「くそっ、どうなっている!!」

 久瀬は苛立たしげに備え付けの机を叩いた。
 ソファで横になっていた斉藤は、額に当てた濡れタオルを払い、久瀬を見た。

「隆明、落ち着け。指揮のお前が始終そんな調子じゃ、話にならない」
「分かっている!」

 しかし久瀬はがりがりと神経質に頭を掻き、苛立ちを隠そうとはしない。

「相沢のグループが消息を絶ってかれこれ30分前後……そろそろ影時間も明ける。俺たちにできることは相沢たちの無事を信じてやることだけだろう」
「む……」
「大丈夫だよ。あいつら、この1ヶ月で結構修羅場くぐってきたからな。そうそう死にはしないさ……たとえ相手が未知の大型シャドウでもな」
「そう……信じるしかないか……くそ、僕らはなんて無力なんだ……」

 歯を軋ませ、久瀬は弱弱しくうつむいた。自分の無力さに打ちひしがれて……




P-KANON ACT.10




「ぐふっ」

 腹に束ねられた髪の毛の一撃を食らう。ペルソナの守りがなければ、今の一発で内臓破裂によって、確実に即死だろう。俺は口にこみ上げてくるすっぱいものを胃に押し戻し、刀を構えなおす。

「くそったれ……マジで洒落になってねえぞ……こいつ」

 北川が血の混じったつばを吐き出して、目の前のシャドウを睨みつける。すでに身体は満身創痍のはずだが、気力で身体を動かしているような状態だ。

「栞ちゃん、香里は大丈夫?」

 名雪は後ろに控えた栞に呼びかける。今は俺たち三人が、戦闘力の乏しい栞を囲み守っている。そしてその栞は今、戦闘によって負傷し、倒れた香里の治療に専念していた。

「身体のほうはなんとか大丈夫ですが……意識が」

 栞が申し訳なさそうに報告する。
 ……戦力としてはこちらが一つ減ったということか。
 状況は正直苦しい。未知の敵ということもあり、こちらはどうにも攻めに徹しきれないでいるのに対し、向こうの攻撃は苛烈を極めた。とくに、やつの吐く吹雪は、香里の天敵であり、彼女の意識を刈るのには十分だった。

「……分かった。北川、名雪、こっからは俺たち三人で行くぞ。やれるか?」
「うん……がんばる」
「しゃーねーーな……美坂のために、死ぬ気で踏ん張りますか」
「OK、栞、悪いがお前は香里を守ってやってくれ。できるか?」
「は、はい! がんばります!」
「言っとくが栞、無茶はするなよ。二人もやばくなったら一旦下がって栞に治療してもらうんだ。いいか?」
「オッケー、わかったぜ」
「でも、祐一も無茶したら、だめだよ?」
「……分かってるって」

 名雪の心配に苦笑で答え、召喚器を手に取り、大型シャドウに駆け寄る。

「行けえ!!」

 こめかみの衝撃とともに、ペルソナ・ヘズが炎を浴びせる。並みのシャドウならこの一発で消滅させることも可能なのだが、こいつには何べんこれを食らわせても倒れない。効かないわけではないのだが、これでは威力が足りない。

「ヘーニル!! 斬れ!」

 北川のヘーニルが、シャドウの身体を袈裟懸けに切り裂く。耳障りな悲鳴を上げるシャドウだが、倒れるには至らない。これも並みの敵では一撃だというのに……

「くそ……まだ駄目か……渋てえ」

 北川の苦いつぶやきが漏れる。
 それをすり抜けて、名雪が額に召喚器を押し当てる。

「フレイア! あいつを凍らせて!」

 名雪のフレイアが吹雪を巻き起こし、シャドウにぶつける。しかし、

「え……」

 名雪の呆けた声が漏れる。名雪の放った吹雪はシャドウの前でぐるりと一回りし、そのまま名雪自身に降りかかってきた。
 突然の事態にまったく対応のできなかった名雪は、もろにそれを浴びてしまう。

