相沢祐一が“力”に目覚める、ほんの数刻前……
今日も訪れた緑の空。『影時間』。
水瀬寮、作戦会議室。祐一が知らない、寮に隠された設備。そこには昨晩祐一を監視していたモニターのほか、ラジオのような通信機や、レーダーのような探知機が備え付けられている。また、棚に並んだ資料には、『シャドウの生態』と背表紙に書かれた、膨大な数の資料が並べられている。
「お疲れ様です、舞さん、貴明さん」
「お疲れ様です」
ねぎらう秋子に立ち上がり、挨拶を交わす二人。久瀬の挨拶に続いて、うなづく舞。極端に口数が少ない彼女なりの自己表現である。このせいで同年齢の世代には誤解されがちだが、彼女の性根は、とても心優しい。寮の面々は、それを理解している数少ない理解者たちである。だからこんな形の挨拶でも、誰も何も文句を言わない。
「今日の見回り担当は……」
「折原君たちです。七瀬さんの穴は、英二が埋めてます」
「そうですか、それなら安心ですね」
「上月さんたちのガードは、引き続き、佐祐理さんと川澄さんです。今日は僕が待機して、指示の担当です」
「助かります。貴方と英二さんの能力には、本当に皆さんが助けられていますから」
「いえ、そんなことは……」
久瀬が謙遜しようとしたその時、
ぞわり
久瀬の中で、おぞましい何かが這いずり回るような感覚が走った。
「…………!? なんだ、これは!?」
「どうしました、貴明さん!?」
「ものすごい大きな反応……こんなに大きな力、初めてだ!!」
「……久瀬、それは今どこに……?」
「………………………………………この町内の近く、商店街、住宅街…………なに!?」
「貴明さん?」
「……この方角は…………僕らの寮に近づいている!?」
P-KANON ACT.3
久瀬は大慌てで、通信機に駆け寄り、スイッチを入れる。
「折原君、聞こえるか!?」
『おーう、感度良好、皆のお耳のアイドル、浩平様のリサイタルが聞きたいのか?』
「ふざけてる場合じゃない! さっきとんでもない大きさをしたシャドウ反応をキャッチした!!」
『……マジか。方角は?』
「僕らの寮だ……まっすぐこっちに向かっている!! 大至急寮に引き返し、迎撃に当たれ!!」
『了解だ。聞いたな、長森。急いで寮に……』
皆まで聞かず、通信を切る久瀬。素早く第二の行動に移る準備をする。
「川澄さんはみんなが到着するまで正門をガード! その前に佐祐理さんと合流して、事の顛末を報告、上月さんたちを避難させるように指示! 秋子さんは、水瀬さんを起こしたら、相沢君を連れてここから逃げるように指示してください!! いかに彼女に“力”があるとはいえ、実戦経験のない彼女では、荷が重過ぎる!! それが終わりましたら、上月さんたちと合流して、彼女たちと一緒に隠れてください!! 僕も正門を守ります!!」
指示を受け、即座に行動する舞。久瀬も後に続く。秋子も後に続く形で行動を開始した。
一方、折原浩平は指示を受けて、即座に長森瑞佳と、斉藤英二に撤収の指示を出していた。
「急げ、長森、斉藤!!」
「分かってるよ! でも、浩平早いんだもん!!」
瑞佳が抗議の声を上げる。と、突然、斉藤が叫んだ。
「ちょっと待て、折原、前を見ろ!!」
「あん……?」
そこには、浩平たちをさえぎるかのように、異形たちが待ち構えていた。
それは見た目で言うなら、空飛ぶ小さなキューピッド。手には弓矢。ただし、その体は影のように黒く、顔に当たる部分には、べったりと張り付いた真っ赤な仮面。
もうひとつは、宙に浮かぶ、異様な大きさのティアラを被った真っ黒な生首。そして、例によって生首には、仮面が張り付いている。
見れば分かるが、二つの異形のつけた仮面は、まったく異なっていた。
「ちっ、出やがったな、化けモンどもが」
浩平は剣を構える。
「<狂愛のクピド>と、<囁くティアラ>か……俺と長森さんの出番だな。折原、お前は休んでろ。こいつらなら、俺と長森さんのほうが相性がいい」
その浩平をかばうように、斉藤が前に立つ。瑞佳もそれに倣い、浩平の視界をふさいだ。斉藤の頼もしい言葉に、
「……OK、任せたぞ、斉藤」
彼は従った。
「浩平は大型のシャドウとの戦いに備えて、力は温存したほうがいいよ。浩平、一応うちのエースなんだから」
