「今日はお疲れ様でした、皆さん」

 迎えの車の中、秋子さんが俺たちを労ってくれた。とはいえ、それ聞いていたのは俺だけ。他の皆はぐったりと眠っている。よほど疲れていたようだ。折原は助手席で気を失っている。寮での喧嘩の時には怒ったのに、さっきのリンチは何にも言わない辺り、ちょっと怖い。

「ありがとうございます」
「祐一さんの指揮、なかなか素晴らしかったですよ」
「そんなことないです。無我夢中でした」
「ふふ、そうだとすると、それは天賦の才かもしれないですね」

 やたらと褒めちぎる秋子さん。いくらなんでも褒めすぎのような気が……

「それにしても、やけに体が重いです。普段、これだけ身体を動かしても、こんなに疲れることはないのに」
「それは仕方がないんです。影時間の時には、普段の何倍も疲労がたまりやすいんですから」
「道理で……」
「祐一さん、もう疲れたでしょう? 車で眠ってしまって構いませんから、疲れを癒してくださいな。寮に着いたら起こしますよ」
「はい……すいません……」

 俺はその言葉に甘える。車の揺れが心地よく、俺を眠りの世界へ誘う。やがてまぶたが落ちきり、俺の身体は眠りについた……




P-KANON ACT.6




「予想以上だな……」
「……皆頑張った」
「そうですね、皆さんよく頑張りました」
「<死甲蟲>をあんなにあっさり倒す手際のよさはすごかった。これは鍛えれば充分な戦力になる!」

 水瀬寮、作戦会議室。
 斉藤、舞、佐祐理、久瀬の四人は、祐一たちの活躍の一部始終を、祐一に取り付けた特殊CCDで見ていた。その強さを目の当たりにし、先ほどまで感嘆の声を上げていたのだ。

「貴明、ひょっとすると、今年こそいけるかもしれないぞ?」
「そうだな……ようやくだ」
「……影時間を……今年こそ」
「消しましょう、絶対に」

 彼ら四人は、長年の悲願を、今年こそ、と強く決意していた。



「ぐあっ……きつい……」

 隣の折原のクラスとの合同体育の時間。よりによって、今日は初っ端から校庭でランニングである。昨日の痛めつけられた身体に、この授業は正直きつかった。

「お前も律儀なやつだな、北川は、保健室でサボりだぞ」

 斉藤が走りながら声をかけてくる。多少息は上がっているが、堪えてる様子はない。

「俺もそうすればよかった……」
「ま、出ちまったもんはしょうがないな。愚痴らず走れ」
「ああ、それにしても……」

 俺は先頭を走る折原たちのグループに目を向ける。

「ふはははははははははは、俺について来い!」
『おおう!!』

 ランニング開始直後、「ただ走るだけじゃ、詰まらん!」と突然言い出し、聖火ランナーのポーズで走る折原。そのノリに、折原のクラスの面々が便乗し、なぜか皆して聖火ランナーのポーズを取りながら折原についていっている。