「きゃ……」

 もともと氷の攻撃には耐性のある名雪だ。しかし、その身体にダメージはなくとも、身体をまとう氷は防げない。氷は名雪の身体を拘束し、動きを封じ込める。

「まずい! 名雪、何とか抜け出せ!」
「わ、分かってるけど、抜け出せ……きゃああああ!!」

 凍りついた名雪を、髪の毛が直撃する。名雪を封じていた氷は砕け、しかし彼女は吹き飛ばされて、地に叩きつけられる。

「う……かはっ……」

 苦しげな呼吸を漏らす。
 ……どうやら生きているようだ。安堵のため息を漏らし、俺はするべきことをする。

「栞、名雪の治療を頼むぞ!」
「了解です!」

 元気よく返事をする栞を見、俺は北川にアイコンタクトで合図を送る。その意図を汲んだのか、北川は俺にうなずきを返す。

「ヘズ!」
「ヘーニル!」

 互いのペルソナを召喚し、互いのもっとも得意とする攻撃
――ヘズの炎とヘーニルの剣が混ざり合う。ヘーニルの剣がヘズの炎を拡散し、全身を焼く。ひるむシャドウ。そこにヘーニルの突きが深々とシャドウの腹に突き刺さった。これはさすがに堪えたのか、地を揺るがすほどの大絶叫が、鼓膜を叩いた。



「すごい……」

 栞は名雪の治療を続けながら、祐一と北川の連携を目撃し、感嘆の声を漏らした。

「し、栞ちゃん……」
「あ、ごめんなさい……」
「ううん、違う……わたしはもう平気だから、香里のそばにいてあげて……わたしもまた祐一と一緒に戦うから」
「……わかりました。気をつけてください」
「……うん、もちろんだよ」

 ぐっと親指を立て、名雪は祐一の元へ駆けていく。
 栞は気づけなかった。サムズアップをし、微笑む名雪の顔が、かすかに曇っていたことに。
 何も知らずにそれを見届け、香里の元へ駆け寄ろうとする栞だが、ふと奇妙な違和感にとらわれる。

「……あれ?」

 おかしい。
 そう思うが具体的には、何がおかしいのかすぐに出てこない。
 いぶかしげにしつつも、姉の下に駆け寄る栞。
 そこで奇妙なことに気が付く。

「お姉ちゃん……?」

 呼びかけるが返事はない。気を失っているのだから当然なのだ。
 当然なのだが……

「どうして、お姉ちゃんが動いているように感じたんだろう……?」

 疑問を抱えながら、周囲を見渡す。正面はシャドウと切り結ぶ祐一たち。側面、背面は自分たちを取り囲むシャドウのうねる髪。見上げれば、やはりシャドウの髪が自分たちの逃げ道を塞いでいる。
 徐々に大きくなる違和感。
 ふと、栞のふくらはぎに小石がぶつかる。

「…………!!」

 それをきっかけに栞はあることに気が付く。
 今、自分の体はシャドウに対して正面を向いている。しかし、その状態でふくらはぎに小石をぶつけるには、側面から、何らかの力が外から内へと働かない限り小石は転がってこない。そして、自分の側面にあるものは……
 さあっと、顔が青くなる。

