「朝か……」
この間とは違い、俺は寝心地の悪い床の上で目が覚めた。毛布がかかっているところを見ると、秋子さんか誰かがかけてくれたのだろう。辺りを見渡すと、久瀬、斉藤、折原も同じように床に突っ伏して寝ている。ここにいたって、ようやく昨日何があったのかを思い出した。……思い出したくなかった。
「二度と佐祐理さんは怒らせないようにしよう……」
俺は固く心に誓った。
P-KANON ACT.5
一足先に目が覚めてしまった俺は、斉藤と久瀬をゆすって起こす。折原には昨日のお礼も兼ねて、顔面にストンピングをかまして目覚めさせた。
「相沢ぁ、てめぇなんて起こし方しやがる!! 口の中が切れて、血の味しかしねえぞ!?」
起きたとたん文句を言う折原。
「やかましい、この間みたいに30連エアリアルコンボかまさないだけましだと思え!!」
「思うかこの天然女泣かせが!!」
「あんだとこの騒動プロデューサー!!」
「よーし、よく言った相沢、表出ろ!! どっちが格上か、思い知らせてやる!」
「上等だ折原、誰に喧嘩売ったか教えてやるぜ!!」
俺たちは拳を構え、互いの顔面めがけそれを振るう。あるときは殴り、あるときは殴られ、そんな当たり前な取っ組み合いを始める。力は互角、ならば、後は持久力勝負だな。先にひざを付いたほうが負けだ!
「朝っぱらから、うるさいぞ、君たち……うっぷ」
「まったくだ……つか、あれだけ飲んで、なんで平気な面して殴り合えるんだ、お前ら……うおぉっ」
苦しげな顔をする久瀬と斉藤。あの症状からいって二日酔いか。酔った勢いとはいえ、さすがに悪いことをしたな、後で謝っておくか。余計な思考をめぐらせてる間にも、折原の猛攻は続く。いい一撃を顔に受ける。くらりと来たが、まだまだいける。お返しに、とばかりに、俺の渾身のストレートが折原の顔にある正中線を捕らえた。
「くっ……やるじゃねえか、相沢。だが、この程度じゃ俺は倒れねえぞ」
「それはこっちの台詞だ、折原。ボクシング無敗の先輩に鍛えられたこの一撃に耐えられるか?」
「やってみろよ、相沢」
「後悔するなよ?」
「そこまでですよ、お二人とも」
『!?』
後ろから聞こえた声に、身を震わせる俺と折原。振りまかなくても分かる、が、やはり後ろを振り向く。そこにいたのは、やはり秋子さん。ただし、手にはあのジャムの瓶が握られている。
「お二人とも、喧嘩はいけませんよ。どんな事情があるにせよ」
『はい……』
「理解しているなら、お互いに言う事は同じですよ? さあ、お互いを向いて」
俺たちは言われたとおりに向き合い、言うべき言葉をつむいだ。
『ごめんなさい』
「はい、よろしい」
秋子さんがにこやかに笑う。と、手にしたジャムの瓶を開け……
「では、仲直りの印に、これを一緒に食べてもらえますか?」
『なっ……』
「食べてもらえますか?」
二度目の要求をする秋子さん。つまり、逆らうな、と言いたいわけですか……
『いただきます……』
俺たち二人はうなだれて、同じ言葉を言うしかなかった。
その日、俺たち二人は学校を盛大に遅刻した。
「祐一、顔色悪いよ? 大丈夫?」
「あんまり……」
昼休み。俺は名雪と香里姉妹に昼飯に誘われ、この間紹介されたオープンカフェテラスにいる。が、頼んだ定食が口に入っていかない。口の中に、あのジャムがつかえて、どうにも食欲がわかない。
「頼むわよ、相沢君。……夜には作戦があるんだから」
最後の台詞は小声にし、香里が言う。
「任せろ……それまでには治す」
「信用するわよ?」
「二度も言わすな」
「祐一さん、よかったらこのお薬、試してみませんか?」
栞はポケットから、何かの薬を取り出す。錠剤のようなのだが、気になるのはそれが瓶に入っていたということ……どうして何も入ってなさそうなそのポケットに、こんな大きな薬瓶が入ってるんだろう?