「何がしたいんだあいつは……」
「さあ……」
「彼らに理由を求めてるだけ無駄だよ、その場のノリで生きてるような連中だから」

 いつの間にか俺たちについてきた久瀬が言う。ちなみに久瀬は折原のクラスになっている。さぞ胃の痛い思いをしていることだろう。

「あれ、久瀬は行かないのか?」
「……僕のキャラじゃない」
「……だな」
「さあ、ラスト一周だ! 皆のもの、よくここまで付いてきた!!」

 折原が大きな声を張り上げて宣言する。

『おおう!!』
「しかし、今から俺はスパートをかける。と言うわけで、諸君、アデュー」

 しゅたっ、と手を挙げる折原。
 言うなり、それまでの速度が嘘のように猛スピードで走り出す折原。

「ああ、てめえ、ずりいぞ!」
「追え!!」

 それに釣られて、追いかける折原の仲間。

「しかし、あれだけ見ると、折原のカリスマってすごいんだな」
「そうだな、普段の行動はアレだが」

 斉藤も、その辺に関しては同意見だった。



「ランニング直後に短距離の記録って、拷問か、これは?」
「まあ、これはさすがにな……」

 体育座りをしながら、自分の番を待つ俺と斉藤。折原のクラスの男子から記録を取っているため、俺たちの番はまだ回ってこない。
 と、突然後ろの男子が俺の背をつつく。何事かと後ろを向くと、男子は何も言わずに、小さなメモ紙を握らせた。俺はそのメモ紙を開くと、そこにはこう書かれていた。

『第1回女子短距離記録
HIGH&LOW大会開催! 一口100円より。ダブルアップあり。参加希望者は折原までに申し出ること 企画:住井護』

「なんじゃこりゃ……」
「どした、相沢?」
「斉藤、これを何も言わずに読め」

 俺はメモを斉藤に渡す。それを見るなり、はあ、とため息を漏らす。

「まーた住井のやつか……」
「また?」
「ああ、こいつ折原の悪友でな、折原が立てた企画の半分は、こいつが計画したものだ。折原はそれを実行に移す側ってところだな。逆もあるけど」
「ふーん、で、乗るのか?」
「どうすっかな……金には余裕あるし、暇つぶしにはいいか、とは思う」
「だな……やるか?」
「そうだな、たまには乗ってやるのもいいか」



 俺たち男子全員の記録を取り終え、今は女子の記録取りの準備中。男子は自主練と言うことになってるが、真面目にやってるやつはあまりいない。それもそのはず、殆どの男子が住井計画のHIGH&LOW大会に参加し、女子の走りを今か今かと待っているのだ。

「なんというか、ノリのいい連中だよな」
「それがこのクラスのいいところだろ」
「よし、皆、今日は第1回女子短距離記録
HIGH&LOW大会によく集まってくれた。感謝する!!」
『おおおおおおおおおう!!』

 折原の宣言に、男子は士気高らかに、大声で叫ぶ。それを見て、女子と教員が、怪訝そうな目で俺たちを見た。ただ、女子の方は音頭を取ってるのがなんとなく誰かわかってるようなので、どちらかというと「しょうがないなあ」と言う表情であった。その後ろで心底あきれた顔をしている久瀬がいるのだが、まあ、些細なことだろう

「ルールを説明しよう。第一走者を基準にして、順々に次の走者が前の走者より遅いか速いかのどちらかに賭け、勝ったものが倍の賞金を受け取れる。また、勝った賞金をさらにレイズするダブルアップもありだ。もちろん、ドロップもOK。一口100円から参加可能。資金提供は我がクラスの中崎にお願いした」

 折原に呼ばれた中崎という男子が、ちょっと胸をそらす。

「折原、第一走者が走るぞ」
「おっと、説明は以上だ。まずは第一走者の記録を基準にする」

 男子は急激にしんとなる。そして、その視線が全てトラックに立つ女子に注がれる。
 女子は視線を気にしつつも、それを無視して走る。全力で走ったそのタイムはなかなかのものだった。

「よし、次の走者が速いか遅いか、さあ、どっちだ!?」
「俺は
HIGHに賭けるぞ!」
「馬鹿野郎、
LOWに決まりだろうが!」
「おっし、
HIGHに500円!」
LOWに700!!」
「はいはい、押さない押さない」

 体操服に「住井」と書かれた生徒が、こっそり持ってきたであろうリストに何事かを書き込む。主に仕切り役は彼が担当してるのだろう。もちろん胴元側である折原と中崎は参加しない。

