深夜、水瀬寮――とある一室。
 そこでは、異様な雰囲気がかもし出されていた。

「うぐぐぐぐぐぐ……」
「おい、まだ悩んでんのか?」

 折原が南家から、悩む北川に文句をつける。

「あー、ちょっと待て! もうちょっと考えさせろ!」
「早くしてくれ、時間がなくなる」

 斉藤も逆サイドから野次を飛ばす。

「北川、もう思い切ってとっとと捨てろ」
「でーい! こいつでどうだ!」

 北川が、河にダン、と叩きつけるように、牌を捨てた。

「おっしゃあ、ロン!」

 俺は自分の牌を倒した。

「ぐあああ、やっぱり当たりか!!」

 頭を抱えて天を仰ぐ北川。

「清一色、イッツー、ドラ2! 面前だから、倍満16000!」
「うがああ、それでトビだっ!!」
「うおぅ、なんつー待ちしやがる! 相沢! 二筒のカンチャンって、来なかったらどうするつもりだったんだ!」
「北川が勝負賭けてることは知ってたからな。あえて奴が切ってた二筒を見て、思い切った」
「俺、狙い撃ちかよ!!」
「お前、分かりやすいからなー。カモらせてもらった」
「くっそー!!」

 俺はにやり、と心底悔しがる北川に笑って見せた。

「……それにしてもさあ」
「……何だ、相沢」
「作戦が終わった後に麻雀ってのも、俺たちタフだと思わないか?」
「まあ、明日は日曜なんだし、たまにはいいだろ?」

 正確には、今まさに日曜なんだけどな。北川の台詞には、あえて突っ込みを入れずに黙っている。

「それに、明日からはゴールデンウィーク! 明日をはさんで、次の日はみどりの日! 暇な日をこういうときに使わず、いつ使うってんだよ!?」
「……暇だよな、俺たち」
「それを言うな……」
「はー…………」

 はー、と四人でうつむいてため息をつくしかなかった。




P-KANON ACT.5




『ふぁ〜……』
「はぇ〜、皆さん眠そうですね〜、大丈夫ですか?」

 朝食の食卓。佐祐理さんが、眠そうにしている俺たちを見て、心配そうに声をかけてくれる。

「大丈夫ですよ、佐祐理さん、ちょっと男同士の熱い勝負をしていただけですから」
「そうっすよ、倉田先輩。これは名誉の負傷です」
「ふぇ〜、そうだったんですか〜」
「……どうせまた徹夜で麻雀でもしてたんだろう。やるな、とは言わないから、節度を持ってやってくれ」
「…………楽しそう」

 ぽつりと、舞が俺たちのやり取りを見て、そうつぶやいた。

「ん? 何がだ?」
「……麻雀」
「じゃあ、今度舞もやってみるといい。舞は麻雀やったことは?」

 ふるふると首を振る舞。まあ、そんな気はしていたが。

「それじゃ、今度俺たちの卓に加えてやるから、そのときに実践で教えてやるよ」

 コクン、と首を縦に振る舞。……いや、それはいいんだが、あまりにも無警戒すぎやしないか? 一応俺ら、男なんですが?

「あはは〜、大丈夫ですよ。舞に手を出したら、佐祐理が『処刑』しちゃいますから」
「…………」

 俺と折原が背中からやな汗だらだら流れていくのが分かる。嫌なことを思い出させる……
 どうやら、それは久瀬も同じらしく、目が泳いでいる。……こいつは昔何をやらかしたんだろう?

「そうだ、祐一さん。今日はお暇ですか?」
「は? ええ、徹夜で麻雀するくらいですから、暇ですよ」
「あはは〜、それはよかったです。今日、ちょっと舞とお買い物をしたいんで、荷物持ちをお願いしたんですが、駄目ですか?」
「うーん……」
「いいんじゃないか、相沢。どうせお前、今日は休みだろう?」