「あ、ああ、頂くよ……処方箋は?」
「一回三錠、水と一緒に飲むんです。副作用で、ちょっと眠くなるかもしれませんけど……」
「OK、もらっとくよ。ありがとな、栞」
「このくらい当然ですよ」
「……そういえば、北川君、昨日から休んでるわね」
「言われてみれば……どうしたのかな? 風邪を引くような人じゃないような気もするけど……」
名雪、それは暗に北川がバカだと言いたいのか? いくらお前が天然でも、その言い方は酷いと思うぞ。
「そうなのか? 俺は今日復帰したばかりだから知らないが……」
「サボって早退遅刻はするかもしれないけど、基本的には、学校にはよほどのことがない限り顔を出すからね、彼」
「ふーん……」
「ま、どうでもいいけどね」
どうでもいいとか言いながら、北川の話題を振ったのは、誰あろう香里であることは、俺は忘れていなかった。
午後の授業を適当に聞き流し、放課後を迎える。体調の方は、栞の薬のおかげですこぶる快調である。これなら、夜の作戦もなんら支障をきたすことはないだろう。
「祐一、今日はどうするの?」
「まっすぐ帰る。夜に備えておきたいしな」
「そっか、そうだね」
「お前はどうする?」
「わたしは部活があるから、終わったらまっすぐ帰るよ」
「わかった、じゃ、またな」
「うん、またね」
教室を出、昇降口まで駆けて行く。靴箱で、隣のクラスになった長森さんと会った。
「あ、相沢君、今帰り?」
「ああ、そっちは? 折原は一緒じゃないのか?」
「浩平は部活があるから、そっちに行っちゃったよ」
「へえ、意外だな。あいつ何部なんだ?」
「確か……軽音楽部だったかな? 活動といっても、学園祭での演奏ぐらいしか思いつかないけど」
「やつのことだから、単に寝てるだけじゃないか?」
「あはは、ありえるね」
……折原、幼馴染にも信用されてないぞ、お前。
「長森さんは今帰りか?」
「うん、今日は、部活はお休み。ちょっと近くのクレープ屋さんによってから帰ろうと思うんだけど、一緒にどうかな?」
「うーん、甘いものはあんまり得意じゃないから……サラダとかあるか、そのクレープ屋?」
「うん、あったよ」
「OK、付き合うよ、長森さん」
「決まりだね」
それから俺は長森さんに付き添い、『パタポ屋』と言う看板が垂れ下がったクレープ屋に立ち寄った。長森さんはごってりとトッピングをつけた生クリームのクレープ。俺は予定通りのサラダクレープを注文する。一口かじると、なかなかにいける。
「どう、おいしい?」
「ああ、いける。これなら、たまに立ち寄るのもありかもな」
「そっか、よかった、相沢君を誘って」
嬉しそうに笑う長森さん。その顔が、きゅっと引き締まる。
「相沢君……今日は調子いいかな?」
「ああ、今朝までは調子悪かったが、今ならばっちりだ」
「そっか、でも、無理しちゃ駄目だよ?」
「大丈夫だよ、今ならどんなやつが来ても平気だ」
「じゃあ、期待しちゃうよ?」
「任せとけ」
ぐっと、力こぶを作るようなポーズをとってアピールする。その様子を見て、長森さんが笑った。
「うん、今日は頑張ってね」
「シャドウか……例えば、ここの店長が無気力症になっちまったら、もうここのクレープも食えなくなるんだよな」
「あ、それは嫌だな」
「だな、そう考えると、ちょっと頑張ろう、って気にならないか?」
「くすっ、それ、浩平もおんなじこと言ってたんだよ」
「ま、マジ? 俺、あいつと同レベルかよ!?」
「そんなにショック受けなくてもいいと思うんだよ……浩平が聞いたら悲しむよ」
俺の冗談に、ちょっと悲しそうな顔をする長森さん。ありゃ、これはやっちまったかな……
「あ……いや、悪い、さすがに今のは酷かった」
「どうしようかな……それじゃ、クレープ一つ奢りで許してあげるよ」
「分かった、それで手を打とう」
俺は財布を取り出し、長森さんにもう一つのクレープを追加した。出されたクレープにぱくつき、上機嫌になった長森さん。
「クレープ二つも食べれて満足したし、帰ろっか」
「そうだな、また食いに行こうか?」
「うん、今度は浩平も一緒にね。浩平、甘いもの大好きだから」
寮に帰ると、先に栞と澪がロビーで談笑していた。とはいえ、澪は口が利けないため、いつものスケッチブックでの筆談だ。
「あ、祐一さんに瑞佳さん、お帰りなさい」
『お帰りなさいなの』
「おう、ただ今」
「ただ今、栞ちゃん、澪ちゃん」
二人の座るテーブルには、一台のノートパソコンが置かれている。どっちかの私物みたいだが……
「あ、これですか? わたしの物なんです」
パソコンに向けられていた俺の視線に気づいたか、栞が答える。なるほど、違和感がないかもしれない。
「何してたんだ? 二人で」
「澪ちゃんがインターネットがしたい、って言うから、わたしが教えてあげてるんです。わたし、身体が弱かったせいもあって、いつの間にかこういうパソコンとかのインドア系に、強くなっちゃって」
『澪もパソコンに興味があったの』
「そうなんだ、わたし、パソコン苦手だからそういうのは分からないんだよ」
「俺も、あんまりネットはしないな。せいぜい親父の手伝いで海外のサイト開くときと、MMOを遊ぶときくらいだな」
「あ、祐一さんもネットゲームやるんですか? どんなゲームをやるんですか?」
「ここしばらくはやってないが…………とかかな?」
「うわ、すごい奇遇ですね! わたしもそれやってるんです!」