「相沢、いくら賭ける?」
「そうだな、俺は100で
HIGHに賭ける。成功したらダブルアップだな」
「手堅いねえ」
「基本だろうが」

 こうして、男子限定女子短距離
HIGH&LOWは盛り上がっていくのであった。



「あー、くそ! そんな面白いことしてたんならサボるんじゃなかったぜ!!」

 昼飯をとるためのオープンカフェテラス。名雪たちと食事を取りながら、先ほどの話題を出すと、北川が思いっきり悔しがっていた。

「祐一、そんなことしてたんだ……」
「道理で、なんだか男子が、あたしたちをじろじろ見てると思ったわ」

 反面、あきれてるのが名雪と香里である。それはそうだろう、自分の知らないところで賭けの対象にされてるのだから。

「それで、相沢は儲けたのか?」
「ああ、プラス1500の大勝だな」
「わ、びっくりだよ」
「……で、相沢君、そのお金、まさか独り占めするつもりじゃないでしょうね?」
「はい……?」

 一瞬、その意味がわからず、ぽかんとする俺に香里が名雪に微笑みかける。

「名雪、今日は相沢君がおごってくれるそうよ」
「わーい、ご馳走さま、祐一」
「ちょっと待てぃ!! 何を勝手に決めてる!?」
「当然でしょう? あたしたちの頑張りで、そのお金を儲けてるんだから、そのくらいはしてくれても罰は当たらないでしょう?」
「ぐっ……」
「というわけで、今日の夜は相沢君のおごりで決まりね」
「ぐはっ……高いのは勘弁してくれよ……」
「わたし、イチゴサンデー!」
「あたしは紅茶とチョコレートケーキで勘弁してあげるわ」
「俺はカルボナーラだ!」
「北川にはおごってやらん」
「そりゃねえだろ、相沢〜」



 今日は土曜日なので、昼食を食べたら、そのまま放課後である。

「く〜、疲れたな……」

 軽く身体をほぐして、校内をぶらつく。今日の夜には名雪たちにおごらないといけないから、それまでには帰るとして、今日は暇なんだよな。名雪と香里は、今日は部活、北川ももうどこかへ行ってしまった。つまり、今は俺一人。

「どうするかな……」

 と、独り言を言っていたところ、俺の携帯が鳴る。着信音からして、メールが届いたようだ。誰からだろうと、受信メールを見る。

TO:XXXXXXXXXXXX
 
FROM:ビダンシー
 
SUB:暇な貴方にお知らせ!!
 >本日放課後より、2−Eにて、イベントあり。暇をもてあます男子諸君は、ぜひ参加して欲しい。なお、参加費用として、500円を徴収するため、各自持参するように』

 何の悪戯かと思いきや、この「ビダンシー」とかいうやつにはちょっと心当たりがある、のだが……

「あいつ、いつ俺のメルアド調べやがった……?」

 そんな疑問を持ちつつも、暇してる俺は興味にかられ、ちょっとだけ2−Eの教室を覗いてみることにした。



 2−Eの教室では、折原が何かの受付をしていた。今回の首謀者はこいつのようだ。既に教室には俺と同じメールをもらってか、何人かの男子が既にくつろいでいた。

「ん? おお、相沢じゃないか、何しに来た?」
「そりゃお前があんなメールよこすから気になって来たんだよ」
「ほほう、そりゃよかった。よし、お前も入れ。500円は持ってきたか?」
「ちょっと待て」

 俺は折原に顔を近づけてにらめつける。

「どうやって俺のメルアドを調べやがった?」
「なに、お前が入寮したときにこっそり控えげはあっ!!」

 俺の十八番の右ストレートが折原を吹き飛ばす。

「人のプライバシー勝手にあさるな!!」
「まあ、その辺で勘弁してやってくんないか?」

 そういって俺を制止したのは、確か住井というやつだったか。そいつが割って入る。

「ああ、すまん。確か住井でいいんだったよな。俺は……」
「ああ、知ってる。相沢祐一だろ? 割と有名だからな。俺は住井護。そこで目ぇ回してる折原の親友と言ったところだな」
「よろしくな、で、折原からメールをもらったんだが、何をするんだ?」
「よく聞いてくれた! 相沢!」

