前回までのあらすじ 夏のある日の放課後、祐一を呼び出したのは天野美汐という少女。
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――7月16日 水曜日 午後7時41分 水瀬家リビング――
ここは水瀬家、夕食の片付けも終わり全体的に落ち着く時間、大多数の人間にとってはどうでもいいバラエティ番組を
いつも通りに家族で適当な話をしながら見ていた。
いや真琴がいるから『いつも通り』とは少し違うと言えるだろう。
一人増えただけで会話量だけでもかなり違うものだ。
まあ、少なくともしばらくの間はこれがいつも通りになるだろうが。
見ているバラエティはお笑い芸人が主に回答するクイズ番組。
国語の佐藤とかいう先生は好きで毎週見ているとか言っていたな。
ただあいつの言葉では、この手のクイズは珍回答を笑うのも確かに楽しみの一つではあるが、
ここ最近はそれをあからさまに表に出しているような気がしてなんだかなという気分になる、らしい。
まあ、俺はなんとなく見てるだけだからどっちでもいいけどね。どうせ途中で見るのやめるし。
ピンポーン
祐一がそんなことを考えていると、玄関からチャイムの音がした。
「はい。今行きますね」
秋子さんがリビングから出て行く。祐一は浮かない顔をした。客の心当たりとして苦手な人物が浮かんだからだ。
名雪には特に表情の変化はなかった。それは案の定、夢と現実の世界を往復していたからだが。
ふと、祐一の隣に居た真琴が立ち上がった。
「真琴も行って来る」
こんな時間に来る客に興味を持ったのだろうか。廊下をスタスタと渡っていく真琴。
来た客は祐一の予想通りの人物だった。その人物の声がリビングまで聞こえた。
「こんばんは、秋子さん」
「こんばんは荘司さん、今日も家庭教師よろしくお願いしますね。さ、どうぞ上がってください」
「はい」
靴を脱いで、綺麗に揃える荘司。
そこで、とてとてとやってきて秋子の後ろに隠れるような位置関係にいる真琴が荘司の目に映った。
「こんばんは。えっと……」
「……」
秋子に付いてきた真琴だったが、黙ったまま秋子の後ろに隠れるように突っ立っていた。
自分から出てきた割に意外と人見知りする性質のようだ。
もちろんそんな態度に出られて荘司は少し困ってしまった。
そこに祐一もやって来た。
「やっぱ射場か。さっさと始めて終わらせてくれ。俺の部屋の位置はもう覚えたよな?
本当はお前を俺に部屋にあげたくないんだけどな」
年上の、しかも家庭教師に対する口調がこんなんでいいのか、と思うかもしれないが(実際名雪はそう思っていた)
一応プライベートの知人にあたるので本人らがよければまあ問題ない。親父の関係者と知って余計口が悪くなってしまった。
「ふむ。水瀬さんの部屋でやってもいいんだがな」
「それが嫌だから俺の部屋でやることにしたんだろが。行くぞ。
あ、勉強するから真琴は入ってくるんじゃないぞ」
祐一は振り向いて真琴に一言言葉を投げた。
☆ ☆ ☆
「誰だ、あの女の子は……」
小さなテーブルを二つ出して、勉強の用意を始める三人。そのうち一つは物置にあった小さなちゃぶ台であったが。
「半年くらい前にこの家にいた居候だが、お前知らなかったか?」
「知らない……が、なぜあんたは俺がそれを知ってると思う?」
「そうか。親父の手先のお前なら知っててもおかしくない、と踏んだんだがな」
相沢祐一の父親は現在アメリカに居て、コンピューターのプログラム関係の仕事をしている。
自称『世界で三本の指に入るハッカー』だ。
この男、時々手紙を送ってくるが、たまに名雪とのデートの内容を知ってたり
学校でどんな女の子と会話したりしたか知ってたりする祐一にとって悩みの種の人物だ。盗聴器でも仕掛けてるのだろうか。
あいつなら当然真琴のことも知っている、と考えるのが祐一にとって普通だった。
「ふむ。……だが相沢さんが知ってることを俺に話すとは限らないだろう
祐一君の人間関係なんて聞かなかったし聞く気も起こらない。
せいぜい直前に水瀬さんのことをきかされたぐらいだ」
「それもそうか」
その時突然ドアが開き、納得した祐一に甲高い声が浴びせられた
「ゆーいち、おもしろい漫画みつけたんだけど」
「今勉強中だからどっかいってろ。それとも一緒に勉強するか?」
「祐一とはしないわよーだ。だいたいその男だれなのよ」
真琴の態度は先ほどの人見知り的な態度とは違っていた。
祐一が近くにいるという無意識的な安心感が内在しているのか、それとも秋子さんから説明を受けたのか。
「……家庭教師の射場荘司だ」
「あたしは沢渡真琴」
「さわたりまこと。むちゃくちゃいいなまえだとおもうよ。うん」
「ホントに?やったー」
(頭が痛くなる奴を思い出したよ。もちろん偶然の一致だろうがな)
「名雪、射場の奴明らかに棒読みだったよな」
「うん、何かあるのかな名前に……」
その棒読みに気づいてない鈍い真琴はいい名前と言われて喜んでいた。
時折ざまあみろという目で祐一を見ていたのが祐一には複雑な気持ちだったが。
ともかくその日の学習は可もなく不可もなく、という位置で終わった。
「はぁやっと終わった……息抜き息抜きと。あれ? 何処行った?