「一応じゃない、立派なエースだ!」
浩平の文句を聞き流し、斉藤は、腰に差したホルスターから、銃のような何かを引き抜く。これこそが浩平たちの持つ、あるものを呼び出すための『召喚器』。そして、その銃口を自分に向けた。
「出番だ、ミーミル!!」
トリガーを引く。斉藤は確かな衝撃と、内から何かがはじけ飛ぶ感覚を感じた。そして出現したのは、斉藤の倍の背丈をした巨人。ただし、首はなく、その代わりに生首が、片一方の腕の中に抱えられた状態。
その生首が何事かをつぶやく。その声は聞き取れなかったが、代わって、それ以上のことが起こった。
<囁くティアラ>と呼ばれた異形が、突然出現した氷に閉じ込められた。そして、氷にひびが入り、ガラスに似た音を立ててはじけ飛ぶと、そこには異形の姿はもうなかった。
その様子にひるんだもうひとつの異形。その隙を逃さず、ミーミルと呼ばれた巨人の影は、また何かをつぶやくようにその口を動かした。吹き荒れる氷と冷気。それに閉ざされ、凍りつく<狂愛のクピド>。凍りついた身体は、重力によって落下し、砕け散る。そして、砕けた身体は闇に霧散し、その痕跡は欠片も残らない。
「ほい、一丁上がり」
斉藤の言葉に反応するように、影が消える。
「……!! 斉藤君、下!!」
「何!? ぐはっ!!」
瑞佳の声に、反応が遅れ、突然、何者かに足を切りつけられて膝を落とす斉藤。そこに更なる追撃が加えられる。身動きが取れないその身体に、鋭い爪の残撃を受ける。胸元を切り裂かれ、血がしぶいた。
「ぐ……おおぉ……」
「斉藤君!! ……浩平、ごめん手を貸して!!」
「分かってる!!」
浩平は剣を構え、今しがた斉藤を切りつけた影と対峙する。それは地面に広がったシミのような影。盛り上がったそれから生えた二本の腕と、仮面。
「お前如きならこいつで充分だ……来な、怪物野郎」
影が腕を伸ばし、斉藤を引き裂いたその爪で、浩平に切りかかる。が、浩平はそれを軽く受け流し、攻撃をそらす。
「単調すぎて泣けてくる。おつむはない様だな」
そっけなく言い放つ浩平。その言葉が終わらないうちに、足を踏み込み、剣を振り下ろす。充分な加速がついた剣の一撃が、影の仮面を捉え、叩き割る。仮面を割られ、しばし悶えた仕草をした後、腕がだらん、とたれ、その影が地面にしみこむように消える。それを見届けた後、浩平は瑞佳に顔を向ける。
「長森、斉藤の回復を頼む」
「もちろんだよ。おいで、ペネロペ!!」
浩平の指示に従い、瑞佳は『召喚器』の銃口を心臓に押し当て、トリガーを引いた。衝撃と共に現れた影は、美しい白肌の女性のフォルム。ただし、その顔は純白のベールに隠され、その顔をうかがうことは出来ない。ペネロペと呼ばれたそれは、斉藤の傷を一撫でする。すると、触れられた傷跡が一瞬にして消え、斉藤の顔色が少しよくなった。
「ふう……どう、斉藤君?」
「ああ……だいぶましになったかな、ありがとよ、長森さん」
「こんなの当然だよ。わたしたちはチームだもん」
「はは、そうだな……」
「斉藤、立てるか?」
「おう、心配かけたな、折原」
「よし、寮に急ぐぞ、しんどいなんて言わせんぞ。寮の一大事だからな」
『おう(うんっ)!』
「……久瀬、お待たせ」
「川澄さん、佐祐理さんは!?」
「大丈夫、澪たちと一緒に避難してる」
「了解した……それよりも、シャドウの動きがどうにもおかしい」
「……?」
「どうも、他のシャドウも、寮を目指してるようだ。さっきから小さな反応が複数、こっちに向かってくる」
「どういうこと?」
「分からん、ただ、何かに率いられているように、統率されているのは間違いないようだ」
久瀬は淡々とした口調で、意見を言っているが、内心ではかなり焦っていた。これまで体験したことのない大型のシャドウに加え、さらに多勢となれば、こちら側の被害も相当なものになることは間違いない。甘い考えではあるが、久瀬はなるべくこちら側に犠牲者を出したくなかった。留美の大怪我のときでさえ、表情を隠していたが、心では激しく後悔していたのだ。
「久瀬」
久瀬の心情を察してか、舞が感情を殺した声で呼びかける。
「川澄さん?」
「大丈夫、皆死なせないから。わたしが……わたしたちが皆を守るから」