「な、マジかよ!? 世間って狭いな……」
俺たち二人はちょうど同じゲームをやっていたこともあって、その会話がどんどんヒートアップしていく。当然、長森さんと澪は、完全に置いてけぼりにされてるわけで……
「会話に入れないんだよ……」
『全くなの』(えぐえぐ)
「ただ今、って、相沢と美坂妹は何の話してるんだ?」
「あ、お帰り浩平、わたしもぜんぜん付いていけないんだよ」
「お、帰ったか、折原。いや、栞とネットゲーム論争してたら盛り上がっちまってな」
「ですから、そのクラスでしたらDEX−INT型の方が魔法の命中率が高くて効率いいんです!」
「何を言う、AGI−INTに割り振って、素早い詠唱からの連続攻撃の方が面白いに決まってるだろう!」
「ほほう、二人とも甘いな、男ならSTRにつぎ込んで、あえて殴りで行くのが通だろう!」
「浩平さん、そんなの邪道です!」
「そうだぞ、折原! ……って何でお前が会話に入ってくる?」
「ああ、そのネトゲには一時期結構はまってたからな。ちょくちょく電算部のところに行ってやっていた」
うわ、こいつもあのネトゲやってたのか。
「そんなことより、二人で熱くなるのはいいんだがな、澪が泣きそうだぞ」
「あ……すまん、澪」
「ごめん、澪ちゃん」
『二人とも酷いの!』
ほおを膨らませてご機嫌斜めな澪。喋れない代わりに、こんな豊かな表情をするので、かえって感情が分かりやすい。
それに気づいてしっかり澪をフォローできる折原も、あれで結構気が利くやつなのかもしれない。普段がアレなんで見逃しがちではあるが。
「ごめんね、澪ちゃん。えっと、どこまで教えたっけ?」
『プロバイダ契約の仕方と、接続の仕方までは教わったの』
「あ、そうだった。それじゃ、次は検索エンジンのサイトと、その使い方、かな。これを知っていれば、インターネットはとても面白くなるから……」
栞の講義は、横で聴いていて、とても分かりやすかった。澪もうんうんと首を振りながら、スケッチブックにメモを書き込んでいる。その目は真剣そのものだ。
「……こんな感じ、かな。分かったかな、澪ちゃん」
『とっても参考になったの』
「よかった……ね、澪ちゃんもネットを繋いだら、わたしとゲームで遊ばないかな?」
『やってみたいの』
「じゃあ、繋いだら、わたしに教えてね。祐一さんも、澪ちゃんと一緒にパーティ組んで遊びませんか?」
「そうだな……久しぶりだし、やってもいいかな?」
「じゃあ、今度三人で遊びましょう!」
『楽しみなの』
にっこりと笑う澪。ちょうど俺たちの会話が終わる頃に、秋子さんが帰ってきた。
「お帰りなさい、皆さん」
『ただ今、秋子さん』
秋子さんに返す言葉は皆同じだった。
「突然ですみませんが、今日から皆さんに、新しい寮の仲間が増えることになりました。それから……その方とはもう話をして、今日の『活動』にも参加することになっています」
「え……!?」
「それってまさか……!?」
また新しいペルソナ使いが見つかった、ってことか!?
「今日の夜には到着する予定ですので、その前に、皆さんでこの荷物を、二階の部屋に運んでいってください」
正門にはトラックが一台止められており、そこには引越しの荷物がぎっしりと載せられていた。
「あ、もしかして俺の荷物も……」
「はい、皆さんで運んだんですよ。業者さんにお任せしてもよかったんですが、この方が、皆さんの連帯感も出るでしょうし」
そんなわけで俺たちはトラックから荷物をばらし、各々の持てる荷物を運んでいく。男手の俺と折原は、必然的に重い荷物を率先して運ぶ。二階というのが幸いし、比較的楽に荷物を運べた。
「二階ってことは、男か? 色気がないな〜」
「そうなのか?」
「ああ、うちは二階が男子、三階以上が女子、と言う風に割り振られてる。ちなみに下級生から順々に、下の階から埋めていく形になる」
「なるほど……というか、男の割合少なすぎだろ」
「言うな、それを……」
それ以上は何も語らず、黙々と荷物を運ぶ俺たち。とりあえず、皆の協力もあって、夕暮れ前には全ての荷物を運び終えることが出来た。
「ふいー……」
「皆さん、お疲れ様です」
一息ついたところに、秋子さんが麦茶を持ってきてくれた。よく冷えたものらしく、グラスに結露が付いている。
「頂きます」
「はい、どうぞ」
「……そういえば、そいつはどうやってペルソナ使いとわかったんですか?」
「先日の見回りのときに、英二さんが保護したらしいんです。その後、倉田家経営の病院で、精密な検査の結果、ペルソナ能力を持ってることが判明したんですよ」
「し、調べられるんですか? ペルソナ能力って」
「ええ、この町にある倉田家直営の病院なら調べられます。香里さんや栞さんも、そこで調べたんです。祐一さんもお世話になってるはずですよ?」
「あ、あそこで……?」
「そうです。あそこはわたしたち行きつけの病院ですので、ペルソナ使いによく効く薬なんかもあそこで買っています」
そうだったのか……って、あれ? 倉田家ってことはもしかして……
「そこって、佐祐理さんと何か関係あるんですか?」
「はい、倉田家はこの町一体でも有名な資産家ですからね。祐一さんは代議士の倉田宗仁はご存知ですか?」
「はあ、厳格な人物で有名らしいですが……まさか」
「倉田宗仁は佐祐理さんの祖父に当たります」