 そう叫ぶと、住井はホワイトボードに書かれた文字をばんっ、と叩く。そこには『非公式放課後享楽倶楽部大会議』と書かれていた。

「皆のおかげで第1回女子短距離
HIGH&LOWは大成功を収めた!! 改めて、礼を言う!」
「おかげでこちらの活動資金も集まり、俺たちはお前らに、新たな暇つぶし計画をプロデュースすることが出来る!! 感謝するぞ!」
『おおおおおおおおっ』

 いつの間にか復活した折原も教壇に立って、熱弁を振るう。……相変わらず回復が早いやつだ。

「しかし本日集まってもらったのは他でもない。我ら『非公式放課後享楽倶楽部』に新しい同士を加えたいが為、お前たちを招集した。そして、その同士候補は、この中にいる!」

 折原の爆弾発言に噴き出す俺。おい、それってひょっとしなくても……

「壇上に上がって来い、相沢祐一!!」

 予想通り、折原は俺を名指しで指差してきた。
 やっぱりか!? やっぱり俺か!?
 周囲の男子の視線が、一斉に俺に向く。この状況は逃げられそうにない。ため息をついて観念した俺は、折原の立つ教壇に歩いていく。男子は俺が言うかを待っているらしく、じっと息を潜めている。

「ふう……そこのバカに紹介された相沢祐一だ。こいつとは同じ寮に住んでいる。とりあえず、よろしく頼む」
「駄目だ、駄目だ、そんな挨拶ではつまらんぞ、相沢」
「じゃあ、どんな挨拶にすればいいんだ、折原」
「簡単だ、一発芸として、ストリップショーでもすれば嫌でも面白はぶしっ!」

 俺の後ろ蹴りが折原のちょうどレバーに当たるところに突き刺さる。

「ぐっ……ナイスツッコミ……」

 折原は満足げにぐっ、と親指を立てて気絶した。
 はっ、しまった、こいつに乗せられただけか!? 気がつけば、男子の目が明らかに変わっていた。まるで新たな同士を認めた、というそんな目に……

「ふっ、さすがだ相沢、俺が見込んだだけのことはある」
「おい、いつだ? それはいつのときだ、住井?」
「そりゃさっきのワンパンのときに決まってるだろう。あのツッコミは俺には真似できん」
「どうだ、住井。俺の言ったとおりの男だったろう?」

 もう復活した折原が、住井に話しかける。

「ああ、文句なしだな。それでこそ、我ら『非公式放課後享楽倶楽部』、略して『暇つぶし隊☆』のメンバーに加えるにふさわしい!」
「いや、その略何の脈絡もないじゃん、それ! はっ……」
「素晴らしいぞ、相沢! そのノリだ!」
「ぐぁっ……しまった……!!」
「はっはっは、やっぱりお前もこっち側の人間だったか」

 完全に折原と住井のペースに乗せられてしまっている俺。しかし、乗せられること自体は嫌いじゃない。ちょっと癪だが……
 気づけば俺たちは完全に打ち解けていた。

「ふう……では、改めて自己紹介といこう。『非公式放課後享楽倶楽部』部長、折原浩平。通称、美男子星人の王子!」
「それは通称じゃなくて自称だ!」
「副部長、住井護! 折原をスケープゴートに、今日も面白おかしく放課後の楽しいひと時を提供するぜ!」
「いや密かに酷い事言ってるぞ、お前!」
「会計、中崎勉! 金のことなら俺にお任せ! デイトレードで儲けたあぶく銭、ここで使わずいつ使う!?」
「取っとけ、そういうの! 将来のために!」
「そして書記の沢口! とりあえず、それ以外は何のとりえもない一般人その1だ!」
「誰が一般人その1だ!? それに俺は南だといつも言ってんだろうが!」