「川澄さん……」
相変わらず無愛想だが、かけられた言葉はとても温かいものだった。この言葉に後押しされるように、久瀬は眼鏡をかけなおし、目に強い意志の光を宿す。腰に差した『召喚器』を抜く。舞もそれを見て、懐から一本の短剣を取り出した。よく見れば分かるが、それは刃が潰れた演劇の小道具のような短剣だが、より無機質なもの。
「……来るぞ、まずは正門前、敵数3!!」
「了解」
正門を開け放ち、敵を出迎える。待ち構えていたのは、浩平たちが戦っていた、盛り上がった影、<臆病のマーヤ>と名づけられたものがひとつ。残りの二体は、浮かんだ巨大な手。手首に当たる部分に、無表情な仮面を貼り付けたようなもの。
「……大型はいない」
「だが、こいつらを放って置くわけにも行かん。一気に片をつける」
「……それなら、わたしに任せる」
「お願いできるか? 川澄さん」
うなづく舞。舞は手にした短剣の切っ先を自分に向ける。
「……ヘルヴォール」
何かに呼びかける舞。そして、手にした短剣を、自分の心臓に思いっきり突きつけた! だが、心臓から溢れてきたのは血しぶきではなかった。代わって飛び散った蒼い破片と共に現れるは、奇怪な馬のような何かにまたがった女戦士の影。顔は兜で隠し、片手に手綱、片手には、禍々しい剣。
「行って」
舞の呼びかけに答え、ヘルヴォールはシャドウに向かって突撃する。猛スピードで駆け出したそれに、シャドウたちは反応することも出来ず、立ちすくむ。ヘルヴォールは剣を一閃し、そのまま虚空へと消え去る。果たしてシャドウたちは、その身体を真っ二つにされ、地に伏せる。何も出来ぬまま、シャドウたちはその姿を闇に溶かしていった。
「はあ、はあ……」
舞は荒い息を整える。たった一度の使用で、ごっそりと体力を持っていかれた感覚。額に髪が汗で張り付いて、気持ち悪かった。しかし、その目はまだ死んでいない。
「また来る……今度は敵、7!?」
「くっ……」
舞はふらつく体に活を入れ、体勢を立て直す。久瀬はそんな様子の舞に、
「川澄さん、いけるか?」
その問いかけに、力強くうなづく舞。
「よし、もうひと踏ん張りだ!!」
「上月さん、椎名さん、そこで隠れててくださいね。ここなら、そうそうシャドウも侵入できない造りになってますから」
厨房、ワインセラー。実際に酒は置かれてはいないが、暗所で貯蔵する食材や、調味料が置かれている。秋子がこの物件を買った際には、既に取り付けられていたものである。結構頑丈なつくりをしているため、このスペースは、有事の際、二人のシェルター代わりとなっていた。物がぎっしり詰め込まれているが、小柄な繭たち二人が隠れる程度のスペースは開いている。
「みゅ〜……」
泣きそうな目で、佐祐理を見つめる繭。そんな彼女を年上の澪がぎゅっと抱きしめて、落ち着かせようとしている。
「あはは〜、大丈夫ですよ。心配しなくても、あなた方には指一本触れさせません。なんたって、佐祐理は『部長』さんですから〜」
優しい笑いを浮かべる佐祐理に、澪はうなづきを返す。その目には、彼女に対する強い信頼が宿っていた。
「上月さん、椎名さんをよろしくお願いしますね。真っ暗でちょっと怖いかもしれないですが」
それだけ言い残して、佐祐理はワインセラーの扉を閉めた。
「あはは〜、それじゃ、舞たちの応援に駆けつけましょうか」
佐祐理は笑って、舞たちのいる正門へ足を運んだ。
秋子は備え付けの非常用ベルを鳴らし、名雪と祐一の目を覚まさせる。パジャマ姿で寝ぼけた状態の名雪が、ふらふらした足取りで、秋子の前に現れる。
「うにゅ〜、な〜に、お母さん……? 火事……?」
「寝ぼけてないの、しゃんとなさい。シャドウが……来たわ」
「え……!?」
シャドウという言葉に反応し、頭が突然冴える名雪。
「名雪、急いで着替えて、祐一さんと一緒に寮から逃げて。貴方に“力”があるとはいえ、貴方じゃ、舞さんたちの足手まといになるから」
「お母さん……」
「酷な言い方かもしれないけど、分かって、名雪。それと、これ……」
名雪に手渡されたのは、銃型の『召喚器』。ずしっとした重さが、名雪の手のひらにかかる。
「お、お母さん、これ……!!」