俺が最近ハマってるマイナースポーツ漫画がない」
そこでふと思い出した。勉強を始める前、真琴が面白い漫画を見つけたとか言ってた事を。
「コラ真琴! でてこーい!」
――7月17日 木曜日 放課後 商店街――
「祐一、もしかしてAランチにイチゴムースが復活するタイミング知ってたんじゃ……」
「いや、ぜんぜんそんなことはないぞ。第六感だ。第六感」
人間、本当のことは一度しか言わないものだ。
「なんか腑に落ちないよ……」
「腑に落ちなくても約束は約束だからな。只今何をお願いするか考え中だ。楽しみにな」
「う〜」
色々な事があった次の日の放課後、祐一と名雪は商店街にいた。早い話が道草だ。
二人が居る場所は商店街の主な通路から少し外れた位置にある小路、CD屋に行くためには通過必至の小路だ。
そこを歩く途中、名雪が足を止めた。
「祐一、あそこにいるのあゆちゃんじゃない?」
見ると、たしかにそこにいたのは月宮あゆであった。印象的な羽リュックは今日も身に付けている。
あゆの方もこちらに気づいたらしい。笑顔で手を振っている。
「あ、祐一君、それに名雪さんだ」
「よお、あゆ」
羽リュックの女の子は二人に駆け寄ってきた。
「いま、もしかしてデート中?」
「いや、単に学校の帰りに道草を食ってるだけだ」
「そうなんだ。ボクも一緒だよ」
「ちゃんとお金払って食べてるのか?」
「うぐぅ……道草にお金が入るなんてはじめて聞いたよ」
「なるほどな、この前言ったことは嘘だったんだなこの食い逃げ娘」
「祐一だってお金払ってないよ」
「それもそうなんだが……」
突っ込みを入れずにボケを止める水瀬名雪であった。
「まあそれはそれとして、持ってる紙袋はまた鯛焼きか?見たことない袋だけど」
「うん、たこ焼きと回転焼きがメインの店なんだけどタイヤキもやってるんだ。いろんな味があるよ」
「イチゴ味とかもあるかなぁ」
「豚足味とかもあるかなぁ」
マイペースな名雪とその真似をする祐一。なんだよ豚足味って。
「イチゴ味はいつか出るかもしれないね。祐一君が言うのはボクが生きている間は出ないと思うよ」
「ははっ、それは実に残念だな。
じゃああゆ、俺たちは店に入るから。またな」
「またねー」
走っていく月宮あゆを見送りながら、祐一は表情を少しだけ歪めて小さい声で叫んだ。
「しまった!」
「ど、どうしたの祐一」
「あゆの連絡先、また聞くの忘れたんだよ。
さすがにいつも忘れるのは不自然だと思うんだけど、もしかしたら何か妖怪みたいなのがいて
会うたびに聞くのを忘れさせているのかもしれない」
「か、考えすぎなんじゃ……」
そんな会話をしている二人に今度は男の声がかかった。
どうやら彼もこのCD屋に用があるらしい。
「祐一君に水瀬さん。こんなところで会うなんて奇遇だな」
それは家庭教師の射場荘司だった。
「確かにな。街で会うとはな。
そうだお前、羽の生えたリュックの女の子とすれちがっただろ」
商店街の横道にあたるこの通りは一本道になっている。時間的に考えてすれ違っていないとおかしい筈だ。
「羽の生えたリュック? いや? そんな特徴的な容姿なら分かりそうなものだが」
「見てない? そんなはずはないだろ。ここは細い一本道だし……」
「祐一、多分射場さん考え事でもしてたんじゃないかな」
名雪の言葉で少し納得する祐一だった。
それと同時に一つ思い出した。それは昨日聞き忘れていた一つの質問だった。
「そうだ射場、お前に聞きたいことがあったんだった。
俺のハンカチ無くした時の状況を教えてくれ」
荘司は祐一のハンドタオルを間違って持っていってしまい、失くしてしまった、と祐一に伝えた。