 悩む俺に斉藤が言う。確かに昨日は作戦があったため、俺たちは休みである。まあ、暇だし、いいかとは思う。

「わかりました。お供しましょう」
「助かります、祐一さん」



 駅前ショッピングモール。オープンからまだ1年足らずのごく新しいものであり、休日だけあって、たくさんの人でにぎわっている。

「さ、佐祐理さん、まだ買うんですか……?」

 既に俺の手には、抱えきれない大量の荷物が抱えられている。はっきり言って、この量は男の俺でもかなりきつい。

「大丈夫ですよ、祐一さん。あと一袋買ったら、それで終わりですから」
「そ、そうですか……」
「……祐一、頑張る」
「ぐあっ……」

 舞は励ましてはくれるが、荷物を持とうとはしなかった。舞本人の荷物はほとんどないが、それでも買ったものは俺が持ち運んでいる。
 佐祐理さんは、次の買い物を物色し始めていた。その横を舞がついていき、後ろを俺が追っているという形だ。と、モールの中にあったファンシーショップの前で、舞が足を止めた。佐祐理さんはそれに気づかず、すたすたと先に進んでしまった。俺はとりあえず、舞に付き添うことにする。
 舞の目は、ショーケースの中にあるぬいぐるみに釘付けになっている。

「舞、どうした?」
「……可愛い」
「どれどれ……」

 舞がじっと見ていたのは、大きなうさぎのぬいぐるみ。しかし、その値札には、高校生の小遣いでは絶対に手が出ないような値段が書かれていた。

「これ、さすがに買えないな……」
「……うさぎさん、可愛い」
「名残惜しいのはわかるが、これじゃ手が出ない。諦めるしかないな」
「…………」

 舞の表情は無表情に見えるが、その目には、少し悲しみの色が見えた。

「舞〜」

 ようやく舞がいないことに気づいたようで、佐祐理さんが引き返してきた。

「佐祐理」
「はあ、はあ……お二人が急にいなくなっちゃったから、探しちゃいました〜」
「あ、ごめん、佐祐理さん」
「ごめん」
「ううん、平気。あら……?」

 佐祐理さんは、舞がショーケースのぬいぐるみをじっと見つめていたことに気がつく。

「舞、それ欲しいの?」

 コクン、とうなづく舞。

「あはは〜、佐祐理にまかせて。このくらいなら、何とか買えちゃいますから」
「えっ!!」
「祐一、声が大きい」

 ちょっと驚いた。はっきり言って、この値段は、一高校生が「何とか買える」ような値段ではないことは明らかなのだが……

「すみませーん、ショーケースのぬいぐるみが欲しいんですがー」

 佐祐理さんは店員を呼び、財布から、カードを一枚取り出す。驚愕の表情を浮かべる店員。何事かを話したかと思うと、ショーケースの鍵を外し、綺麗にそれをラッピングして、佐祐理さんに手渡した。

「ありがとうございます」
「あの、佐祐理さん、そのカードは……」
「ふぇ、これですか? 佐祐理用の特別会員カードです。普段はめったに使いませんが、こういうときくらいなら、使っても罰は当たりませんから〜」
「特別会員って……」
「このモールは佐祐理のお家が経営してますから。このカードを使えば、全品8割引なんですよー」
「マジっすか……」
「でもこのカードは、本当に必要になったときしか使いませんね。佐祐理はあんまり特別扱いされるのは好きじゃありませんから。普段必要なものは、自分のお小遣いから出していますよ〜」

 なんというか、律儀だな。

「はい、どうぞ、舞。佐祐理からのプレゼントですよ〜」
「……ありがとう、佐祐理」
「あはは〜、このくらい当たり前ですよ。佐祐理は舞の親友ですから」
「よかったな、舞」

 恥ずかしげにうなづく舞。普段無口なだけにこういう表情は可愛いと思う」

「…………」
「はぇ〜……」
「……はて? どうしました、お二人とも」
「……知らない」

 舞はそっぽを向く。

「あはは〜、堂々とした口説き文句でしたよ〜」
「……まさか」
「はい、きっぱり口に出してましたよ〜」
「……すいませんでした」

 またこの癖か……しかもよりによってなんつー事口走ってるか、俺は……



 恥ずかしい思いをして(俺が)、ファンシーショップを出た俺たち。ちょうどそのとき、誰かの腹の虫がなった。

「……お腹すいた」
「そういえば、そろそろそんな時間か。フードコーナーは1階だっけ?」
「そうですね、それじゃ、お昼にしましょうか」

 コクン、とうなづく舞。さっきから俺はその様子を見て、ちょっと思うところがあった。

「舞、いつもそれだけで自己主張するのも、面白みに欠けると思わないか?」
「……?」
「いいか、これから俺や佐祐理さんに対してだけで構わないから、『はい』の時には『はちみつくまさん』、『いいえ』の時には『ぽんぽこたぬきさん』と言うんだ」
「ふぇ〜、面白いことを思いつきますね、祐一さん」
「どうだ、返事は?」