「予備のものだけど、万が一逃げ切れなかったら、貴方が祐一さんを守って。でも、無理をしちゃ駄目よ。貴方と、祐一さんが無事で、初めて意味があるんだから」
「……うん、わかった」
名雪は『召喚器』を胸に抱えると、部屋に戻る。中から、衣擦れの音が聞こえてきた。その様子を確認した後、秋子は階段を降り、ワインセラーのある厨房へと回った。
「名雪、祐一さん……どうか無事で」
しかし秋子のつぶやいた祈りは、叶うことなく、大型シャドウは祐一たちに向かっていくのだった。
その異変にいち早く気づいたのは久瀬であった。
「あはは〜、お待たせ、舞」
「佐祐理……」
「助かった、佐祐理さん。秋子さんは?」
「大丈夫です、佐祐理と入れ替わりで上月さんの護衛に回りました」
「そうか、よし、後は手筈通りに水瀬さんが相沢君を逃がせば……!?」
「久瀬?」
「しまった……裏口にシャドウが回っている。逃げ道はふさがれてる!!」
「!!??」
次の瞬間、凄まじい衝撃が寮全体を襲った。
『うわあぁ!!』
舞と佐祐理は踏ん張ったものの、衝撃に足をすくわれて、転倒する久瀬。その隙を逃さず、シャドウがのしかかってきた。
「くっ……」
「貴明さん!!」
佐祐理は慌てて、手にしていた薙刀で、久瀬を覆うシャドウを突こうとしたが、そんなことをすれば、久瀬にまで当たる可能性が高い。
とっさに手を止め、佐祐理は、腰に差した『召喚器』を抜き放ち、銃口を自分に押し当てた。
「一か八か……シギュン!!」
銃声にも似た轟音と共に、佐祐理から、美しい女性の影が現れる。両の手には大きな甕を持ち、その顔は悲しみに満ちている仮面のよう。
「お願いです! 力を貸してください!!」
佐祐理の懇願を聞き入れ、影は片手を、シャドウに向けた。すると、シャドウに光の粒が付着し、それは徐々に広がって、シャドウを蝕む。悶えるシャドウを、容赦なく光は包み込み、それが広がりきり、まぶしい閃光を放った後には、シャドウは、その姿を消していた。
「はぇ〜、成功してよかったです……」
「た、助かったよ、佐祐理さん」
「あはは~、たいしたことないですよ、貴明さん」
佐祐理に礼を言い、久瀬は立ち上がる。
「さっきの衝撃は……」
「分からん、だが、さっきから嫌な予感がするんだが……!? まずい!!」
「貴明さん?」
「……屋上に逃げた水瀬さんと……大型シャドウが対峙している!!」
『!!??』
そして、それから数刻後、相沢祐一が“力”に目覚めた。
正門をシャドウの群れに囲まれた中、久瀬は祐一の“覚醒”を、誰よりも先に感じていた。
「これは…………!?」
「久瀬……?」
「今まで感じたことのない反応……まさか!?」
「祐一さん……ですか」
「ああ、“目覚めた”ようだ……『ペルソナ』に」
「はぇ〜、やっぱりそうだったんですね〜」
「でも油断は禁物……」
「ああ、彼は依然、大型シャドウと対峙している。目覚めたての彼がどこまでやれるか……」
「助けに行きたいですけど……佐祐理たちは手一杯ですし……ね!!」
佐祐理は薙刀で、シャドウの一体を切り裂く。佐祐理に倒された分の穴を埋めるように、別のシャドウが入れ替わりで佐祐理に立ちふさがった。
「ふぇ、きりがないです……」
「すまない……わたしのせいで」
「舞、大丈夫。舞はよくやってくれたから」
舞の謝罪に優しく受け答える佐祐理。
既にかなりの数を屠ってきた舞は、完全に消耗しきってしまい、久瀬と佐祐理に守られる形となっている。
「それにしても、折原君はどうしたんだ……?」
「さすがに遅いですね……」
「くそう、どうなってやがる!?」
「おかしいよ、今日のシャドウはいつもより連携が取れてる!」
久瀬たちが必死に正門を守っている間、浩平たちもまた、大量のシャドウによって、足止めを食らっていた。彼らが寮への距離を縮めれば縮めるほど、より多くのシャドウたちが待ち構えていたのだ。あまりの数の多さに、浩平たちは、戦いによる消耗を避けるため、シャドウから逃げて、無駄な戦いを省こうとしていたが、逃げれば逃げるほど追い詰められていっている。
「浩平、これ以上は無理だよ!」
「ちっ、路線変更、適当な場所で迎え撃つぞ!!」
「この数をか!?」
「俺に命預けろ! これでも俺はエースだぞ!!」
