あの戦いから一週間が過ぎた。
 そしてその間、俺たちは別の戦いを強いられ、苦戦していた。
 それは長く苦しい戦いだった。
 しかし、俺たちは互いに切磋琢磨し、己を磨き上げて、この戦場へ立った。そして戦いは終わり……結果だけが残される。

「ぐあっ」

 俺は一枚の答案を見て、呻く。
 返ってきた数Uのテストは、見るも無残な赤点だった。
 ……予想はしてたけど、かなり堪える点数だな。

「わ、祐一、何その点数」

 名雪が俺の答案を覗き込んできた。

「うるさい、数学なんて大嫌いだ……」
「それにしてもひどすぎよ、特にこの問題なんて、数Tでやった問題の応用でしょう?」

 いつの間にか香里も俺のテストを覗いていた。

「……それは前の学校が悪いんだ」
「あのね、いくらなんでもその言い訳は笑えないわよ」
「まあ聞け、俺を担当した数学の教師はろくに繰り上がりもできないやつでな、専ら数式よりも脱線した数学の歴史をメインにしてたんだ……おかげで学習塾に通ってもまったくついていけなかった。数学なんて、中学止まりなんだよ。だから二次関数って何? 三角数って何? って感じだな……もう、ここまで来ると笑うしかないな」
「それは……ご愁傷様、としか言えないわね」
「えっと……うん、次があるよ、きっと……おそらく」

 暗い笑みを浮かべながら語る俺に、香里も、名雪もそれ以上何も言えなかった。




P-KANON ACT.11




 返ってきたテストは、数学を除けば、にわか勉強の割にはそこそこにいい点を取れたので、とりあえずは満足のいく結果だった。

「相沢、テストの点の比べ合いといこうぜ」

 放課後、北川が俺の前に来て、そう提案する。

「よし、いいぞ。ちなみに負けたやつは明日の昼飯のパシリでどうだ?」
「いいぜ、乗った!」

 北川はかばんから答案を取り出し、俺に手渡す。俺は机にしまっていた自分の答案を北川に見せる。
 数学は……さすがに負けたが、英語と古典は俺の勝ちだな。どうやら北川も俺の答案と見比べ合い、顔をほころばせたり、難しい顔をしたりしている。分かりやすい奴だよな、ほんと。

「よし、合計は……俺が387!」
「俺は368! くっそー、負けたか!」

 一歩及ばず、テスト勝負は俺の負け。しかし、接戦とはいえ、こいつ普段あまり勉強しないくせに割りといい点数取るな。もうちょっとまじめに勉強したら、こいつもっといい点取るんじゃないか?

「何してるのよ、あんた達」

 女の子の声で、後ろからあきれたような声がした。

「よっ、留美。テストの点数の比べあい、やるか?」
「止しとくわ……余計惨めになるだけだから」

 留美は空いた椅子に座り、頬杖を突いてため息を吐き出した。
 結構様になっているのか、その姿に少しだけ足を止めて見とれる男子もちらほらといたりする。
 病院を退院した留美は先週から復学し、俺たちのクラスで勉強に励んでいる。男子には結構人気があるらしく、俺や北川は、同じ寮に住んでることもあり、よく男子に留美の普段の生活を聞かれたりしていた。

「大体、ろくに勉強してないのに、復学したらいきなりテストなんて、ありえないと思わない?」

 留美は復学したてでいきなりテストだったこともあり、答案を見せてもらった名雪に聞いてみたところ、ぼろぼろだったらしい。

「ま、しょうがないだろう。補習一週間、死ぬ気でがんばれ」
「人事みたいに言わないでよ……先生に休み返せと言わんばかりに睨まれるわ、あたしは勉強でしんどいわで二重苦なんだから」

 本当ならここでぐったりと机に突っ伏したいのだろうが、留美はそれをぐっとこらえる。寮の中では安心しきって結構だらけたり、折原をどつきまわしたりしているが、学校では基本的には『乙女』のように振舞っている。まあ、あくまで『乙女』のように、だ。気が緩むと、うっかり地の部分を出してしまうところを何度も目撃している。特に合同授業で折原と組むときなど、それが顕著だ。まあ。最も、留美のファンから言わせれば、そんな一面も萌え、と言うことらしい。
 そんな様子の留美を眺めていると、