驚いた……そんなにすごい人だったのか、佐祐理さんは……
「あはは〜、たいしたことないですよ。すごいのはお爺さまで、佐祐理はただの頭の悪い女の子ですから」
いきなり後ろから聞き覚えのある声がし、びっくりして後ろを振り返った。
「うわっ、いつ帰ってきたんですか、佐祐理さん?」
「『倉田家はこの町一体でも有名な資産家ですからね』あたりからですよ〜」
「……わたしもいる」
隣には舞も立っていた。心なし、なんだかすねてるように思える。
「どうした、舞、何か不機嫌そうだけど」
「……別に」
「あはは〜、きっと祐一さんが気づいてくれないから、すねちゃったんですよ」
びしっ
「きゃあ、きゃあ」
舞が顔を真っ赤にして、佐祐理さんの頭にチョップを振り下ろした。こうして見れば、単にじゃれてるようにしか見えない。
「そりゃ悪かったな、舞。お帰り」
「……ただ今」
「な、何かぶっきらぼうだな」
「そんなことないですよ〜、舞がちゃんと挨拶するなんて、めったにありませんから。祐一さんに挨拶するのが恥ずかしいんですよ」
ぽかぽかっ
「きゃあ、きゃあ」
顔を真っ赤にして追いかける舞と、きゃあきゃあ言いながら逃げる佐祐理さん。
「……仲いいなあ」
そんな感想を、俺はポツリと漏らした。
夜、部活が終わった名雪と香里が帰ってくる。俺たちは、ロビーで夕食を食べつつ、談笑をしていると、
「ただ今」
「遅くなった」
最後まで帰ってこなかった久瀬と斉藤がようやく帰ってきた。なにやら両手には、大きな荷物を抱えている。
「お帰り……って、どうした、その荷物?」
「ああ、これはだな……」
「おい、早くしろ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! これ、結構重っ」
聞き覚えのある男の声が聞こえた。何かを引きずりながら、そいつはドアのすりガラス越しに、そのシルエットを写した。
「入っていいぞ」
がちゃり
「えっ……!?」
「へへ、よう、相沢、美坂」
ドアから顔を出し、手を上げて軽く挨拶を返したのは、俺がクラスで始めて話した男子、北川だった。
「嘘……」
香里は絶句し、北川を凝視している。
「はは、ま、まあそういうわけだから、今日から俺も皆の仲間って事になるな。よろしく頼むぜ、相沢」
「いや、俺も驚いたぜ、この間、こいつが影時間のコンビニでがたがた震えてたのを見つけて、保護して病院で検査させてみたら、ペルソナの適正あり、って出ちまったんだから」
斉藤が北川の経緯を軽く説明する。
「いやあ、あのときのことはよく覚えてないけどさ……気がついたら病院にいて、変な検査されたら、訳わかんねえ説明されて、それから医者がお前らも同じだって言うじゃんか。ほんと、びっくりしたぜ」
そんな会話を俺は……俺たちは呆然と聞いていた。
「相沢君、呆けてないでくれ。彼も君等と合流させる。今日の夜には作戦開始するのを忘れないでくれよ」
「あ、ああ、すまん」
「おいおい、しっかりしてくれ、相沢。安心しろ、俺が来たからには百人力だぜ」
はっはっは、と笑う北川。その無駄な自信がどこから来るのやら……
「よっし、それじゃ、今日の夜に備えて、腹ごしらえと行くか!」
「あらあら、元気ですね、北川さん」
「あ、水瀬のお母さんっすか! どうも、はじめまして、北川潤です! えと、一体お幾つに……」
その質問が出た瞬間、俺たちは一斉に自分の部屋へと引き返す。おそらくこの後の惨劇はもう俺たちの間では分かりきったものだからだ。
「北川さん、ジャムはいかがですか?」
「お、いいんすか? じゃ、そいつを塗ったパンでいいっすよ」
予想された『ジャム』と言う単語は、この後の悲劇を容易に想像させるものだった。
直後、絶叫が寮中に響いた。
北川の悲劇からしばらく部屋で待機していた俺。時刻は夜の11時、作戦決行まであと1時間である。
こんこん
「祐一、準備できてる?」
「名雪か、待ってろ、すぐ支度する」
俺は召喚器を腰に差し、腕章を左腕の二の腕に通す。これで準備は整った。部屋を出ると、名雪も準備が完了しているようで、腕に腕章が通されてる。
「皆は?」
「もう作戦会議室で準備してるよ」
「作戦会議室?」
「昨日祐一が案内された部屋だよ」
「ああ、なるほど。じゃあ、5階だな」
そう言うと、俺たちは並んで5階の作戦会議室へ入る。席には俺と名雪を除く全員が座っていた。……北川の顔色が悪いのは見なかったことにしよう。
「すまん、遅くなった」
「いや、大丈夫だ。これで全員そろったな?」
俺と名雪が座ると、これで全員がそろったことになる。それを確認すると、俺たちは一斉にうなづいた。
「昨日伝えたとおり、今日から相沢君たちは、町の見回りを担当してもらう。具体的な範囲は……」
久瀬は町内の地図を広げて、あるポイントの周囲を、ペンでぐるりと円で囲む。ここは確か学校通りの商店街、だな。
「この辺りの敵なら、今の相沢君たちでも問題なく対処が可能だ。僕は逐一敵の情報を君たちに伝えるからそれを参考にしてほしい」
「了解」
「いいかしら? 敵の情報と言っても、一体どんなもの?」
「僕のペルソナは、ある程度の範囲を限定して、敵の位置や味方の位置を把握できる能力を持っている。まあ、レーダーのようだと思ってほしい。それで君たちに向かってくる敵を伝えることが出来る」