「……OK、殺すなよ、折原? 死んだらお前の枕元に立ってやるからな」
「はっはっは、任せろ!」
適当な広さの空き地で陣を組み、シャドウを迎え撃つ準備をする浩平たち。浩平の手には、『召喚器』が握られていた。
「出し惜しみなしで行く。長森、俺のフォローを頼む。斉藤、俺の攻撃が効かない奴がいたら教えてくれ。お前の能力は結構当てにしてるんだからな。」
「了解だよ」
「任せろ」
瑞佳、斉藤も『召喚器』と、自分たちの武器を構える。
シャドウは浩平たちを囲むように、陣を組んだ。
浩平たちとシャドウの距離がじりじりと縮まる。……シャドウとの距離が、浩平の射程範囲に届いた。
「今だ! 来い、ギルガメッシュ!!」
浩平は『召喚器』のトリガーを引く。出現した影は、王冠を被り、威厳深き黒ひげを蓄えた王者の風格。しかし、手にした剣から滴り落ちる血が果てることはない。
ギルガメッシュと呼ばれたそれは、血が滴る剣を薙ぐ。それが激しい衝撃波となり、取り囲んだシャドウを一気に吹き飛ばす。結構な数を倒したはずだが、シャドウの群れには、さして痛手にはなっていないようで、すぐに別のシャドウが浩平たちを取り囲む。
「ちっ、さすがに数が多い……」
「大丈夫、あっちは時間制限あり、こっちは時間無制限だから、『影時間』が明けるまで耐え切れれば、わたしたちの勝ちだよ!」
「なるほど、冴えてるな、長森さん! ……で、後どのくらい耐えればいいんだ?」
「うう、分かんない……」
「だが、長森の話も一理ありだな。『影時間』は無制限じゃない。さっきから走り通して結構時間は経ってるはずだ。希望的観測を言えば、明けるまであと5分くらいがベストなのだが……」
「そんな都合よくいかないよ〜」
「……だな。よし、『影時間』が明けるまで、必死で戦うぞ!! 寮の方は……久瀬が何とかするだろう」
浩平たちは、互いにうなづき合い、シャドウの群れに突撃をかけていった。
名雪は気絶しそうな痛みと、朦朧とする意識の中、祐一の覚醒を最も近くで目の当たりにしていた。
「ゆ……いち……」
(祐一も……わたしと同じだったんだ……)
今や祐一は、自分を倒した化け物に向かって、ひるむことなく立ち向かっている。その様子に勇気付けられ、名雪も意識を覚醒させ、痛む体を無理やり起こして、立ち上がった。
(祐一が戦ってるんだもん。わたしも……頑張らなきゃ!)
ヘズと名乗ったそれは、俺の倍以上の身長を持つ巨人であったが、その目は細い糸のようなもので固く閉ざされていた。片手に握られているのは、ヤドリギなのだろうが、幹が途中から、鋭い剣になっていた。
(お前が俺だって言うんなら……力を貸してくれ!!)
俺の心の叫びに反応したのか、ヘズは化け物に突進する。原始的だが、凄まじい一撃が、化け物を吹き飛ばした。それが効いているのか、化け物は無数の手をばたつかせて、のた打ち回る。ヘズはさらにもう一撃を叩き込む。痛みを感じているのか、激しく悶絶している化け物。化け物は起き上がると、その仮面を俺に向けた。無表情なはずの仮面に、怒りの表情が、仮面に浮かんだように見えた。
「祐一……」
後ろから声をかけられた。名雪が立ち上がってきたのだ。
「大丈夫か、名雪? 無理なら休んでろ」
「ううん、へっちゃらだよ」
それは嘘だ。名雪の顔色は痛みを必死で堪えているように見えるし、何より立ったそばからひざが笑っているのだから、どう見ても大丈夫には見えない。
「……名雪、誰か呼んで来てくれ。その間に、俺が何とかこいつを抑えとく」
「祐一!?」
「頼む、時間稼ぎくらいなら、俺一人で何とかできるかもしれないが……」
「駄目だよ! 祐一じゃ、絶対勝てないよ!」
「名雪!!」
俺の大声にびくり、と体を硬直させる名雪。
「頼む……」
「……わかったよ。急いで戻るから、死んじゃ駄目だよ?」
「もちろんだ」
名雪は俺の指示に従い、屋上から姿を消す。その間、ずっと俺は化け物とにらみ合いながら、モデルガンもどきをこめかみに押し当てていた。トリガーに指を引っ掛けて。
「さあ、来な。俺が相手してやる!」
俺はもう一度トリガーを引く。衝撃が俺の頭を突きぬけ、さっきのヘズが出現する。愚直に殴り飛ばすヘズ。またしても吹き飛ばされる化け物。行ける! そう確信したのがまずかった。