「ゆ、祐一さん!!」

 立ち上がり、すかさず大きな声をあげる。
 栞の切羽詰った声に祐一は振り返る。

「シャドウの髪が……わたし達を囲んでる髪が……縮まっていってるんです!!」

 栞の叫びが届いた瞬間。
 シャドウの結界の形が変わる。
 それは無数の錐を生み出し、祐一たちを包み込んだ。



「な……!?」

 栞の報告に、愕然とする。
 そして、俺たちを囲むシャドウの髪で作られた結界の変化にも。

「まさかこいつ……俺たちをこのままじわじわと串刺しにするつもりか!?」

 自分よりはるか高くにあるシャドウの顔を見上げる。その顔に表情はないが、かえってそれが事実を肯定しているように感じる。

「栞、香里を運んでこっちに来い! ゆっくりでいい!」
「は、はい!!」

 栞は香里を引きずりながら、俺たちの元へ寄っていく。非力な栞では香里を担ぎ上げられないのは分かっているが……目を覚ましたら知らないぞ、栞。

「くそ、こいつ、自分のタフさを武器に、最初から長期戦に持ち込むつもりだったのか!!」
「これ以上長引かせると俺たちがまずいぜ、どうする、相沢!?」
「決まってるだろう! 相手が倒れるまで全力攻撃するしかない!」

 俺はこめかみに召喚器を押し当て、ありったけの精神を込めてヘズを召喚する。

「渾身の一撃を食らわせろ!」

 俺の無茶な命令に従い、ヘズの拳は神速の一撃となり、シャドウの顔に食い込んだ。普通なら首の骨を折ってもおかしくない攻撃だが、まだ届かない。
 くらり、と目まいがする。
 今の一撃はかなり体に疲労を呼び込む。

「く……」

 頭を振って目まいを振りほどく。
 このまま倒れるわけにはいかない。
 しかし、足が言うことを利かない。
 後ろに倒れそうになるのを支えてくれたのは、名雪だった。

「大丈夫?」
「ああ、ありがとう……」
「いいよ、今のわたしには、これぐらいしかできないから」

 自虐的に笑う名雪。平気そうに見えたがどうやらさっきのことが結構堪えているようだ。

「……ひとつ言ってやるぞ。名雪」
「……?」
「戦ってる最中にこれぐらいとか言うのは金輪際やめろ」
「え……?」
「自分のペルソナと……お前自身を信じろ。そうすれば絶対道が開ける。俺だって最初のときには殴るだけしか能のないペルソナだったんだ。面白いものでペルソナってやつは自分ができると思えば必ず答えてくれる。最近になって、ようやく気づいた」
「…………」
「逆にお前がそんな調子だと、お前も、お前のペルソナもそれまで止まりになっちまう。いいか、自分に自身を持て。ペルソナは……お前自身なんだから」
「……うん、分かった。やってみる」

 名雪の目に光が戻る。
 それでいい。

「祐一さん、後ろを!!」

 栞が焦りで上ずった声を上げる。
 振り返ると、シャドウの髪の結界が、確かに縮んでいるのが分かる。何せ、さっきまではかなり距離を置いていた俺たちと栞、そして髪の毛の距離が、ぎゅっと縮まっているのだから。……あまり長い時間はかけられない。

「行くぞ、名雪。俺の言ったことを忘れるなよ」

 駆け出す直前に、名雪の耳元でささやき、俺はシャドウに刀を振るった。



(自分を……信じる)

 名雪は祐一の言葉を噛み締める。
 この力に目覚めてから、名雪はずっと自分の無力さを嘆いてきた。
 初めて力に目覚めてからも、戦うことにおびえて逃げ続け、祐一とともに戦うようになってからも、彼女は自分がどんどん祐一に置いていかれる気がしていた。最初に祐一が力に目覚めたときだってそうだ。祐一を守るつもりがいつの間にか守られる側になり、自分は無様にも気を失っていた。
 確かに祐一の言うとおりだ。いつしか名雪は自分の無力さに押しつぶされ、自分のことが信じられなくなっていた。
 しかし、祐一に諭され、名雪は抱えていた自分自身への無力さを打ち払い、

(自分を信じる、自分を信じる、自分を信じる、自分を信じる自分を信じる、自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる自分を信じる!)