「それから、俺もお前らのサポートに回る。俺のペルソナには敵の弱点を探って、それを伝える能力があるから、それを参考にしてほしい」
なるほど、確かに俺たちには重要な情報だな。
「それから、この場で現場指揮を担当するリーダーも決めておきたい」
「リーダーですか?」
「ああ、僕らはあくまでサポートするだけ。現場ではリーダーの指示に従ってもらいたい」
「リーダー!?」
北川が立ち上がる。大体何が言いたいのか分かるが……
「俺、俺やります!! 俺がリーダーで決まりだろ!?」
ほらな。
「残念だが、僕らの間ではもうリーダーの候補は決まっていてね」
そう言うと、久瀬は俺に視線を向ける……なんとなく言いたいことは分かる。
「相沢君、頼めるか?」
久瀬の依頼は、やはり俺が予想していたものと同じだった。
「はあ!? ちょっと待った、何で相沢なんだよ!?」
「不満か? 北川君」
「仕方ないんです。皆さんの間で実戦経験があるのは、祐一さんと名雪さんだけですから」
「それで、わたしがリーダーを辞退したから、祐一が残ることになったんだよ」
「そ、そうなのか……?」
「そういうことだ、頼めるか、相沢君」
「ふう……仕方ない。やるだけやってみる」
「頼むぞ、現場を生かすも殺すも、君次第だからな」
うわ、結構それプレッシャーだな。
「さて、そろそろ時間だ……出るぞ、皆」
『はいっ!!』
濃紺だった空が緑色に変わる。影時間に入った証拠だ。
『皆、聞こえるか?』
耳に差した通信機から久瀬の声が響く。影時間ではあらゆる機械は止まるが、この通信機を始め、作戦会議室にあるものは、倉田家と久瀬家特注の、影時間でも働く機械だと言うことだ。そしてリーダーである俺の肩には、無線のCCDが付けられている。これで作戦室から俺たちの様子を見るらしい。
「おう、ばっちりだ」
『君たちには徒歩で作戦ポイントに向かってもらう。隊列は相沢君に任せる』
「了解。北川、前は頼む。名雪と香里は栞を囲む形でサイドについてくれ。殿は俺が務める」
体力に自身がある北川を前に、最も体力の低いであろう栞を真ん中にし、名雪と香里がそれを守る形にする。で、最も狙われやすい背後を俺がかばうと言う形である。ここから先は戦いの場である。一瞬たりとも気は抜けない。
俺たちは召喚器のほかに、倉庫にあった武器を各自で装備している。北川は、両手持ちの騎士剣――曰くこれが一番しっくり来るらしい――香里は昔取った杵柄とやらで、拳を守るためのグラブ、名雪は足を生かしての軽い短剣、体力のない栞は反動が少ないリボルバー。オートマチックにしなかったのは、香里によると、召喚器と間違えそうだからと言うことらしい、無論そのくだりで「そんなこと言う人嫌いです」と言われたが。俺はとりあえず、どれでも何とか扱えそうだったので、とりあえず日本刀を腰に差している。万が一、他のメンバーと組んだときには、なるべく被らない武器のチョイスが必要になるかもしれない。
「よし行くぞ、皆、隊列は崩すなよ?」
『了解』
俺たちは隊列を崩すことなく、周りを警戒しながら、ゆっくりと前進する。そこには不自然なまでの静寂が支配し、生あるものの気配を感じさせない、いつもの繁華街とは異なる雰囲気をかもし出す、まさに異界と呼ぶべきところ。
「うへえ……気味悪いぜ……」
北川は、象徴化した人間を見て、ポツリとそんな言葉を漏らす。
「確かに、こうしてまじまじと見ると不気味よね……」
「祐一、平気そうだけど、なんとも思わないの?」
「いや、ちょっとは不気味だけど……そんな滅茶苦茶不気味ってほどでも」
「すごいです、祐一さん……わたし、さっきから震えてますもの」
「お前、普通じゃないぞ、相沢」
「そうか……?」
『皆、おしゃべりはそれまでだ。前方に3体、反応はシャドウだ!』
「よっし、一番乗りだぜ!!」
久瀬の言葉を聞き、一人勝手に突進をかける北川。
「あの、バカ!」
「追うわよ、相沢君!」
「わかってる!」
俺たちは北川の後を追う。随分遠くに離れてしまった北川だが、どうにか追いついた。そこには、案の定囲まれて、四苦八苦している北川の姿。北川を囲んでいるのは、浮かんだ手の姿をしたシャドウ。
「ゆ、祐一さん、あれがシャドウなんですか!?」
「ああ、間違いない! 行くぞ、皆!」
俺たちは武器を構え、北川の救援に回る。
「斉藤、こいつの弱点は分かるか!?」
『OK、ちょっと待ってろ。今調べる』
「頼む、北川が囲まれた!」
『了解、超特急で解析する』
斉藤の解析を待つ間、俺たちは、傷ついた北川をかばうように、シャドウに割って入る。
「す、すまん、相沢」
「先走るな! まったく!」
「本当にすまん……相沢、こいつら氷の攻撃が得意みたいだ」
「なるほど……分かった、ヒントとして聞いとく。聞いたな、名雪。おそらくこいつらにお前の得意な氷の魔法は殆ど聞かないぞ」
「うー……わかったよ。わたしは武器で皆のフォローに回るよ」
「香里と栞は自由に戦ってくれて構わない。北川、お前もだ。俺もペルソナで応戦する」
「わかりました」
「了解よ」
香里は召喚器を抜き、その銃口を己に向ける。
「これがもう一人のあたし……シフ!」
何かが割れる音と共に、香里の中から飛び出てきたのは、金色の髪が美しい女神。ただし、揺れる髪は重力に逆らい、天になびいている。それの手が、天を仰ぐ。
刹那、凄まじい勢いの電撃が、シャドウの一体に降り注いだ!!