起き上がった化け物は手にした剣で、俺に斬りかかる。太刀筋は滅茶苦茶。しかし、数だけはやたらあるその攻撃に、素人同然の俺がかわしきれるはずがなかった。剣のひとつが、俺の肩を切り裂く。鋭い痛みと共に、血が流れる。
「ぐっ……」
これまで体験したことがない痛みに、うめく俺。喧嘩程度なら、何度かしたことはあるが、刃物で切られた経験は一度もない。せいぜいなれない包丁で手を切った程度だ。だから、こんな剣で切られたこともなかったし、ましてやこんな痛い思いや、殺されるかもしれない状況に立ったこともない。
だけど……
「これぐらいで逃げたら……かっこ悪いよな」
俺はさっきの名雪の姿を思い出す。あの瞬間、名雪だって死ぬほど怖かったはず。でも、名雪は逃げなかった。それどころか、俺を守るためにあれに立ち向かっていったのだ。そして、俺を守って傷ついて……そんな名雪を見てしまったら、俺だって引き返せない。
「もう一度だ、行くぜ!!」
三度目になるヘズの召喚。今のヘズに出来るのはせいぜいが殴り飛ばすことだけ。だが、それでも、着実に化け物にダメージを与えている。だが、それと同時に、俺自身に、なんともいえない疲労が積み重なる。呼び出すたびに、精神力と体力が同時にそぎ落とされるような疲労。気がついたのだが、もしかして、こいつを呼び出すたびに、俺も消耗してるんじゃないだろうか?
だとするなら、まずい。俺自身、どこまで出来るかわからないが、このまま消耗し続ければ、確実に負けるのは……俺。
化け物は名雪にして見せたように、剣をこすり合わせる。しかし、そこから生じたのは、炎ではなく、一条の電撃。それが俺の体を貫く。感電なんて生まれて初めての体験だが、こんなに痛いものだとは知らなかった。悲鳴を上げようにも、あまりの激痛に、声すら出ない。電撃が通り過ぎたのは一瞬、しかし残った痛みはいつまでも続いた。くじけそうになる体を必死に支え、立ち上がる。
「……くそっ、もう一度だ、ヘズ!」
トリガーを引き、召喚されたヘズ。
しかし――
くらり
視界が回転する。度重なる召喚による消耗と、さっきからの化け物の攻撃で、いよいよ体力に限界が来たらしい。めまいがする。支えていたひざが落ち、それと同時にずしんと身体に何かがのしかかるような、そんな強烈な脱力感。
あ、やばい……
そう思ったのは一瞬で、次の瞬間には、俺の意識は完全にブラックアウトしていった……
それはターゲットが倒れこむのを見る。そんな千載一隅のチャンスを逃す機はなかった。ゆっくりと彼に近づく。彼が呼び出した影に目もくれず。
次の瞬間、影がそれをむんずと掴み上げる。そして、それを彼から遠ざけるように激しく放り投げる。突然のことに、なす術もなく吹き飛ばされるそれ。影は更なる追撃を仕掛ける。それに馬なりにのしかかり、殴る、殴る、殴る。あまりにも理性的でないその攻撃。だが、それには抗う術がない。もう滅茶苦茶に殴られたそれは、何とかして逃げようと、剣の一本で切りつける。一瞬だけひるんだ影。その隙を逃さず、踵を返して、逃げようとするそれ。だが、抵抗はそこまでであった。
影がそれの顔面に当たる仮面を掴む。ちょうどアイアンクローをするような感じだ。もがくそれに構わず、力を込めていく影。それに比例して、仮面に無数のひびが入っていく。やがて、仮面の耐久力が、影が込める力に負け、砕け散る。びくん、と残された腕が震える。それは断末魔の痙攣だったのかもしれない。腕は持っていた剣を落とし、力なく垂れる。絡まっていた腕が解け、ぼとぼとと気色の悪い音を立て、屋上の床にだらしなく横たわる。それがバターのようにとろけていき、跡形も残らない。砕け散った仮面も同じ末路をたどる。落ちた剣は、風化し、風に吹かれて消えていった。
影は消え去った敵に気づくことなく、興奮して、獲物を探すように周りを見渡した。そこに、何かが来た。扉が開く。獲物を発見した、とばかりに、影はそれに飛び掛った。
「大型シャドウの反応が……消えた」
久瀬は状況の変化を、一言でつぶやいた。
「ふぇ、祐一さんが勝ったんですか?」