 目をつぶり、呪文のように頭の中で同じ言葉を反芻する。自分を鼓舞するように。
 目を開き、ぎゅっと召喚器を握り締め、額に押し当てる。

「わたし、あなたを信じるよ……だからお願い、力を貸して!」

 もうひとりの自分への呼びかけ。
 トリガーを引く動作。
 それらに自分への信頼を託す。
 衝撃が突きぬけ、ペルソナ・フレイアがその姿を現した。



 名雪がフレイアを召喚する。
 それはくるりと舞うように一回転すると、光の粒子を舞い飛ばす。
 それは俺たちの体にまとわりつくと、一層輝かしい光を放つ。

「これは……」

 俺は自分の内側が、何か熱くなっていくのを感じる。
 あれだけだるかった体が軽く思える不思議な感覚。

「フレイアが自分の力の一部を貸してくれたんだよ」

 名雪が簡潔に説明してくれる。

「ありがとうね、フレイア」

 名雪の礼を聞き、フレイアはその姿を消していく。

「名雪、助かるぜ」
「水瀬、サンキューな」
「うん、わたしは、今はサポートしかできないけど、がんばって!」
『おう!』

 俺と北川が2トップでシャドウに立ち向かう。体が軽い。それは北川も同じようで、さっきまでとは身のこなしがまるで違う。

「うおらああああっ!!」

 北川の剣がシャドウを切り裂く。かなり深いところまで達したようで、シャドウの絶叫がこだまする。

「行くぞ! ヘズ!!」

 俺の呼びかけに答え、ヘズは炎を生み出し、シャドウにぶつける。今までの炎とは比べ物にならない熱気が、俺の頬を通じて伝わる。浴びせられたシャドウは悶絶し、体を振って激痛を訴える。それに応じて、めちゃくちゃに振りかぶられた髪の毛の束が俺たちを叩く。
 苦痛に顔をしかめるが、まだまだいけると体が訴える。
 さっきまでの苦戦が嘘のようだ。
 しかし、

「祐一さん、髪がどんどん迫ってきてます!!」

 栞の悲痛な呼びかけに、はっと俺は周囲を見渡す。
 気づけば髪の結界は、俺たちを本格的に消しにかかるようで、俺たちの足場は、シャドウの周囲3メートルにまで及んでいた。

「まずい! 栞、お前もできる限り銃で応戦してくれ! 名雪、サポートと攻撃を並行して頼む!」
「りょ、了解です」
「任せて!」

 栞は銃を構え、シャドウに銃口を向け、名雪は腰のナイフを構えて臨戦態勢をとる。

「ヘーニル!」

 北川の召喚が合図となり、俺たちは動き出す。
 ヘーニルの鋭い突きがシャドウを貫く。絶叫を上げて悶絶するシャドウに、栞の銃弾が突き刺さる。名雪のナイフが、俺のヘズの炎がシャドウにダメージを与えていく。

「……! シャドウが……」

 見れば、シャドウの輪郭がぼやけ、度重なるダメージでもはや自己の形を維持しきれないほどに弱っているのが分かる。
 ようやく……ゴールが見えてきた!

「よし、あと一息だ!」
「おう! うおおおおっ!?」

 突然北川が横に跳ぶ。

「くそ、もうこんなところまで……!?」

 驚愕する。シャドウの髪の結界はもう俺たちを串刺しにせんと、完全に俺たちの足場を奪っている。

「祐一、まずいよ! このままじゃ全滅しちゃう!」
「くっ……本体に近づくんだ! 危険かもしれないが、今の状況からそれしか方法はない!!」
「は、はい!」
「北川、名雪と栞をしっかり守ってやってくれ!」
「任せろ!」

 戦闘能力の乏しい栞のガードを北川に任せる。残った俺は一人で、やつと対峙することになる。

「……行くぞ」

 静かに刀を構える。おそらく、俺がペルソナを呼べるのは、あと1回が限界だろう。それ以上は俺の体が持たない。
 シャドウの吹雪が俺の顔を叩く。全身に氷が張り付き、動きを鈍らせるが、勢いの付いた俺の体を止めるには至らない。渾身の力を込めた刀がシャドウの腹に深々と突き刺さる。