それはシャドウを燃え上がらせ、塵も遺さずに消し去った。
「どうよ!!」
香里が勝ち誇る。なるほど、香里のペルソナは電撃を操る力があるのか。覚えておこう。
「さすがお姉ちゃんです!」
「よし、俺も……ヘーニル!」
北川も召喚器を構え、自分のこめかみを撃ち抜く。出現したのは足が異様に長い巨人。手には大きな剣を持った男。
「ぶった切れ!」
ヘーニルと呼ばれたそれは剣を振りかぶり、勢いよく切りつける。それは人には絶対に出せない力で、シャドウを真っ二つに切り裂いた。
「うっし!」
ガッツポーズをとる北川。だが、二人とも忘れている。最後の一体が残っていることを。反撃に転じたそれは、器用にぱちん、と指(?)を鳴らす。その瞬間、俺たちを猛烈な吹雪が襲い掛かる。氷の欠片が皮膚を引き裂き、凍傷を引き起こす。
「くっ……」
「きゃあああっ!!」
大きな悲鳴を上げて苦痛に顔をゆがめる香里。あまりの激痛にひざを付いてしまっている……おかしい、俺と同じ攻撃を食らったはずなのに、どうして香里だけ、やたらにダメージがでかい?
「香里!? 大丈夫!?」
引き換え、名雪はけろりとしている。
「名雪、平気なのか!?」
「え、うん、ちょっと冷たかったけど、平気だよ」
どういうことだろうか? 後で久瀬辺りに聞いてみるか。
『相沢、待たせた! 解析終了だ!!』
「待ってたぜ、斉藤! それで!?」
『相沢の予想通りだ、氷には耐性がある。逆に炎の攻撃に弱い。そういうスキルを持ってるやつはいるか!?』
「OKだ、斉藤。聞いたな、皆? 今後の参考にしてくれ!」
了解、と答えた皆の声を聞き、安堵する俺。
腰に差した召喚器を抜き、こめかみに押し当てる。
そして、俺の中にいるヘズに呼びかける。
「お前の力、見せてみろ! ヘズ!」
あの衝撃と共に、内側から何かが湧き上がるあの感覚。出現したヘズは、俺の声に応えてくれたのか、ヤドリギをシャドウに向ける。すると、シャドウが真っ赤な炎に包まれる! ……正直ちょっと驚いた。ヘズは最初の時には殴るくらいしか出来なかったのに。ひょっとして、ペルソナも俺たちと同じように成長していくんだろうか?
炎に悶えるシャドウはやがて、その身を炎に溶かし、後には形すら残らない。
『……よし、シャドウの反応は全て消滅した。おめでとう、君たちの初陣は大勝だ』
久瀬の労いが、通信機を通じて伝えられた。
「おっしゃあ!!」
北川が雄叫びを上げて天を仰ぐ。
「何はしゃいでる、元はと言えば、お前が先走らなければ……」
「気にするな、相沢。勝てたんだから文句ないだろう?」
「ったく……次勝手なまねしたら、本気でかばいきれないからな」
「わーったわーった」
「あの、お姉ちゃんが……」
心配そうな栞の声。どうやら香里が思いのほか、重症のようだ。
「いけるか、香里?」
「い、今のままだと、きついわね……」
確かに香里は凍傷によって激しく痛めつけられている。このままダメージを引きずった状態で戦いに出るのは酷な話だろう。
「任せてください」
「栞?」
「わたしのペルソナは、こういうのが得意みたいですから」
頼もしい栞の声。召喚器を握り締め、目を閉じ、それを、自分のあごに向ける。
「見ててください……エイル!」
栞から飛び出したのは、片手に大きな籠、片腕が注射針になっている女性。その服装は、なんとなくナース服にも見える。エイルは香里に、籠の中身を振り掛ける。すると、香里の凍傷がみるみるうちに消えていく。どうやら栞のペルソナは傷の回復が得意みたいだな。俺たちが怪我したら、遠慮なく栞に治療してもらうか。
「……どう、お姉ちゃん?」
「ええ、大分よくなったわ……ありがとう、栞」
「えへへ……」
自分が役に立てたことに、満足そうに笑う栞。
「久瀬、聞きたいことがある」
『大体想像は付く。さっきのことだろう?』
「ああ、どうして名雪は平気だったのか、どうして香里だけ、やたらとダメージがでかいのか、教えてほしい」
『……シャドウにも弱点があるように、僕らペルソナ使いにも耐性や弱点がある。今回のケースで言えば、美坂さんはたまたま氷の攻撃が弱点だったせいもあり、激しいダメージとなったものだと思われる。水瀬さんの場合はその逆だな。氷の攻撃に耐性があったから、たいしたダメージになっていないのだろう』
「そういうことか……」
『自分のことを知るのもペルソナ使いには重要なことだ。ペルソナはもう一人の自分。嫌でも向き合っていかないといけないものだからな。今度佐祐理さんの病院で調べてもらうといい』
「ああ、そうする」
「そうだったんだ……」
「なるほど、ね……」
名雪と香里が納得した表情を浮かべる。
「じゃあ、もし、あのタイプの敵が出てきたら、わたしが香里をかばうよ」
「そうね、お願いできるかしら、名雪」
「うん、もちろんだよ」
なるほど、上手い連携だ。
「よし、話も終わったしそろそろ行くか! 付いて来い、皆!」
「待て! 何でお前が仕切るか、北川!」
その後、何度目かの戦闘を経て、安全そうなポイントを発見し、俺たちは軽い休息をとっていた。用意していたジュースと夜食で、軽く体力を取り戻す。戦いで付いた傷は全て、栞のエイルに治してもらっている。
「おお、痛みが引いた。すごいな、これ」
「そうですか? お役に立てて何よりです……ふう」
「どうした? 疲れたか?」
「そうですね、さすがに少し……」
「皆はどうだ? 行けるか?」
「うん、まだ行ける、かな?」
