんがそんなんじゃ、示しつかんでしょ」
「何言ってるの?こんなときに、部員なんて……」
「澪が一人でがんばってましたよ」
「……え?」
「相沢も今手伝ってるんですが二人だけじゃどうにもこうにもはかどらなくてね……手、貸してくれません? 深刻そうな顔してますけど、歩きながらでいいんで、ゆっくり話でもしましょうよ?」
「…………」

 浩平の無邪気な笑いに、ふと、心が軽くなる思いがした雪見は、ふっと笑い、ベンチから立ち上がると、浩平と並びながら、部室へ向かっていった。

「ねえ、折原君、聞いてくれるかしら……」
「いいっすよ、先輩の相談なら、何でも聞きますから」
「みさきがね……最近私のことをどこかで呼んでる気がするの……」
「…………!?」
「最近、特にそうだけど、耳鳴りがひどくて……それがどんどん大きくなっていって寝付けなくなって……最近、睡眠薬も飲むようになったのよ。でも、次の日にはまた耳鳴りがして……だから思うの。これはみさきが私を呼んでるんだって……」
「んーなわけないでしょ? 先輩?」

 真相に近づきつつある浩平は、内心を抑えながら、努めて軽い口調で言う。

「みさき先輩が失踪した、って話は知ってますけどね。あの先輩がそうそう死ぬような人じゃないと思いますよ。きっと今頃、どっかで『お腹すいたよ〜』って言ってるんじゃないんですか?」
「……そうだと、いいけどね」
「ほら、暗くならない暗くならない。そんなんじゃ、みさき先輩が帰ってきたときに、笑って『お帰り』って言えないでしょ?」
「……ん」
「大丈夫。みさき先輩は絶対戻ってきますよ」

 確信に満ちた力強い言葉。それは己を鼓舞すると同時に、暗くなりつつある雪見への励ましでもあった。
 みさき先輩は絶対俺が助ける。
 浩平は改めて心の中で誓いを立てた。
 そして彼女も……

「そだ。先輩、川澄先輩がですね、ちょっと勉強で分かりにくいところがあるから、深山先輩に教えて欲しいって言ってましたよ」
「川澄さんが? 嘘でしょ? だって彼女には倉田さんって親友がいるんだから」
「それがですね、ちょっといざこざがありまして、冷戦状態になっちゃいまして、寮の中がぎっすぎすしちゃって。お願いなんですけど、しばらくうちの寮で、泊りがけで川澄さんと一緒に勉強教えてやってくれませんかね? あの人、倉田先輩以外の人とはほとんど話さないでしょ?」
「……ふう、思うところはないわけじゃないけど、分かったわよ。しばらく川澄さんの傍にいてあげるわ」
「サンキュー、先輩。ちょっと俺、ジュース買ってくるんで、先行っててくれません?」
「わかったわ。早めに来てね。私だけ行かせて貴方だけエスケープなんて許さないからね」
「ぐはっ……そんなに信用ないのか、俺……」

 軽くへこんだ浩平だが、先に部室へ向かう雪見を見送ると、すばやく携帯を取り出した。

「あー、川澄先輩? 俺です。浩平です。実はですね、ちょーっと相談が……」



 浩平からの電話を終え。携帯を閉じると、舞はため息をついた。屋上で共にランチを食べていた佐祐理が、その様子を怪訝そうに見つめる。

「ふぇ、どうしたの、舞?」
「……浩平から頼み事があった」
「ふーん、どんなこと?」
「しばらく、佐祐理と仲の悪い振りをしろって」
「ふぇええええええ!? どうして!?」
「雪見がシャドウの呼び声を聞いているらしい」

 ぴくりと。佐祐理の眉が動いた。
 しかしそれでも佐祐理はわけが分からない。それがさっきの話とどう結びつくのか。

「それで浩平は私が佐祐理と喧嘩してしばらくの間、寮で泊りがけで教えてくれ、と頼んだみたい。その辻褄あわせ」
「はぇ〜、そういうことでしたか……」

 ようやくこの時点で佐祐理は納得した。つまりは雪見を寮で保護するための口実つくりのための嘘を、二人に協力してくれ、と頼んでいるわけだ。

「ふう……深山さんがシャドウの呼び声を聞いている以上、保護しないわけにいかないもんね」
「はちみつくまさん」
「しばらく、二人でご飯はお預けだね、舞」
「はちみつくまさん。それがちょっと寂しい」
「大丈夫、すぐ終わるよ。きっと」
「私もそう思いたい」

 それだけの会話。しかしそれでも彼女たちは通じ合った。
 二人は互いに顔を見合わせる。しばらくは仲の悪い振りが続く。こうやって顔を見合わせることも学内では当分出来そうもないから。幸いなことに今、屋上には誰もいない。ここから出て行くときに、喧嘩をした振りをすれば、上手くいきそうだ。

「深山さんを寮に呼ぶときも、顔をあわせられないのが寂しいね、舞?」
「……大丈夫、作戦時間の時には仲良くできるから」
「あ、そうだね〜」

 佐祐理はくすくすと笑った。そしてその笑いを終えたら、しばらくは不仲ごっこの始まりだ。

「それじゃ、行こっか、舞?」
「はちみつくまさん」


Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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