「あ、相沢君ちょっといいかな?」
「長森さん、どうしたんだ?」

 隣のクラスの長森さんが、俺に声をかけてきた。その表情は何かをなくしているかのように、始終目がさまよい、おろおろしている。

「えっと……こっちに浩平、来てないかな? 電話もメールもしたんだけど、全然つながらなくて……」

 ああ、なるほど。折原を探しに来たのか。しかし、俺と北川、留美も折原のことは見かけていないし、ごまかす必要もない。

「いや、来てないな」
「そっか……ありがとうね、相沢君」

 落胆する長森さん。何か大事な用があるのだろうか、困った表情をする。
 ……さすがにほっとけないな、これは。

「長森さん、よかったら、俺も探しにいってやろうか?」
「え? いいの?」
「まあ、どうせ暇だからな。寄り道ついでに探してくるよ。見つけたらメールするから」
「うん、ありがとう相沢君!」



 まずは寮の仲間に連絡を取る。折原のことを知っていそうなメンバーに呼びかけ、返信を待つ。

「おっと、来た来た」

 数分を待たずにメールの受信欄には、5件のメールが届けられる。
 が、

名雪『香里と一緒に帰ってるけど、折原君は見てないよ』
久瀬『生徒会室には来ていない。役に立てなくてすまない。』
澪『澪たちのクラスには来てないの』
舞『知らない』
秋子『寮には帰っていません。まだ学校にいるのではないでしょうか』

「駄目か……」

 携帯を閉じ、長森さんにその旨を伝える。

「そっか、まだ学校にいるなら、もうちょっとわたしもよく探してみるよ」
「わかった。俺は上の階と、東棟を探してみるから、長森さんは下の階と、西棟のほうをお願いするよ」
「了解だよ」



「……そっすか、どうもありがとうございます」

 先生の一人に礼を言う。
 ……ここも空振りか。
 折原捜索は思った以上に難航していた。折原は割りと有名な生徒らしく、聞けば大体顔と名前が一致するらしく、話をすればすぐに食いついてくれるのだが、どうも今日に限って誰も折原のことを見ていないらしい。今、俺のいる3階は、上級生のクラスと、自習室、生徒指導室となっており、そのどれもが折原との接点にはつながりにくい。
 ……いや、指導室はありえそうだが、今回に限っては関係なかった。呼び出しを食らったという可能性も否定しなかったのだが、さっきの先生の話では、今日は折原の呼び出しはなかったらしい。

「まいったな……どうもこの階にはいないらしいな……」

 俺は長森さんにメールを送信し、次の目的地である4階に足を運ぶが、こっちはさらに望み薄の可能盛大。なにしろ、4階は生徒会室と、各種資料室と空き部屋。さっきのメールでは、生徒会室にはいないようなので、特に用がない限り、ここに立ち入ることはまずない。

「一応、空き部屋を覗いてみるか……」

 俺は片っ端から空き部屋を窓から覗き込むが、そこには折原の姿はない。当然だろう。空き部屋には全て鍵がかかっているのだから。
 ……最も、やつの前には鍵など何の意味もなさないことは証明済みではあるのだが。

「それ以上上になると……屋上?」

 確かに屋上にはベンチが備え付けられ、バスケットコートも用意されているために、屋上でレクレーションをする生徒も多数いる。しかし、この時間に屋上に上がる生徒なんてほとんどいないはずなのだが……

「行ってみるか……」



 俺は階段を駆け上がり、屋上へと向かうことにする。
 と、

「あ……」
「お……」

 今まさに屋上から降りてきたような、一人の男子生徒とすれ違う。少なくともうちの制服を着ている以上、この学校の生徒なのだろう。
 その中性的な顔立ちは、男の俺から見てもかなりいけてる部類だと思う。
 線の細さと、肌の白さが、どこか病的なものを感じさせる。そんな少年だった。
 少年は、俺の顔を見ると、にっこりと微笑みかけてきた。

「こんにちは、始めまして、かな」
「お、おう、始めまして……そうだ、君は折原浩平を知らないか?」
「折原君? よく知ってるよ。ついさっきまで一緒に話をしていたからね。まだ屋上にいるんじゃないかな?」
「そ、そっか、ありがとう。助かった」
「いえいえ、困ったときはお互い様だよ」

 名前も知らない彼との他愛無い会話を打ち切り、俺は屋上へ駆けていく。
 屋上までの道のりは短い。階段を一回りすればあっという間だ。
 そして、俺は屋上へ通じるドアを開ける。