「栞のおかげね、もう少しなら行けそうよ」
「同じく、だ」
「よし、それじゃ休憩終了だ。久瀬、近くにシャドウの反応はあるか?」
『分かった。探ってみる…………前方に1体、だな。おそらく今日はこいつで打ち止めだろう』
「わかった、聞いたな、皆。次で最後だ、気合入れていく!」
『了解!!』
俺たちは走って、シャドウの元へ駆けつける。それの姿を捉えた頃には、向こうも俺たちに気がついたらしく、臨戦態勢をとった。そいつは見た目、でかいカブトムシそのもの。
『ん……? ちょっと待て、そいつはやばい!』
「斉藤?」
『<死甲蟲>だ! お前ら5人でも、勝てるかどうか怪しいぞ!!』
「そんなにやばいのか?」
『少なくとも今のお前らにはきつい! 俺たちが応援に駆けつけるまで持ちこたえられるか!?』
「いや、応援はいらない」
『相沢!?』
「一応、弱点はあるのか? そいつは?」
『……風の攻撃に弱いんだ。だが、俺たちの中に風の魔法が得意なやつはいなかったから、そいつを倒すのには、一苦労してたんだ』
「斉藤、その応援とやらはどのくらいで来る?」
『貴明?』
『……手近なところが折原君たちだな。10分もすれば到着する』
「なら、その間に俺たちが片付けてみる。自意識過剰と言うわけじゃないが、こいつらとなら、何とかやれると俺は見た!」
『……よし、10分だ。一応、折原君にも救援は呼んでおく。健闘を祈る!』
「了解! 聞いたか、皆!!」
「おーし、よく言ったぜ、相沢!!」
「祐一、わたし頑張るよ!」
「ふう、乗せるのが上手いわね、相沢君」
「わたしも頑張っちゃいます!」
4人の気合とボルテージが最高潮に達する。即座に俺たちはカブトムシもどき――<死甲蟲>を取り囲む。そいつに真正面に向かい合う形で、俺が立つ。
「おっしゃあ、行くぜ、ヘーニル!」
ヘーニルを召喚し、<死甲蟲>に斬りかかる北川。しかし、その剣は外殻の一部を欠けさせただけに留まった。
「うおっ、硬ぇっ!」
北川が驚愕の声を上げる。いや、実際俺も驚いた。シャドウの個体差と言うのはここまでに大きいものだったとは……
「くっ、シフ!」
シフの電撃が、突き刺さる。しかし、堪える様子も見せない。
「しぶといわね……」
「うーん、虫さんなら、冷たいのに弱いんだけど……フレイア!」
名雪がフレイアを召喚し、冷気を巻き上げる。確かに普通の虫ならそれは当てはまる。が、相手は虫ではなく、シャドウと言うことを忘れてはいけない。名雪の冷気は、シャドウを包み込み、動きを鈍らせたが、それ以上には至ってない。
「うー、倒せないよ……」
ぼやく名雪。しかし、突如氷の束縛から逃れた<死甲蟲>が、名雪に向かい、猛突進する。不意の攻撃に、反応が遅れた名雪は、激しく吹き飛ばされる。軽く宙に浮き、地面にバウンドする。
「な、名雪、無事か!?」
「う……あ……」
苦痛で声も出せないようで、苦しくうめくだけ。まずい! 追撃をかけようとする<死甲蟲>と、倒れた名雪の間に、俺が割って入る。しかし、そいつはそんな俺をうるさそうに、角でしゃくりあげる。それだけで、俺の身体は宙に浮く。浮揚感の後に来る、落下と衝撃。
「ぐ……はっ……」
一瞬、呼吸が止まる。それだけで思考が死ぬかもしれない、と言う恐怖に代わる。普段当たり前のことが出来なくなるとう言うだけでこんなにもパニックになるなんて知らなかった。
「ゆ、祐一さん!? 名雪さん!!」
「かっとなったら駄目よ、栞! 貴方は二人を回復させることを考えて!」
「は、はい! お願い、エイル!」
エイルの回復魔法が飛ぶ。一度に二人は無理なようで、二人の中で、明らかに深手であろう名雪を優先したらしい。名雪は何とか自力で起き上がれる程度には回復したようで、よろよろと起き上がる。俺も刀を杖代わりにして、何とか立ち上がる。
「祐一さん、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ、何とかいける」
「ごめん、祐一。わたしのせいで……」
「気にすんな、それより、また来るぞ!」
北川は、もう一度ヘーニルを召喚し、剣で斬りつける。同じところを正確に切りつけたらしく、傷ついた外殻を、さらに深く傷つける。が、それ以上に北川は消耗が激しかったらしく、肩で息をし、汗がうっすらと顔に浮かぶ。
「北川、あんまり無理するなよ!」
「だ、大丈夫だ相沢! 心配無用だ!」
無意味に親指を立ててアピールしてるが全然そうには見えない。やはり、ここに来て、皆の疲労の色が濃くなってきた……早い決着が望まれるんだが……
「喰らいなさい!!」
香里のシフが召喚され、また電撃を落とす。それがいい感じに直撃したらしく、<死甲蟲>の動きが鈍る。
「もしかして……感電したのかしら?」
「グッジョブだ、香里! ヘズ!」
俺の召喚したヘズが、渾身の突撃をぶちかます。これが効いたらしく、<死甲蟲>は激しく吹き飛び、ひっくり返って足をじたばたさせる。どうやら動きが取れないようだ。
「これってすごいチャンスだよね!?」
「おう、皆、一気に行くぞ!!」
『了解!!』
もうペルソナを召喚できる余裕のない北川が、騎士剣を柔らかい<死甲蟲>の腹の部分にぶち刺す。血や体液はしぶかなかったが、その代わりに闇色の何かが噴き出す。そこに香里が追い討ちの電撃を北川が作った傷口に打ち込む。物言わぬシャドウが激しく悶える。
「この距離でこの大きさ、絶対外しません!!」
ドンドンドンドンドンドン!!