 舞はたっぷり考えて、ポツリとつぶやいた。

「はちみつくまさん」
「あはは〜、舞、その言い方気に入ったみたいですね〜」
「……えーと」

 ほ、ほとんど冗談のつもりで言っただけなんだけどなー……ま、いいか。舞が気に入ったのを無理に止める必要もないか。

「そ、そうか! 気に入ってくれたか!」
「はちみつくまさん」
「な、ならいいや、あ、あははははは……」
「……祐一、変」



 昼食は、舞の希望で、チェーン店の牛丼屋になった。店の名前は「海牛」という。

「驚いたな……」

 注文を待っている間に出た俺の独り言を聞いて、佐祐理さんが不思議そうな顔をした。

「ふぇ、何がですか?」
「いや、ここの牛丼屋、俺の地元でもあったから……」
「そうだったんですか。祐一さんの地元はどんなとこだったんですか?」
「そうだな、少し行けば開発された街があったけど、俺が住んでたところは下町っぽさが残るとこでしたね。ちょっと泥臭いところがあったけど、俺は好きだった」
「ふぇ〜、いいですね〜。それじゃ、佐祐理たちの街と比べたら、どうですか?」
「……難しいですね。どっちも好きという答えじゃ、駄目ですか?」
「あはは〜、今はそれでいいですよ。でも、その内この街が一番好きと言わせて見せますから」
「はは、楽しみにしてますよ」
「お待たせしました。牛丼特盛セットお一つ、並盛お一つ、大盛りお一つ卵つきでよろしいですか?」

 店員が俺たちの注文を持ってきた。



「牛丼なんて久しぶりだったな」
「……皆で食べる牛丼、嫌いじゃない」
「あはは〜、また三人で食べに行きましょう?」
「はちみつくまさん」
「そうですね、たまにはいいかな?」

 佐祐理さんが満足そうに笑うと、そこに誰かの携帯が鳴る。誰か、と思うと、それは佐祐理さんのようで、去る離散はメールを確認すると、

「すみません、これから佐祐理はちょっと用事が出来ましたので、祐一さんたちは自由行動にしませんか?」
「はい……?」
「祐一さんも何か買いたいでしょうし、佐祐理はちょっとここのオーナーさんとお話しがあるんですよ。すみませんが、その間、モールで好きになさって結構ですから」
「はあ……」
「荷物はインフォメーションセンターで預かってもらえますから、祐一さんもそこで荷物を預けて、好きなお店でお買い物してください。終わりましたら、集合場所をメールでお知らせしますから」

 それでは、と佐祐理さんは勝手に一人、すたすたとどこかへ行ってしまった。残される俺と舞。

「……どうする? 舞」
「……祐一はどうしたい?」
「うーん……ちょっと疲れたから、俺は荷物を預けたら、しばらくベンチで休んでるよ。舞は何かあったら、俺をメールか何かで呼んでくれ」
「はちみつくまさん」
「いや、だからそれは……なんでもありません」



「ふぁ〜……」

 ベンチでいい感じでリラックスしていると、徹夜疲れが出たらしく、眠気が襲ってくる。ちょうどいいし、このまま眠ってしまおうか……

 ちょっとだけうとうとしていると、カメラのシャッター音が聞こえた。何だ……?

「あ、起きちゃった」

 そこにいたのは見たことのない女の子。こげ茶の髪を肩まで伸ばした、割と可愛い方に分類されるタイプだろう。が……

「……おい」
「何?」
「人の寝顔を撮るとはいい趣味してるな」
「あはは、知ってる顔が間抜けな寝顔してたら、携帯のカメラに収めたくなるよね?」
「なるか!!」

 というか、俺はこいつを見たこともない。こいつは一体誰だ?