「おーい、折原―、いるかー!?」

 俺はドアを開けると同時に叫んだ。

「いないぞー」
「いるじゃねえか!」

 お約束の声が返ってきた。声のした方向を見ると、フェンスから景色を望む折原の姿があった。

「なんだ相沢、こんなところに来るなんて珍しい」
「長森さんがお前を探してたんだよ。携帯切ってるのか? 連絡つかないって心配してたぞ」
「あ? おお、切ってたの忘れてた」

 折原はポケットから携帯を取り出し、電源を入れ、どこかに電話する。

「……おお、長森、俺様だ。……ああ、悪かったって。携帯切ってたの忘れてたんだよ。……相沢? ああ、いるぞ。後でお礼言っとけ? いやだめんどくさい……分かった分かった。ちゃんと礼を言うっつーの。……ああ、このまま相沢と帰るからお前は先に帰れ。……ああ、それじゃあな。切るぞ」

 折原は携帯を切る。

「ま、そういうことだ。相沢、たまには一緒に帰ろうぜ」
「ん? ああ、構わないぞ」
「よっし、帰るか! 帰りにクレープ食ってくぞ、お前の奢りで」
「はあ!? 何でだよ!?」
「この間のお前が操られたときに助けに行ったときの迷惑料」
「ぐ……それを言われるときついな。あんまり高いもの選ぶなよ?」
「わーってるって。バナナチョコクリームで勘弁してやる」

 わっはっは、無意味に高笑いを上げる折原に対し、俺はああ、また財布が軽くなる、と憂鬱な気分になってきた。
 空はそろそろ日が傾きかけ、そろそろ夕暮れに近づいてくる頃。
 そこに、

「あれ? 久しぶりに風に当たろうと思ったら、先客がいるのかな?」

 のんびりとした声が後ろから聞こえてきた。
 振り向くと、長い黒髪のお嬢様っぽい雰囲気の、しかしそれでいて、どこか人懐っこい表情をする女の子。制服のリボンからして上級生だろうか。
 その少女に見覚えがあるのか、折原が顔を輝かせる。

「みさき先輩、久しぶり!」
「その声は……浩平君かな? 久しぶりだね。最後にあったのは前学期の終業式以来かな?」

 みさき、と呼ばれた少女は折原の顔を見ることなく、にこやかに微笑む。まるで折原のことが映ってないみたいに。
 おや……?

「なあ、知り合いなのか? 二人は」
「あれ? 浩平君以外に誰かいたんだ?」
「ああ、紹介するよ。これは相沢祐一。俺と同学年で、今年入ってきた転校生だ」
「おい、これと言う言い方はどういう了見だ?」
「相沢……? ああ! ひょっとして、さっちゃんとまいちゃんと同じ寮に住んでる子のことかな? 二人からよく話がでるから、聞いたことあるよ」
「えーと、一応紹介されました相沢祐一です。ええっと……」
「ああ、ごめんね。わたしは川名みさき。君の一個上だから、先輩になるのかな? でも、呼ぶときは気軽にみさきでいいよ。祐ちゃん」
「ゆ、祐ちゃんっすか……?」

 そんな風に呼ばれたのは小学生以来でどうにもこそばゆい。俺の反応が気に入らなかったのか、みさきさんは首をかしげて、

「駄目かな? それなら、わたしのこともみっちゃんでいいから」
「いや、それもさすがにちょっと……俺のことは普通に祐一でいいです。だから俺はみさきさんと呼ばせてもらいますよ」
「うーん、残念。祐ちゃん、可愛いと思ったのに……」

 本当に残念そうに俯くみさきさん。

「相沢、あきらめろ。この人に変だあだ名つけられそうになるのは一種の通過儀礼みたいなもんだ。俺ももう少しで浩ちゃんと呼ばれそうになった」
「そ、そうなのか……?」

 肩を叩きながら、小声で折原がしみじみと語る。折原すらも手玉に取るのか……なかなか侮れない人かもしれない……
 それはともかく、俺はさっき疑問に思ったことを尋ねようと、折原に小声で尋ねてみる。

「それと折原、聞きたいんだが、もしかしてこの人……」
「あ、いいよ。わたしに直接言っても」
「え……!?」

 け、結構ぎりぎり折原に聞こえるくらいの小声だったんだが、聞こえてたのか?