「……!?」

 しかし、刀を引き抜こうとするが、抜くことができない。
 その機会を逃さず、シャドウの髪が俺に殺到する。

「ちっ」

 刀を手放し、バックステップでかわす。
 素早く召喚器を構え、こめかみに当て、トリガーを引く。

「食らえ!」

 ヘズが召喚される。それは俺の意図を汲んだのか、その拳を、俺が突き刺した刀にぶつける。刀が深く、深く突き刺さり、シャドウの体内にめり込む。
 轟音が俺たちを揺るがす。

「やったか……!」

 俺はシャドウを見上げる。シャドウの体が大きくのけぞり、口からは黒いタールのような何かが溢れ出、そこから、ゆっくりと溶けていく。
 しかしそれは、

「くっ、このやろう、俺たちと心中するつもりか!?」
「この髪の結界、全然解けません!!」

 そう。力を失ったはずのシャドウの髪の結界が、支えを失ったにもかかわらず、依然俺たちを閉じ込めていた。
 そして、髪の結界もその錐の鋭さを残したまま、俺たちににじり寄る。

「く……」

 俺たちは消えかかるシャドウの体に背をぶつける。そして、ここぞとばかりにシャドウは俺たちの体を掴み、逃しまいと最後の力を込めて、俺たちを殺しにかかろうとする。

「くそ、離せ!! この化け物野郎!!」
「そんな……ここまでなの……?」

 絶望的な状況の中、髪の錐が、俺たちの鼻先にまで迫る!

「く……」

 万事休す。俺は目を閉じ、最後の瞬間を迎え……るのを覚悟するが、

「…………?」

 一向に襲ってこない全身の苦痛に、不思議に思った俺は目を開く。飛び込んできたのは、今まさに俺を貫かんとする髪の錐。
 恐怖が体を突き抜けるが、ぐっとこらえ、それを観察するが、動く気配がまったくない。
 そして、

びちゃり

 頭に不快なものが落ちてくる。
 何かと思い、ぬぐってみると、真っ黒なタールのようなもの。それが頭から振ってくるということは……
 シャドウの体が、頭から徐々に崩壊し、黒い何かとなって俺たちに降り注いでくる。

「うわ、なんだこりゃ!?」
「気持ち悪いよ〜」

 同時に俺たちの拘束も解け、自由になった北川たちは、自分の体に降り注ぐ不快なものを、取り除こうと必死になった。
 結界も本体と同様に解け、溶け、風に消えていく。
 そして、後に残ったのは、ぼろぼろになった駅のホームと、象徴化したオブジェ、そして、俺たち。

「勝てたの……かな?」
「そうみたいだな……」

 呆然とした名雪の声に、やはり呆けた声で返す。

「よ、よかったよ〜、本気で死ぬかと思った……」

 名雪が腰を落としてへたり込む。

「今回ばかりは……マジでやばかったぞ……」
「生きててよかったです……本気で」

 北川も、栞もその場にへたり込んで、そのまま立ち上がれない。
 俺も、限界に達した体が力を失い、大の字になって、コンクリートの上に寝そべる。
 と、

『……うしてくれ……わくん』

 聞き覚えのある声が聞こえる。

「ん? なんだ?」
「あ、これじゃないでしょうか?」

 栞が通信機をポケットから取り出す。
 そういえばすっかり忘れていたが、俺たちは久瀬たちと連絡が取れない状態だったんだな。俺はイヤホンをさして通信機のスイッチを入れた。