「んー、期待の転入生、相沢祐一の寝顔、いいコレクションになったわね〜」
「待て、何で俺の名前を知ってる!?」
「何でって、隣のクラスでしょ? 合同体育で一緒になったことあるじゃない。柚木詩子って知らない?」
「俺は知らん!」
「あれ? そうだったっけ? んー、まあいいか」
「全然よくない! その写真、今すぐ削除しろ!」
「じゃあ、改めて、あたしは柚木詩子。相沢君の隣のクラス。とりあえずよろしく」
「よろしくねえ!!」

 ちくしょう、こいつ人の話全然聞きやしねえ!

「んでさ、相沢君は何してるの?」
「いや、だから俺の話を……ああ、もういい。とりあえず、連れと別れてちょっと休憩してただけだ」
「おおう、それってデート? デート?」
「違う! そういう話にどうしていきなり結びつく!?」
「ちぇー、残念。面白くなりそうだったのに」
「……ちなみにデートと答えたら、どうするつもりだった?」
「とりあえず、クラスの友達にメールして面白おかしく語り合うかな?」
「やめーい!」
「んで、その連れの人は何してるわけ?」
「……」

 どうする? こいつに佐祐理さんのことをうっかり喋った日には、一回りも二周りもでかい話になってクラス中に広まりそうだ。よし、ここは無難に……

「ノーコメント」
「……手強いわね」

 よし、回避成功!! と思った瞬間、俺の携帯に突然メールの着信が! 誰かと思って見てみると、それは舞のメール。

『>2階のアクセサリショップまで来て』

「うっわ、舞のやつ、シンプルなメールだな……」
「舞……?」
「はっ……」

 思わず口走った俺の名前に、過敏に反応する柚木。……やばい、あの目は……

「舞って女の子の名前よね!? やっぱりデートしてたんじゃない相沢君!」
「ち、違う! 俺は佐祐理さんと舞の荷物持ちで、決してデートじゃ……」

 ……しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! うっかり佐祐理さんの名前まで!!

「しかも両手に花! くー、これはもうメールで送るしか!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 大慌てで柚木の携帯を取り上げる。

「あー、何すんのよ!」
「やかましい! 俺はデートに来たわけじゃない! 単なる荷物持ちだ! 一応ここまで主張してるんだ! それで納得しろ! それでメールで今の話を送らないと誓うまでは返してやらん!!」
「ちぇー」

 不承不承で渋々俺の提案に承諾し、携帯を返してもらう柚木。

「まあ、携帯返してもらったからいいけど。じゃあ、これだけなら聞いてもいい?」
「なんだ? 言っとくが、今からの発言も他言無用だぞ」
「うわ、先読みされてるし。……まあ、いっか。相沢君の言った舞と佐祐理さんって、もしかして、川澄先輩と倉田先輩?」
「……ビンゴだ」
「あ、やっぱり。随分親しいけど、どういう経由で知り合ったの?」
「それは知ってるんじゃないか? 俺はなゆ……水瀬の従兄だからな。叔母の秋子さんの寮に住んでるだけだ。で、二人はそこの寮生だ」
「あ、なーるほどね」
「納得したか?」
「一応ね〜」

 一応、という言葉にすごい不安が感じるんだが、あえて気にしないでおこう。

「それより相沢君、そろそろ川澄先輩のところに行かなくていいの?」
「はっ……いかん! とりあえず、柚木、さっきの約束忘れるなよ!?」
「わかってるよ、メールで流したりはしないって」

 その言葉に含みがあることに俺は気づかず、そのまま俺は舞のところに駆けつけた。



「遅い、祐一」
「悪かった!」

 不機嫌なオーラ全開にして舞がつぶやく。俺はそれ対してひたすら謝ることしか出来ない。100%俺が悪いんだから。

「…………」

 そして、舞は完全にすねてだんまりモードになっている。どうしたものか……

「なあ、舞」
「……何?」
「悪かったと思うからさ……どうすれば、許してくれる?」
「……これ」

 舞の手には、可愛らしいうさ耳のカチューシャが握られている。

「……買ってほしい、のか?」
「はちみつくまさん」
「……わかった、それで手を打とう」

 値段は、割と手ごろで、俺でも手が出せる。これで許してもらえるなら、安いものだろう。
 俺はレジでそれを買い、ラッピングして、舞に差し出した。

「ほら、俺からのプレゼント。気に入ったか?」
「……はちみつくまさん」

 言うなり、舞はおもむろに、ラップを解いて、カチューシャをつける。
 ……ぐはっ。
 普段クールそうな舞がつける可愛らしいうさ耳カチューシャ!
 いかん、これは個人的にクリティカルヒットかもしれん……が、
 見れば、周りの視線が痛いこと痛いこと……そりゃそうだ、年頃の女の子が喜んで公衆で付けたいものじゃないからな……