「わたし、耳はいいほうだからね。そのくらいの声だったら、周りが静かなら聞こえるよ」
「そ、そうだったのか……じゃあ、もう聞いちゃいますけど、みさきさんってもしかして……」
「うん、見えてないよ」

 やっぱりか……
 ずいぶんあっけらかんとした言い方からすると、目が見えなくなってずいぶん長いのだろう。悲壮感すら感じさせない。自分のことを完全に受け入れているのだろう。

「すいません。変なこと聞いちゃって……」
「いいよいいよ。言われ慣れてるし。あ、でも……」
「ああ、そこから先は当てますよ。特別扱いは止して、普通でいいよ……どうです?」
「すごい……大当たり」

 心底驚いたようにみさきさんが感嘆のため息を漏らす。
 そして、息を吐ききると、みさきさんは顔を輝かせて微笑んだ。

「祐一君とはいいお友達になれそうだよ。これからよろしくね」
「ええ、こちらこそ」
「ちょっとちょっと、みさき先輩。俺は無視?」
「あ、ごめんね。浩平君。もちろん君もわたしの大事なお友達だよ」
「だよな。まあ、いまさらだけど、俺も相沢ともどもこれからもよろしく」
「うん。……あ、風が吹いてきた」

 みさきさんの言うとおり、屋上に一陣の風が吹き抜ける。五月も半ばを過ぎ、ほんの少しだけ暑くなってきた外に、少し涼しげな心地のいい風。
 俺と折原、みさきさんはしばし無言でその風に身を委ねてみる。

「……気持ちいいね」
「そうですね……」
「ねえ、この風に点数をつけるなら何点?」
「そうだな……百点満点で言うなら85点かな」
「俺は42点」
「うわ、浩平君は厳しいね。どうして?」
「俺のセットした髪が乱れた」
「あはは、そっか。ね、浩平君、今どんな髪をしてるの?」
「ん? ああ、すっかり髪が逆立っていつのヤンキーだよ、って感じになってます」
「あはははははははははは!」

 想像して、よっぽどツボにはまったのだろう。みさきさんはおなかを抱えて大爆笑している。ちなみに俺が言ったのは嘘。

「ふー、ふー、あー、おかしい」

 よほどおかしかったのか、目に涙を浮かべ、肩で息をするみさきさん。ようやく笑いが収まったのか、手で涙をぬぐって立ち直る。

「じゃあ、参考までにみさきさんは何点で?」
「そうだね……98点って所かな?」
「その心は?」
「こうして三人一緒に初めて感じた風だから、かな?」

 みさきさんは、それだけ言うと、まだ吹いている風を全身に感じようと両腕を広げる。背をピンと伸ばして、風を全身で受け止める。それはまるで、どこかの映画に出てくるワンシーンのようで、俺と折原は、完全にみさきさんに魅入っていた。

「……ちょっと体が冷えちゃったな。そろそろ帰ろうか」
「じゃあ、みさき先輩。途中まで一緒に帰らないか? 俺たちも一緒に帰るつもりだったし」
「いいの? お邪魔じゃないかな、わたし」
「気にしなくていいですよ、二人よりは三人で帰るのが楽しいですから」
「それじゃ……お言葉に甘えちゃおうかな?」
「よっし、それじゃ帰るか! 先輩、お近づきの印に、相沢がクレープ奢ってくれるらしいぜ」
「ほんと!?」
「……まあ、いいですよ。一人奢るも、二人奢るも同じですし」
「そっか、じゃあ、奢ってもらっちゃおうかな?」

 無邪気な笑みを浮かべるみさきさんに、俺はこんな笑顔が見れるんだったら、少しは俺の財布も報われるか、とそう感じた。



 ありえない。
 俺はみさきさんと折原の交互を見やって心の中で頭を抱えた。

「いやー、みさき先輩、相変わらずよく食いますねー」
「うん、食べるのは大好きだから」

 折原とみさきさんの能天気な声が今はちょっとだけ憎らしく感じる。
 みさきさんの手には、さまざまな味のクレープを、両手に三つ、四つ手にし、そのひとつを美味そうにぱくついている。ちなみにこれは第二陣。すでに第一陣は全てみさきさんのお腹に収まった。あんな細い体のどこにそれだけの食い物を詰め込めるスペースがあるのか、非常に気になるが、それ以上に俺は自分の財布の中身のほうが気になった。あのクレープ屋のメニューの値段は最低ラインで300円。そしてみさきさんが注文したのが15個くらいか。すると最低でも、4500円以上……俺の財布は風前の灯だ。

「はあ……」
「あれ? どうしたの、祐一君。食べないともったいないよ?」
「いや、俺、あまり甘いものは得意じゃないんで……」

 これは半分方便。もう半分は、言うまでもなくもうそろそろ財布に限界が近づいているからだ。
 ちらりと見えたみさきさんの手には、もうクレープが片手に一つしか残されていなかった。