「いや、違う。この反応からして既に相沢君の『ペルソナ』は、相沢君のコントロール外にある。おそらく、暴走している」
「はぇ〜、それじゃ、暴走した『ペルソナ』が、大型を倒しちゃったんですか」
「まあ、結果オーライといったところだが、まずいな。暴走した『ペルソナ』は、主人に近づいてくるものには見境なく攻撃を仕掛けるからな…………!? いかん!!」
「……何が起こった?」
「水瀬さんが相沢君の下に駆け寄っている……」
「た、大変です!! 誰か駆けつけないと!?」
「くそっ、こいつらさえいなければ!!」
久瀬たちは、依然シャドウの群れに囲まれ、身動きがとれずにいた……
「祐一!!」
名雪が扉から飛び出した瞬間、突然凄まじい衝撃が、彼女を襲った。吹き飛ばされ、地に叩き伏せられる名雪。
「くっ……あ……」
激痛に声を上げることすら叶わず、身体を縮める名雪。何が起こったのか分からず、辺りを見渡す。そこには先ほどのシャドウの影はなく、代わって、祐一が召喚した『ペルソナ』と、気を失い、倒れている祐一の姿。
「……!! 祐一、祐一!!」
呼びかける名雪の声に反応しない祐一。痛む身体で、地を這って、祐一に近づいていく。祐一の『ペルソナ』は、主人である祐一に近づけまいと、名雪に殴りかかる。
「か……はっ……」
激痛に耐え、少しづつ、祐一に近づく名雪。それに祐一の『ペルソナ』の猛攻が加えられる。そして、その内のひとつが、名雪の意識を刈り取る。祐一の『ペルソナ』は、ぐったりした名雪を掴み上げると、その手を名雪の首にかける。そして、その首をおもむろに締め上げた。
「が……」
苦しげなうめきを上げる名雪。顔は真っ白で、窒息寸前である。
そこに、
「あらあら、困ったことになってますね」
女性の声が響いた。その声に反応し、『ペルソナ』が、名雪の首から手を離す。朦朧とする意識の中、名雪は聞き覚えのある声が誰なのか、そんなことを考えながら、気を失った。
浩平たちはさすがだった。既にかなりの数のシャドウを屠り、シャドウを圧倒していた。が、その分こちら側の消耗も激しかった。斉藤は全身を切り傷や打撲で覆われ、瑞佳もまた、息が上がっていた。浩平にいたってはその消耗は著しく、気合で立っているだけである。もう『ペルソナ』を召喚することも適わない状況で、何とか持ちこたえているという感じだ。
「ぜはー、ぜはー……長森、回復できるか?」
「無理だよ……もうそれだけの力はないよ……」
「斉藤、後どのくらいで『影時間』が明けると思う?」
「さあな、5分は確実に経過しているが、一向に開ける気配はないな……」
「なんだそりゃ……皮肉か、この野郎」
浩平は軽口を叩きながらも、手にした剣で、シャドウの一体を切り裂く。最早『ペルソナ』召喚もままならない状態になっている浩平の、唯一の攻撃手段である。浩平は返す刀で、もう一体のシャドウを攻撃しようとしとき、
つるっ
「おわっ」
派手にしりもちをついた。ふらついた足で、立ち上がろうとするが、立ち上がれない。相当足に来ていたようだ。
「こ、浩平!?」
「あ、こりゃやばいかも……」
「おい、しっかりしろよ!」
斉藤は『召喚器』を構え、ミーミルを召喚する。生首を持たない片腕が、ぱちんと指を鳴らした。すると、浩平の身体がふわりと起き上がり、何事もなかったかのように地に立っていた。
「すまんな、斉藤」
「言っとくが、フォローはもう打ち止めだからな。後は頼んだぞ」
「了解!!」
浩平は、二人の盾になるように剣を構える。それにはちゃんとした理由がある。
シャドウの鋭い爪が、浩平を引き裂く。しかし、それは浅く彼の身体を薙いだだけ。続けて別のシャドウが浩平を渾身の力で切りつけるが、それもさほど効いていない。
「ふははははは、無駄無駄無駄ぁ!!」
高笑いを浮かべ、勝ち誇る浩平。
「はあ、自分が斬る攻撃に強いからって言っても、調子乗りすぎ、だよ!!」
瑞佳は手にした弓で、矢を放った。それは確実にシャドウの仮面を叩き割る。
「まったくだ、な!!」
斉藤も、手にしたハンマーで、自分の対峙していたシャドウを粉砕する。
「はっはっは、快調快調!!」
調子付いた浩平は、剣の一振りで、二体のシャドウを切り裂いた。疲労困憊の身体で、三人は着実にシャドウの包囲網に耐えていた。