「舞、ここを離れよう」
「祐一?」

 俺は舞の手を引っ張って、その場を離れた。ここで柚木に見つかったら、さらにややこしい事態になるかもしれないという予感があったが、幸いそれは外れてくれた。



 数時間後、周りの痛い視線にさらされながら、佐祐理さんのメールを受け取った俺は、集合場所にやってきた。

「あはは〜、二人ともお待たせ……」

 佐祐理さんが舞のカチューシャに注目する。

「ふぇ〜、舞、可愛い……」
「……祐一がくれた」
「そうなんだ、よかったね、舞」

 舞が喜んでくれるのはよかったが、それであの羞恥プレイは正直きつかった。

「それじゃ、お話も終わりましたし、皆さん帰りましょうか?」
「はちみつくまさん」



「おっ、お帰り、あいざ……ぐはあっ」

 寮に帰るなり、折原がうさ耳つけた舞を見て吐血した。

「か、川澄先輩……グッジョブっす……がくっ」

 お前も漢だったか、折原よ。お前の気持ちはよく分かるぞ。

「か、川澄先輩! け、結婚してくださ……へぶしっ」

 血迷った北川が、何事かを言おうとしたところ、その場に居合わせた香里にこの上なくいいパンチをもらって吹っ飛ばされた。

「か、川澄さん、それは……」
「……ぶはあっ」

 厳しい久瀬も目を白黒させ、斉藤にいたっては、一目で鼻血を噴き出して、気絶した。

「わ〜、川澄先輩、可愛い〜」
「うん、すごく可愛いです。川澄先輩」
「結構……インパクトあるわね」
『すごくかわいいの』

 女性陣も割と舞の格好を気に入ったようで、しきりに舞の格好を褒めていた。嬉しいのか、舞はちょっと顔が赤い。

「よかったな、舞。大好評だ」

 舞は恥ずかしげに、小さくうなづいた。



 夕食を終え、くつろいでいる内に、作戦開始の時間が迫る。

「そろそろ作戦の時間だな。折原君、現場指揮はよろしく。今日は長森さん、川澄さん、英二で見回り担当だ。今日は僕が寮内の警備で、佐祐理さんが全体指示。残りのメンバーは休養だ。異存はないか?」

 誰も手が上がらない。

「よし、作戦開始だ!」
「祐一」
「何だ、舞」
「……朝のこと、忘れないで」
「朝? ……ああ! 麻雀のことか!」
「……忘れてた?」
「いや、本気とは思わなかった」

びしっ

「ぐおっ」

 舞のチョップが俺の脳天に炸裂した。

「わたしは本気だった」
「わかったよ、卓は用意してやるから、作戦が終わったら、北川の部屋で待ってるから」
「おお、今日は川澄先輩が相手か。いやー、楽しみだぜ」
「……それじゃ、行ってくる」
「おう、気をつけろよ」

 舞は、ぐっと親指を立てて、正門を出て行った。



「……暇だなー」
「そうだなー……」

 北川の部屋。用意した麻雀牌をいじりながら、俺と北川はぼやいていた。

「休みって言っても、やること特にないよなー……」
「だな。なんか事件でもあれば……」

ビーッ

 突如、けたたましいブザー音が寮に響いた。

「うおっ、なんだなんだ!?」
『寮にシャドウ接近中! 大至急迎撃に当たってください!』

 佐祐理さんの必死の声が響く。北川の顔色に、緊張が走る。

「一大事だな、行くぞ北川!」
「おう!!」



 俺と北川が正門に駆けつけると、久瀬が一人、奮闘していた。

「久瀬!」
「すまん、手を貸してくれ! この数はきつい!」
「OK!!」

 正門をくぐろうとしていたのは、俺たちが見たこともないタイプのシャドウ。ぱっと見はカラスではあるが、腹に仕込まれているのは、シャドウの仮面。それが5体。

「行くぞ、ヘズ!!」

 召喚器を構え、ヘズを召喚する俺。ヘズの炎がシャドウを包む。

「なっ……」

 俺は驚愕の声を上げる。シャドウは俺の炎に火傷どころか熱がる気配すらない。……これは一体?