栞がリボルバーを、全弾撃ちつくす。その弾がすべて<死甲蟲>の腹に穴を開ける。名雪はフレイアの氷の魔法で、開いた穴に氷を詰める。そして、俺の振るった刀が深々とそれの腹に突き刺さった。
俺たちの猛攻に耐え切れなかったのか、<死甲蟲>は、一度だけ身体を痙攣させると、そのまま、だらりとなり、その身は、闇に溶けていく。
「勝った、のか?」
「……みたいね」
「えぅ〜、疲れました〜」
栞がへたり込む。それは皆も同じでぐったりとしていた。
「わたし、部活でもこんなに疲れたことないよ〜」
「そうだな、妙に、ひざが笑ってやがる……」
「ほんとね……こんなに疲れるなんて……」
『皆、無事か?』
へたり込んだところに、久瀬の通信が入る。
「ああ、何とか勝った。だが、皆限界らしい、一歩も動きたくないそうだ」
『そうか、もうすぐ影時間が明ける。君たちは安全な場所に避難して、影時間が明けるのを待ってくれ。明けたら、携帯で連絡をくれ。迎えをよこすから』
「わかった……でも、なんで?」
『……君ら、自分の格好が分かってるのか?』
「あ……」
確かに、銃や剣持った高校生がうろついた日には、不審人物扱いされてもおかしくない、な。そう考えると、結構間抜けな感じがする。
「お願いします……」
俺は情けない声でつぶやいた。
空が緑色から、いつもの濃紺の空に変わる。それと同じく、街の輝きが戻る。
「影時間が明けたみたいだな……」
「そうね……不思議よね、あたしたちが、今の今まで戦ってたなんて、嘘みたいな賑やかさね……」
「だな……つか、おい、水瀬!」
「くー……」
「寝てるな……」
「そんなことないお〜」
「寝言で反論してるわね……」
「器用です……」
「つか、いつまでこんなところで迎えを待ってなきゃならんのやら」
北川のぼやきに、寝てる名雪を除いて、一斉にはあ、とため息を漏らす。
そう、俺たちは今、外れにあった建設中のマンションの中に隠れて、迎えを待っている。なにしろ持ってるものが持ってるものなので、うっかり表で待つわけにはいかず、隠れて迎えを待ってる状況である。
「それにしても、体が重いわね。こんなに疲れたことって、一度もないわ」
「確かに……」
「わたし、体中が筋肉痛で痛いです……」
「わたしもとても眠いお〜」
「てゆーか、寝てるだろ、お前は!?」
「けど、さ」
「北川?」
「俺、自分の力ってやつ、初めて実感した気がするぜ」
「そう、ね」
「そうだお〜」
「だから寝ながら反応すんなっつーの!」
そんなやり取りをしてる俺たち。そこに、クラクションの合図が響く。どうやら迎えが来たようだ。
「あー、こほん、相沢祐一! 北川潤! 水瀬名雪! 美坂姉妹! お前たちは完全に包囲されてるぞぉぉぉぉ!! おとなしく投降して、俺たちの前に白旗上げて出て来るんだぁぁぁぁぁ!!」
聞き覚えのある声に思わず噴き出す俺たち。こんな悪ふざけをするやつなんて、俺たちの中では一人しか思いつかない。
「お、折原の野郎、何考えてやがる!?」
「折原ぁっ! 今回はさすがに洒落になんねえぞ!?」
「誰よ、折原君を迎えによこしたの!?」
「そんなことする浩平さん嫌いです!!」
「くー……」
速攻で飛び出した俺たち(寝てる名雪は除く)は、折原を取り囲み、有無を言わさずにボコにした。車を運転してきた秋子さんもその様子を見て、ちょっとだけ苦笑していた。
補足:ペルソナ解説
美坂香里 ペルソナ:シフ
北欧神話の雷神トールの妻。美しい金色の髪をしていたが、ロキによって丸刈りにされる。後に小人ドヴェルグの手で以前よりも美しい髪を手に入れる。
北川潤 ペルソナ:ヘーニル
北欧神話に登場する神。ヴァン神族との戦いの終結の際、人質としてヴァナヘイムに赴くが、決断力の乏しさが露呈し、不興を買う。
美坂栞 ペルソナ:エイル
北欧神話で「慈悲深い」という意味を持つ、3番目に尊き女神とされる。医療の女神であり、女巨人メングラッドの侍女であるという。
Shadow Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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