しかし、ここで一気に戦況が変化する。
突然、猛烈な吹雪が彼らに襲い掛かった。
「ぐわあっ!!」
大きな悲鳴を上げて倒れたのは浩平である。その身体は、酷い凍傷によってずたずただった。
「し、しまった、よりによって、折原の天敵がいやがったのか!!」
「きゃあああああっ!!」
もうひとつのの悲鳴が上がる。瑞佳だ。斉藤が瑞佳の立っていた場所を見ると、大きなカブトムシ型のシャドウが、瑞佳にのしかかっていた。
「げげっ、<死甲蟲>!! こんな奴までいやがったのか!!」
陣形が崩れた浩平たちに、さらに多くのシャドウが取り囲む。立ち上がる事すらままならない浩平。がっしりと押さえ込まれ、身動きの取れない瑞佳。人、これを絶体絶命と呼ぶ。
「くそったれ……ここまでか」
斉藤のつぶやきが、全てを物語る。シャドウは今にも襲いかからんと、じりじりと間合いを詰めてくる。斉藤はハンマーを構えるが、半ばあきらめの表情だ。『ペルソナ』を召喚する精神力も限界、疲労もピークでまともにハンマーを振るうことも出来ない。浩平、瑞佳も倒れている。勝てる要素は……ほぼ皆無。
そして緊張の糸が張り詰め、それが切れた瞬間、
一斉にシャドウが押し寄せる!!
ぐっと、身を固くし、来るであろう痛みに耐えようと身構える浩平たち。目を固く閉じる。
「…………?」
しかし、いつまでたってもシャドウの攻撃がやってこない。恐る恐る目を開ける。そこにはさっきまで大量にいたシャドウは影も形も見えなかった。空を見ると、濃紺の夜空。
「どうやら……『影時間』が明けたようだな」
「わたしたち、助かったのかな……?」
「そうだな……とりあえず、俺はもう一歩も動きたくない。長森、俺をおぶれ」
「無理だよ〜」
「冗談だ、携帯で久瀬に連絡して回収してもらうか」
「うん、わかったよ」
浩平たちはへたり込んで、迎えが来るのを待った。瑞佳が連絡して10分後、やってきた車に乗せられ、浩平たちは寮に着いた。
「『影時間』が明けた……か」
久瀬は正門で、シャドウが消滅したのを見届けると、その場に座り込んだ。
「ふぇ〜、今日は一段とハードでしたね〜」
「とりあえず、明日も学校があるんだな……ああ、明日はつらそうだ」
「そうですねぇ……」
久瀬と佐祐理は、ため息をひとつついた。そこに、
「すみません、最後にひとつ頼まれてくれませんか、貴明さん」
いつの間にか背後に立っていた秋子が、久瀬に言う。
「はい、なんでしょう、秋子さん?」
「救急車の手配をお願いします」
「……わかりました」
久瀬は携帯から119を押す。患者の詳細を秋子から聞きながら、救急車の到着を、正門前で待っていた。
補足:ペルソナ解説
相沢祐一 ペルソナ:ヘズ
北欧神話に登場する盲目の神。悪神ロキの姦計にはまり、兄であるバルドルを殺してしまう。ラグナロクの後、彼は甦った兄バルドルと共に、新世界の神となる。
水瀬名雪 ペルソナ:フレイア
北欧神話に登場するヴァン神族の女神。愛と魔術の女神とされ、同じく愛の女神であるフリッグや、ギリシャ神話のウェヌスと同一視される。
斉藤英二 ペルソナ:ミーミル
北欧神話の、知恵の泉を守護する番人で、最高神オーディンの叔父にあたる。ラグナロクの際にも、オーディンは彼に助言を求めるという。
長森瑞佳 ペルソナ:ペネロペ
叙事詩オデュッセイアの英雄、オデュッセウスの妻。オデュッセウスが冒険から帰還する約20年間、貞節を守り続けた良妻。
川澄舞 ペルソナ:ヘルヴォール
北欧神話の魔剣、テュルフングの所有者の一人であった女戦士。彼女は男装をして、戦場を駆け抜けたという。
倉田佐祐理 ペルソナ:シギュン
北欧神話の悪神、ロキの正妻。ロキが咎めを受け岩に繋がれる刑罰を受けている間、彼女は甕を持ってロキの顔に滴る毒蛇の毒を受け続けた。
折原浩平 ペルソナ:ギルガメッシュ
シュメール最古の王で、半神であったとされる。ギルガメッシュ叙事詩によれば、彼は暴君であったという。
Shadow Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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