「あれは炎の攻撃は効かんタイプのようだな。それ以外の攻撃で攻めよう」
「……わかった」

 そういうことか。俺もまだまだのようだ。
 久瀬は横で召喚器を構え、それを額に押し当てる。

「行くぞ、フォルセティ!!」

 召喚器から銃声が響き、久瀬から放たれる蒼の破片。
 それは俺が初めて見る久瀬のペルソナ。それは輝く男性の姿をしており、片手には剣、片手には調停書。
 フォルセティと呼ばれたそれは、剣を一閃し、シャドウの1体を切り裂いた。

「うおおっ、すっげえな、久瀬!」
「こりゃ、負けてらんないな、北川!」
「おうよ、行くぜ、ヘーニル!!」

 ヘーニルが剣で切りつけ、その羽を切り落とす。羽を切り落とされて、もがくシャドウ。俺はそのもがくシャドウに刀を突き刺し、止めを刺す。

「よっしゃ、残り3体!」

 北川が宣言する。しかし敵だってただやられるために存在しているわけではない。カラスもどきたちは、羽ばたくと、そこから、炎を撒き散らす。直撃は避けたものの、その熱で皮膚が焼ける。

「くっ……」

 苦痛に顔をしかめる北川。一瞬動きを止める。その隙を逃さず、カラスのくちばしが迫ってくる。

「北川!!」

 俺は北川を突き飛ばし、その攻撃を背に受ける。焼けるような痛み。

「ぐ……」
「す、すまん、相沢!!」
「大丈夫か!? 相沢君!?」
「ああ、大丈夫だ。反撃といこう……?」

くらり

 おかしい。身体の力が入らない。いや、それどころか、妙な寒気すら感じる。脂汗が全身を濡らす。なんだ、これは……?

「お、おい、相沢、顔真っ青だぞ!?」
「これは……まずい、毒か!?」
「し、心配するな……やるぞ」

 たたらを踏みながら、俺は立ち上がる。ちょっとでも気が抜けたら、ばったり、だなこれは……

「ヘズ!!」

 ヘズのぶちかましが、もろにシャドウを捕らえる。吹き飛ばされ、地面に叩きつけられたシャドウは、痙攣し、消滅する。しかし、それに比例し、俺の体力が急激に抜ける。立ってるのも正直つらい……

「もう一撃だ、行けえ! ヘズ!」

 ヘズの拳がもう1体のシャドウを捕らえた。ダメージは入ったようだが、深手にはなっていない。それに対して俺は、ペルソナの使用と、身体による毒の影響で、もう平衡感覚すら危うい。

「もういい、相沢君! 君は早く寮で治療を受けろ!! ここは北川君と僕で何とかする!」
「そうだぜ、相沢! 俺たちをもうちょっと頼れ!!」

 久瀬と北川が怒鳴る。だが、その言葉が少しだけありがたかった。

「す、すまん、そうさせてもらう……」

 俺は背を向けて寮に戻る。無防備な俺の背は、久瀬と北川がしっかりと守ってくれていた。



 ふらつく足で俺は作戦会議室へ向かう。途中、何度も力尽きそうになったが、気合で何とかこらえた。ほうほうのていでたどり着いた5階の作戦会議室では、栞が待機しており、飛び込んできた俺の顔色を見るなり、大慌てで俺に駆け寄る。澪と佐祐理さんも一緒だ。

「ゆ、祐一さん!? 顔、真っ青ですよ!?」
「だ、大丈夫……」
「嘘です! 絶対大丈夫じゃないですよ!」
「栞さん、祐一さんを診せてもらえませんか? その間、カメラの様子を見ててください」