「そっか、じゃあ、夕ご飯もあるから、今日はこのぐらいにしとこうかな?」
「まだ食べるつもりですか……?」
「うん、だってお腹すいてるし……」

 あれだけ食ってまだ足りないのかよ!?
 思わず大声で叫びたくなる衝動を抑え、俺は財布から、代金を支払う。
 ああ、さよなら欲しかった今月発売の最新アルバム……

「相沢、あきらめろ。みさき先輩なら、この程度、まだまだたいしたことないくらいだ」

 気がつくと、しみじみ語る折原の頭に、俺はヘッドロックをかけていた。

「ちょ、相沢、ほんとに締まってる締まってる!!」
「お前、さては知ってたな! みさきさんのこと全部!!」
「し、知ってるっていうか……最初からこういう話に持ってこうと……ぎゃああああ、痛い痛い痛い!!」
「え? え? どうしたの、浩平君、急に悲鳴なんて上げて」
「ああ、大したことないですよ。こいつの持病の突発性頭痛が発生しただけで……おら、どうだ、ギブか!?」
「ぎゃあああああああ、ギブ、ギブギブ!! だから離して……」

 しかしさすがにぎゃーぎゃーわめく折原を、何事かという視線が増えていく。さすがにこれ以上はいたたまれなくなり、俺は腕を緩め、折原を離してやる。

「はー、はー、はー……相沢、最近スキンシップにしては過激すぎやしないか?」

どすっ

 不穏当な発言をする折腹を沈黙させるべく、俺は後ろ蹴りで、折原を黙らせる。

「うーん、祐一君、スキンシップはともかく、友達をあんまり気安くヘッドロックしたり、蹴っ飛ばしたりしちゃ駄目だよ?」

 苦い笑みを浮かべて、みさきさんが言う。

「は、はい。すいません……」
「謝るのはわたしじゃないよ。浩平君に」

 指を突きつけて指摘するみさきさんは、確かに俺の一個上であるということを思い知る。その叱り方は、姉が弟を叱るそれに似ていたからだ。

「あー、まあ、その、なんだ折原。一応悪かった」
「お、お前、ぜんっぜん、誠意が感じられんぞ……」

 呻きながら抗議する折原は無視。

「うん、よろしい。……ええっと、今、時間、分かるかな?」
「ん? 5時45分ですけど」
「あ、じゃあ、そろそろお開きにしたほうがいいかな? わたしもあまり家に帰らないと、親が心配するから」
「そっか、じゃあ、この辺で」
「うん、また会おうね、祐一君、浩平君」

 微笑み、手を振りながら、みさきさんは優雅に背を向けて俺たちから遠ざかっていく。俺たちはその姿を、みさきさんが見えなくなるまで手を振りながら追い続けた。

「…………あれ?」

 ふと、俺はあることに気がつく。

「なんだ、どうした相沢」
「いや、ちょっと気になったことがあってな……折原、何も聞かずに目を閉じろ」
「はあ? ……分かった」

 俺に言われたとおり、目を閉じる折原。
 俺はそんな折原の腹に、蹴りを入れる。

「ぐは……て、てめえ、いきなり何しやがる……?」
「黙って聞け、折原、今俺が殴ったか蹴っ飛ばしたか、どっちか分かったか?」
「は……? わ、分かるわけねえだろ……、目ぇ瞑ってたんだし……」
「だよな……」

 折原の答えに俺は余計に、気になった疑問が分からなくなる。

「どうしたんだよ、お前、急に黙り込んで……」
「いやな、さっきのみさきさんの台詞が気になってな……」
「は? 何が?」
「お前を蹴っ飛ばしたときに、俺はみさきさんに注意されたよな? そのとき、みさきさんが何て言ったか、覚えてるか?」
「へ? ……あ」

 折原も気づいたようだ。
 どうして、目の見えないみさきさんは、俺が蹴っ飛ばしたことが分かったんだろう。仮に殴った音が聞こえたからであっても、それが殴ったのか、蹴ったのかまではさすがに判別することはできないはずなのに……

「……ま、気にしなくてもいいんじゃないか? みさき先輩はみさき先輩なんだから」
「……まあな」
「そうそう。気にしないのが一番。……それはさておき」
「なんだ?」
「まさかお前、このためだけに俺を殴ったのか?」
「……アー、マア、キニスルナ?」
「……覚えてろよ」