「すまん、俺だ」
『相沢君!? 無事なのか!?』
「ああ、何とか生きてる。香里が負傷して気を失っている以外は全員無事だ」
『そ、そうか……』

 久瀬の安堵の声が通信機越しに伝わる。

『シャドウはどうなった?』
「何とか倒せた。正直やばかったけどな」
『……それは本当かい?』
「嘘言ってどうする」
『…………』

 沈黙。
 おそらく、俺たちの言うことがにわかには信じられなかったのだろう。久瀬はしばらく何も言葉を発することができずにいた。

『と、とにかくご苦労だった。今、そっちに折原君が向かってるから合流してくれ』
「了解」
『それともうひとつ』
「なんだ?」
『君たちがしでかした今回の単独行動のペナルティは、明日から一週間、寮内のトイレ掃除で勘弁してあげよう』
『えええ〜っ!?』

 俺たちの不満の声が一斉に通信機に流れる。

「久瀬君、横暴だよ!」
「そんなこと言う人嫌いです!!」
「ちょっと待て! そりゃいくらなんでもひどかないか!?」

 口々に文句を通信機に垂れ流す面々。
 しかし、

『嫌なら、今作っている秋子さんの新作ジャムのモニターを……』
『トイレ掃除がんばらせていただきます』

 この瞬間、俺たちの心は一つになった。



「いや、今回は本気でやばいと思ったぞ」
「さすがにわたしも無限回廊に閉じ込められたのは初めてだったよ」
「……見たこともないシャドウがいっぱいだった」

 あの後、俺たちは折原たちと合流し、そのまま影時間が明けるのを待ち、秋子さんに迎えに来てもらった。
 どうやら、俺たちの救出に向かった折原たちは、俺たちと同じように無限回廊にはまり、延々とそこでシャドウたちと戦っていたらしい。
 しかしそんなところで五体満足でいられる辺り、やっぱりこいつらとの開きを意識せざるをえない。
 悔しげに折原たちを見ているのに気づいたのか、舞は俺を見つめ、口を開いた。

「……祐一」
「なんだよ、舞」
「焦っても意味がない。ゆっくりとがんばればいい」
「……ありがとう」
「……ん」

 アドバイスをくれた舞に礼を言い、俺は窓の外を眺めた。

「今日はいろんなことがあったなあ……」
「ふふ、お疲れ様です、祐一さん」

 運転手である秋子さんが、俺の独り言に反応する。

「……ところで、祐一さんが今日倒したシャドウですが」
「はい?」
「……いえ、なんでもありません。忘れてください」
「はあ……」

 なんだろう? ちょっと気になることを言ったな。
 …………まあ、いいか。疲れたし。後で聞けばいいか。
 眠気が押し寄せてくる。あくびを我慢できない。

「あらあら……祐一さん、いいですよ。しばらくお休みしてください」
「すみません、もうだいぶ疲れて……しばらく眠ります」
「ええ、寮に着いたら起こしてあげますから」

 その言葉を最後に、俺は意識を手離す。心地よい眠りに着く直前、俺は聞き覚えのある声で、誰かがお疲れ様、と耳元でささやくのを聞いた。



「……以上で報告終了です」

 久瀬は目の前の叔父、秀一に事の顛末を書き記した報告書を提出する。
 秀一はそれを一つ一つじっくりと目を通し、時々頷いては、穏やかな笑みを浮かべる。

「ふむ、これが現段階で確認されている大型シャドウか……大変興味深い」
「僕にはこれが全部だとは思えません。それ以上に、どうしてこれほどまでの大きなシャドウが僕に感知されず、狙ったかのように突然出現したのか、不可解でなりません。もっと念入りに調査し、速やかに撃退する必要性があると思います」
「その点については僕も異存はないよ。僕なりに手は尽くしてみるから、君も別のアプローチで調べて見てくれ」
「はい……では、今日はこれで」

 きびすを返し、理事長室を後にしようとする久瀬の背を、秀一が呼び止める。

「ああ、そうだ、隆明君」
「何でしょう?」
「ちょっと面白いデータが入ったんだ。後で資料を送るから、よく目を通しておいてくれないか?」
「……分かりました。では、失礼します」

 理事長室から久瀬が出て行き、一人取り残された秀一は、一人、呟いた。

「あと10体か……」


Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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