 あ、初めて俺以外のツッコミが入った。

「そして、それ以外のどうでもいい連中」
『こら、ちゃんと紹介しろ、折原!』

 あまりと言えばあまりの紹介に、男子全員のツッコミが唱和した。
 その後、他の男子の紹介が終わり、一通りの自己紹介が終わる。

「ふう、熱い自己紹介だった」

 満ち足りた表情で、折原が言った。

「何陶酔してるかお前は。俺はツッコミ続きで喉が渇いたぞ」
「はっはっは、そういう割には、ノリノリでツッコンでただろう、お前も」
「……否定はしない」
「まあ、とりあえず今日はお前の歓迎会と自己紹介がメインだ。本格的な活動はまた今度だな」
「一応聞くが、活動は定期的なのか?」
「そんなわけないだろう。俺か住井が面白いことを思いついたら、だ」
「あー……」
「まあ、活動するときにはメールを送る。それと、イベント時には強制参加だ。体育祭とか、文化祭とか、な」
「わかった……って、いつの間にか俺も参加することになってるのか、これ?」
「嫌なのか?」

 真面目な顔で折原が訊ねてきた。おちゃらけた顔が急にマジになるので、俺も冗談で返そうとは思わなかった。

「……嫌じゃないさ」
「よし、決まりだ! 相沢祐一、お前を我ら『非公式放課後享楽倶楽部』の一員として歓迎する!」

 拍手と共に、俺を歓迎してくれる皆。こういう空気は、決して嫌いじゃなかった。



 俺の歓迎会が終わる頃には、時刻はちょうど6時を回っていた。そこに、メールの着信音がなる。名雪からだった。

『>祐一へ
 部活終わったよ。校門前で待ってるから、おごりの約束、忘れちゃ駄目だよ?』

「ぐぁっ……」

 観念した俺は皆と別れ、校門前で待っていた名雪と香里を見つける。なぜか栞と澪の姿もあった。

「祐一、どこに行ってたの?」
「あー、ちょっと男同士の熱いトークを、な」

 折原たちからは「俺たちのことは口外無用」と念を押して言われてるため、なるべくその辺りのことはぼかして言う。名雪のほうは何とかごまかせたようだが、香里の方は何か感づいたようで、

「どうせ折原君と何か話してたんでしょ? 彼、そういうくだらないこと、大好きだからね」
「……あえて、ノーコメントとさせてもらう」
「それじゃ、今日は祐一のおごりでイチゴサンデーだよ〜。お母さんには連絡してあるから問題なしだよ〜」
「わたし、バニラアイスがいいです!」
『お寿司がいいの』
「ストップ! 何で栞と澪までが俺にたかる!?」
「ごめん、相沢君。栞に話したら、わたしもおごってもらいたいってついてきちゃったの」
「おごってくれないんですか……?」
『おごってほしいの』

 栞と澪のダブルで目をうるうるさせて上目遣いで見られる。くっ、このコンボは反則だろうが!!

「……コンビニのATMに寄らせてください」

 力なくうなだれて、俺はそうつぶやくしかなかった。



『いただきまーす!』
「……はい、どうぞ」

 適当に選んだファミレス。4人の唱和した食事の挨拶(一人は筆談だが)が、店内に響く。テーブルに並べられた食事、総額6000円。……大赤字である。

「おいしいよ〜、幸せだよ〜」
「……そりゃよござんした」
「祐一さん、ご馳走様です!!」
「……ああ、しっかり食え」
『チラシ寿司おいしいの』
「……そりゃ、おごった甲斐があるってもんだ」
「魂抜けてるわよ、大丈夫?」
「……そう見えるか?」

 ちなみに俺はライスとドリンクバーのみである。名雪と澪がイチゴサンデーとか寿司とか高いものを注文してきたため、俺の食事代に回せる金がなくなったからだ。

「……仕方ないわね。あたしは紅茶とケーキ代だけで勘弁してあげるから、相沢君も何か適当なオカズ注文したら?」
「……すまん、香里」
「いいのよ、名雪と栞をたきつけたあたしも悪いんだから」