 栞は佐祐理さんを見つめると、小さくうなづき、小声で「お願いします」とつぶやき、モニターに向かう。佐祐理さんは、俺の背中の傷と、俺の顔色を診て、

「……祐一さん、シャドウの毒にやられましたね?」
「そ、そうらしいですね……」
「ちょっと待ってくださいね、すぐ楽になりますから」

 佐祐理さんは召喚器を取り出し、それを自分の胸に向ける。

「シギュン、お願いします」

 トリガーを引いて、シギュンを召喚する佐祐理さん。シギュンは、俺の顔をいとおしそうに撫でる。すると、さっきまで感じていた寒気が引く。それと同時に、あの強烈な脱力感も軽くなる。

「お加減どうですか?」
「はい……大分楽になりました」
「そうですか、でも、身体の消耗と傷まではどうにもならないですね。こちらの方は、貴方をさっきから心配そうにしているナースさんにお願いしましょうか」
「はあ……」
「栞さん、出番ですよ」
「は、はい!」

 佐祐理さんに呼ばれ、慌てて栞が俺の元に駆け寄った。

「エイル!」

 相変わらず栞の回復魔法はよく効く。背中の痛みが引き、少しだけ体力も戻ってきた。

「すまん、栞」
「このくらい当然ですよ」
「よし、それじゃ、行って来る」

 俺が駆け出そうとすると、突然佐祐理さんが足をかけてくる。派手に転ぶ俺。

「さ、佐祐理さん、何を……」
「何を、じゃありません。消耗した今の祐一さんでは、二人の足手まといにしかなりません。ここでじっとしていてください」
「…………」
「大丈夫ですよ、寮は北川さんと貴明さんが守りますから、祐一さんはもう休んで下さって結構ですよ」
「……お言葉に甘えていいですか?」
「はい、ゆっくり休んでくださいね」

 微笑を返した佐祐理さんの顔を見ながら、俺は、まぶたを閉じる。佐祐理さんの手が俺の額をなでてくれた。その心地よさを感じながら、俺はしばしの眠りについた。



 うとうとする意識の中、なにやらやかましい声が聞こえる。

「っしゃあ、ツモ! リータンピンドラ1! 裏が乗って満貫4000、2000!」
「うおっ、マジかよ!?」

 声からして北川と折原か……って……

「お前ら、何やってる!?」

 身体を起こして、辺りを見ると、そこは俺の部屋。空は暗いが、いつもの夜空。影時間は明けたようだ。そして、どういうわけか俺の部屋にいたのは北川と折原、斉藤と久瀬、そして舞と佐祐理さん。いくら8畳近くある部屋でもこの人数を入れると狭い。そして、俺の部屋の真ん中には、麻雀牌と麻雀用のシートが敷かれたちゃぶ台。

「おっ、目ぇ覚めたな、相沢。気分はどうだ?」
「まあ、大分楽になったが……ってちっがーう!!」
「祐一、夜中にうるさい」

 舞が俺をたしなめるが、そんなことは問題ではない。

「何、お前が倒れたと聞いてな、いつお前が目を覚めてもいいように、卓をこっちに移動してきたんだ」

 さも、折原が当然だろうと言わんばかりに言う。

「横でジャラジャラやってりゃ、いやでも目ぇ覚ますだろうと思ってな」
「お前ら……」
「……僕は止めたんだけどな。押し切られた」
「ま、そんなことはいいだろう。どうだ、相沢。目覚めの一局。行くか?」
「……ふう、やってやるよ。お前ら全員ハコにしてやる」
「上等だ! かかってきやがれ!」

 こうして、俺たちの第二の死闘が始まった。



「おらあ、こいつは通ったろう!?」
「甘いぞ、そいつは俺の当たり牌だ。トイトイ、発、白、ドラ3、跳満だ」
「ぐわああっ!!」

「ツモ。リーチ一発ドラ1。裏ドラ3で跳満。6000オール」
「げげげっ、役なしの手が跳満かよ!」
「マジかよ……」

「ふっふっふ、でかい手を張ったぜ……てめえら、覚悟しろよ」
「そういう台詞はあがってから言うんだね。北川君。これは通るだろう?」
「くっ……通しだ」
「おっと、ツモった。タンのみ」
「うっがああああ、そんな安手で俺の四暗刻単騎があああああ!!」
「ご愁傷様」