「ただいまー」
「ただいま」
「あ、お帰り浩平、相沢君」

 長森さんが、寮に帰ってきた俺たちを最初に出迎えてくれた。

「ご飯出来てるよ。今日は秋子さんが遅くなるから、わたしと斉藤君で作ったんだけど」
「おう、分かった」

 食堂では、みんなが席についており、並べられた料理を今か今かと待ち続けていた。

「遅いわよ、折原! せっかくのご飯が冷めるでしょうが!」

 留美が開口一番、文句を言う。
 結構長い間待たされていたようで、たいそうご立腹のようだ。見れば、他のみんなも、口には出さないが、俺たちを責める眼差しを向けてくる。

「ああ、悪かったよ。だから怒るな、ナナピー」
「ナナピー言うなー!!」

 留美がフォークで隣に座った折原を突くが、折原は体をずらし、それをかわす。

「うきー! 避けるな、この馬鹿ー!!」

 むきになって、留美が高速の連続突きを繰り出すが、折原はそれを笑いながらかわしていく。

「おーい、七瀬さーん、あんまり飯食う道具で人を突く行為というのは、『乙女』に反することじゃないのか?」
「はっ……」

 斉藤の言葉に、我に返り、突きを繰り出す手を止める。

「そ、そうね……斉藤君、いい事言うじゃない……」

 空笑いを浮かべながら、留美はフォークを戻した。笑いを誘う場面ではあったのだが、留美の視線が「笑ったらコロス」と訴えているため、誰も笑わない。

「よし、みんな揃ったな。今日はバイキング形式にしたから、各自適当に皿にとって食ってくれ。お代わりは十分あるから遠慮はいらない。余ったら、明日の朝食なり弁当にするんで、食いたい奴があったら俺か長森さんに言ってくれ。以上! 頂きます!」
『頂きます!』

 よほどお腹がすいていたのか、みんなは皿に盛られた食事をすごいペースで消化していく。

「斉藤、このから揚げ美味いぞ! 明日の弁当にするから、取っといてくれ!」
「ほいほい、北川、から揚げ確保、と……」
「……この八宝菜、かなり嫌いじゃない」
「こっちのカルボナーラもいけるわよ! 斉藤君、お代わりよろしく!」
「チーズ入りカツレツも衣がサクサクしてて美味しいですよ〜」
「ちょっと名雪、デザートのイチゴソースかけアイスを先に食べてどうするのよ!?」
「だってイチゴなんだよ〜」
「ああっ、澪ちゃん、そのライスサラダ、取っておいたのに!」
『早い者勝ちなの』
「おい繭、このタコス、いるか?」
「いるー♪」
「あれ、このエビチリ、もうないの?」
「あ、わたし、お代わりとってくるよ」

 さながら戦場のようになった食堂。それぞれ思い思いの料理を皿に盛っていく。かく言う俺もその一人。斉藤の料理が美味いとは聞いていたが、秋子さんに引けを取らないレパートリーと味には正直驚いていた。おかげで箸が進む進む。
 そうしてしばらく、食い物の争奪戦を繰り広げていると、

「あー、みんな、そのままでいいから聞いて欲しい」

 突然機会を待っていたかのように久瀬が話し始めた。

「先日、シャドウの報告書をまとめて叔父さんのところへ行ってきたんだが、そのときに新しい資料が送られることになっていてね、今日、その資料が届いた」

 久瀬が束ねられた報告書を見せる。何枚かの資料には付箋がつけてあり、それがいかにもな感じの代物だった。

「久瀬、こりゃ何の資料だ?」
「ありていに言って、新しいペルソナ使いの候補だ。本人に自覚はないが、ほぼ確実にペルソナ使いの素養がある」
『え……!?』

 久瀬の発言に、全員が箸を止める。

「マジで……?」
「少なくとも、数値面から言って、かなり信憑性が高いと思う。最も、当分は対象とは接触せずに様子を見ていくつもりだが、機を狙って、こちら側に誘ってみるつもりだ」
「……見せてもらっていいか?」
「構わないよ。見てもらうつもりで出したんだから」

 久瀬は俺に資料を手渡す。俺は付箋のついた最初のページをめくると、

「え……?」

 絶句する。

「……おい、久瀬、これはマジか!?」

 横から覗き込んできた折原も、その名前と、顔写真に驚愕し、久瀬に叫ぶ。
 そこには確かに、

『川名みさき』

 の名前と、俺が今日見た人懐っこいお嬢様の顔写真が載せられていた……


Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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