 苦笑いをを浮かべる香里にちょっとだけ救われた俺(主に財布が)。俺はウェイトレスを呼び、追加の注文をオーダーした。

「ああ、そうだ。今日の夜はゆっくり休んでいいって、久瀬君から聞いてる?」
「いや、聞いてないけど」
「昨日は疲れただろうから、今日は早く休んで明日に備えろ、ですって」
「……分かった、ちゃんと聞いたぞ」
「祐一、おかわり頼んでいい?」
「却下だ却下!!」



「ご馳走様、祐一」
「おう、お前のおかげで俺の財布から英世さんと一葉さんがお亡くなりになったぞ」
「またおごってね?」
「聞けよ、俺の嫌味!!」

 ファミレスで会計を済ませて、寮へ帰る道。それぞれが俺に礼を言う。……次もおごってとも言われたが。それを見て、香里がばつが悪そうにして、俺に「ごめん」という仕草をした。

「まあ、折原との賭けに勝ってあぶく銭手に入ったら、考えんでもないけどな」
「わーい、やったー!! ありがとう、祐一!」
「言っとくが、次に食べ過ぎたら二度とおごらん。今日だけで大赤字食らってるんだ。その辺は理解してくれよ?」
「うん、わかった。祐一が約束してくれたんだもん、そのくらいはちゃんと守るよ」
「よし、いい子だ、名雪……ん?」

 俺は道端でしゃがんでる男が目に入った。その目は虚空を見つめ、力なくガードレールに寄りかかり、口からはよだれをたらしている。

「あれって……」
「無気力症の人たち、だよね?」
「…………」

 彼は俺たちとは全くの無関係の人間だ。が、それでももしかしたら、俺は彼のことを救えたかもしれない、と思うと、自分自身への怒りがこみ上げる。

「祐一」
「名雪……?」
「大丈夫だよ」

 優しい微笑み。現金な話だが、それだけで、少しだけ心が軽くなる気分になる。

「ああいう人を出さないために、俺たちが頑張ってるんだよな……?」
「うん、一緒に頑張ろ? 祐一」
「ああ……そうだな」



「ただいまー」
「……お帰り」

 出迎えてくれたのは舞だった。佐祐理さんも一緒だ。

「皆さん遅かったですね。どこに行ってたんですか?」
「祐一がおごってくれたんだよ〜」
「はぇ〜、太っ腹なんですねえ、祐一さん」
「はは、あぶく銭ですよ」

 佐祐理さんのほめ言葉に苦笑いを返すしかない俺。

「ったく、本当に俺にはおごらねえのな」

 北川も、ダイニングから顔を出してくる。ちょっとふてくされてるのは、俺が本当に北川におごらなかったからだろうな。

「悪かったって。じゃあ、明日購買のメロンパン一個でいいか?」
「安っ!!」
「すまんな、今日で全部勝ち分は使い切った」
「ちくしょー!!」

 泣きながら二階へ駆けていく北川。……さすがに可哀そうだったか。明日は多少ランクを上げたものをおごってやるか。

「祐一さん、今日のことは貴明さんから聞いてますか?」
「はい、香里から聞いてます」
「じゃあ、言うことはありませんね。今日はゆっくり休んでください。明日から少し皆さんの活動範囲を広げるから、それも忘れないでくださいね」
「わかりました」
「……皆、頑張って」
「ありがとう、舞」