(くっ……相沢のあの捨て牌、おそらくでかい手を張っている!)「こ、これはどうだ!?」
「そいつを待ってたぜ、折原。ロン、字一色」
「ぐわああああっ、役満直撃!!」
「折原、それで俺の逆転だな」

「あー、くそっ、あの役満直撃さえなけりゃ、俺のトップは不動だったのになー」
「それがあるから麻雀だろうが」
「そりゃそうだけどな……」

 悔しがる折原に、斉藤が言う。

「…………」

 と、そこに俺たちの半荘をじっと観戦していた舞が、俺の横に座る。

「……次はわたしが入る」
「おっ、川澄先輩が入るのか? でも、川澄先輩、ルール知ってるのか?」

 ふるふると横に首を振る舞。朝食の席でも確かにそう言っていたな。仕方ない。

「よし、俺が舞の特別コーチ役になる。構わないな? それで」
「はちみつくまさん」
「???」
「気にするな、俺と舞の間の暗号だと思え」
「わ、わかった。しかし相沢がコーチ役につくのか。油断は出来んな……」

 と言いながら、折原の目には邪悪な輝きが光っているのを俺は気づいていた。



「ふははははは、ローン!!」

 また折原が、舞の捨て牌から上がった。ほんとに大人気ねえやつだな、こいつ。舞が初心者なのをいいことに、完全にカモってやがる。

「…………」

 面白くないのが舞。さっきから、折原はテンパイするたびに、舞の捨て牌から、当たり牌をチョイスしている。俺もさっきから折原の動向に気をつけてはいるんだが、こういうときに限って、やつの思考は俺の予想の斜め上を行く。
 それがよっぽど悔しいのか、よく見ると、舞の目がちょっと潤んでいるのがわかる。それを見て、動き出したのは、佐祐理さんだった。

「舞、佐祐理が変わって打ってあげようか?」
「佐祐理……」
「おっと、今度は倉田先輩っすか? ふふふ、今の俺は絶好調ですよ。そうそう簡単に勝てると思わないでくださいよ?」
「あはは〜、ご心配ありがとうございます」

 佐祐理さんは舞をどけて、卓に座る。

「祐一さん、役の作り方だけ教えてくれますか?」
「あ、はい……」
「なんだ、倉田先輩も初心者じゃないですか? 言っときますが、俺は手加減しませんぜ」
「あはは〜、大丈夫ですよ浩平さん。もうすぐその天狗っ鼻、へし折っちゃいますから」



「ロン! 倍満!!」
「ふぇ、負けちゃいました……」

 やっぱり折原のやつにカモにされた佐祐理さん。今の一撃で点棒は空っぽ。トビだ。

「さ、佐祐理さん、やっぱり無理があったんじゃ……」
「ご心配いりませんよ、祐一さん。この局で、佐祐理、コツを掴んじゃいましたから」
「はい……?」

 そう言うと、佐祐理さんは折原に向きなおす。

「折原さん、もう半荘行きませんか?」
「はっはっは、構いませんよ。何局でもお付き合いしましょう」



「あはは〜、それ、ロンです」
「ぐはああああっ!!」
「……嘘だろ?」

 さっきとは打って変わり、佐祐理さんの打ち方は最早ビギナーズラックとかそういうレベルを超越していた。捨て牌の迷彩、最短で上がる効率のいい役の選択、他家の当たり牌の読み、全部がパーフェクトで他の面子を圧倒していた。
 佐祐理さんはさっきから折原を狙い撃ちしている。他の面子――久瀬と斉藤は巻き込まれまいと完全にベタ降りである。
 ……どうやら俺たちは眠れる獅子を起こしてしまったようだ。

「あはは〜、麻雀って楽しいですね〜」
「く、倉田先輩、もう勘弁してください……」
「まだまだですよ〜、折原さんが言ったんですから。何局でも付き合いましょうって。舞を泣かせたこと、死ぬほど後悔してもらいますから〜」
「……ぐふっ」

 佐祐理さんの一言に、折原は崩れ落ちた。
 ……言っとくが、今回は同情しないぞ、折原。


Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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