 佐祐理さんや舞の言葉には本当に助けられる。それは皆も同じようで、素直に二人の励ましを聞いていた。

「ただいま……」
「ただいまー」

 折原と長森さんが帰ってきた。が、二人のテンションは全く異なっている。長森さんはいいことでもあったのか、とてもご機嫌だが、折原はテンションが低い。

「おう、テンション低いな折原。どうした?」
「……長森に賭けのことがばれたんだ」
「あー……なるほど」
「だって酷いんだよ浩平、人のことを賭けにするなんて!」
「それはさっきから謝ってるだろうが! そんで胴元の取り分全部払って、お前にいろいろおごってやっただろうが!! おかげでこっちはオケラだぞ!」
「お前も同じか、折原……」
「ということはお前もか、相沢」
「ああ、俺も財布の中身が軽い。英世さんと一葉さんが飛んでった」
「うう、相沢あああああああああ!!」
「折原ああああああああああ、お前の気持ちはよく分かるぞおおおおお!!」

がしっ

 抱き合う俺と折原。はたから見れば、変な事やってるバカ二人でしかないんだろうな。

「はあ、もう、ちょっと反省するんだよ? 浩平?」
「分かってる分かってる」
「疑わしいなあ……ま、いいか。ほら、浩平、もうすぐ作戦が近いから準備しよ?」
「おう。悪いな相沢。そろそろ準備してくるんで、お前らは休め。澪、ちゃんと部屋でおとなしくしてろよ?」

うんっうんっ

 澪は首を縦に強く振って、肯定をアピールする。それから、スケッチブックに何かを書く。

『浩平先輩も気をつけるの』
「ああ、分かってる。お前も早く寝ろ」

 折原は澪の頭を軽く撫でてあげた。それを享受して、気持ちよさそうな顔をする澪。

「しっかし、折原って、年下には妙に気がいい奴になるよな」
「……単に年下の扱いに慣れてるだけだ」

 そっけなく返す折原の声には、わずかに悲しみが混じっていたのを、俺は見逃さなかった。

「……悪い、変なこと聞いたか?」
「いや、気にするな。んじゃ、俺はもう行くわ。お前も歯ぁ磨いて、とっとと寝ろ」
「おう」

 折原に軽く手を振り、別れた俺は、そのまま部屋に戻る。備え付けのシャワーを浴び、軽く明日の予習をする。勉強が終わると、疲労から、心地よい眠気がやってくる。俺はあくびをすると、そのままベッドに倒れこむようにして、意識を手放した。



「よお」
「また会ったね、祐一君」

 気がつくと、あの少女が立っていた。

「祐一君の方から挨拶してくれたの、もしかしたら初めてじゃないかな?」
「だったっけ、そうかもしれないな」
「そうだよ」

 少女は嬉しそうに笑う。

「……そうだ、今日、君に会いに来たのはとっても大事なことを伝えなくちゃいけないんだよ」
「大事な……こと?」
「うん」

 少女は不意に顔を真面目なものにする。

「あれから、ちょっとだけ思い出したことがあるんだ」
「ふーん、で、何をだ?」
「うん、とても大事なこと――もうじき、この世界は根底から変わってしまうこと」
「……何?」

 また彼女は意味の分からないを言う。この世界が……変わる?

「多分、これは止められない。それは7年前から決まってることなんだ。これは避けられないことなんだよ」
「どういう、意味だ? 世界が変わっていくのは当たり前のことだろう。そんなことを伝えるために、お前は俺の前に現れたのか?」
「……ごめん、ボクにはこれ以上のことはまだ分からない。でも、もし何か思い出したら、また君に会いに来てもいいよね?」
「……ああ」
「ありがとう、今日はそれだけを言いたかったんだ」

 すうっ、と少女の姿が薄れていく。

「……もう時間みたい。また、会いに来るよ」

 最後に笑顔を浮かべて――少女は消え去った。
 残された俺は彼女の言葉を反芻する。
 もうじきこの世界は根底から変わっていく。
 それは止められないこと。
 そして――それは7年前から決まっていたこと。
 7年前。俺がこの街を避け始めた年。とても大事な事が遭ったはずの年。それから――
 ……くそっ、思い出せない。
 自分のことが分からない焦りと苛立ちを隠せないまま、また俺の意識は沈んでいった…r…


Shadow Moonより

諸事情により、すみませんが感想は後日……


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