しかしそれを真琴は知らないうちに持ってたのだ。
「状況? まあいいが。ある一人の馬鹿が俺の前に狐を連れてきてな。
その狐が俺のポケットの中から抜き取っていったんだ」
「……」
「あまりに俊敏で反応する間もなかった。よりにもよって他人の所有物を持っていかれるとはかなりの厄災だ。
せめて自分の物であれば安いハンドタオルを新たに買えばいいのだがな」
名雪が荘司の話を何気なく聞きながら隣を見ると、祐一は珍しく青い顔になっていた。
一体この男の話のどこにそうなる要素があるのか。いや、話とは関係なく体調が悪いのかもしれない
どうしよう、だとしたら病院に行かせないと。変な意地張って症状が悪化したりしたら大変だ。
名雪はそんなことを思っていた。
(狐。そして真琴が持っていた俺の青いハンカチ。とたんにあの下級生、天野美汐の言葉が現実味を帯びてきた。
100パーセント合ってるとは限らないが、それでも数割かは正しい……かもしれない)
「悪いな名雪、俺、急に用事思い出したから」
心配しているところに急に大声で話しかけられて名雪は驚いた。
次の瞬間、いきなりダッシュで商店街の本通の方向、CD屋とは反対へ走っていく祐一の姿が目に映る。
「ゆ、祐一、待ってよ。どうしたんだよ」
何がなんだかさっぱり分からないまま残される名雪、そしてそれと同様の荘司であった。
――7月17日 木曜日 午後5時10分 学校――
「あいつ、天野美汐。くそ。連絡先聞いておくべきだった。
まだ学校にいるかどうか分からないが……」
学校の昇降口まで来た祐一はひとつ下の学年の靴箱の名前をひとつずつ見ていった。
そうして彼女がどのクラスに所属しているかまではなんとか割り出すことはできた。
――7月17日 木曜日 午後5時15分 華音高校2年G組教室――
祐一は割り出した教室に到着した。
だがどうやら遅かったらしい。そこには誰もいなかった。
「骨折り損か……」
「相沢さん」
後ろから祐一を呼んだのは今まで祐一が探していた人物。天野美汐その人であった。
別の場所にさっきまでいて今教室に戻ってきていたとしたらかなりのベストタイミングだ。
「天野……だったよな
よかった……」
安堵の溜息を吐く祐一
「さっき2年生の教室に祐一さんが走っていくのを見かけたので……」
美汐は相変わらずの抑揚の薄い調子の声で無表情で話している。
「真琴について、天野の言うこと、信じてもいい。とにかく話してくれ」
「会ったのですか?」
「ああ、昨日帰ってすぐにな」
「話します……」
祐一の目の前にいる下級生の女生徒はそう呟いて、
落ち着いた様子で話し始めた。
「……ものみの丘は、ご存知ですね」
「ああ」
昨日美汐が呼び出した場所だ。ここでNOと答えたらおかしい。
「そのものみの丘には、不思議な獣が住んでいるのだそうです
古くからそれは妖狐と呼ばれ、妖狐は妖怪の妖に狐と書くのですが、姿は狐のそれと同じ
多くの歳をえた狐が、そのような物の怪となるのだそうです
それが姿を現した村はことごとく災禍に見舞われることになり、その頃より厄災の象徴として厭われてきた
現代に至るまでです」
昨日、丘で会った舞達の話を思い出した。
彼女らはそれについて調べていたのだ。
「それで……」
「それはよくある昔話。でもあの子たちは、そんな恐ろしい存在ではないのです。
あの子達のいくらかは人間の暖かさに触れ、人の姿になり暖かさに触れた人間に会いたい、と思い、
それを実行する。そんな営みの一部。真琴もそんな存在なのです。」
祐一は今度は驚いたりはしなかった。
実は小さいころに憧れていた「さわたりまこと」について話したことがある唯一の存在、というところから
小さいころに怪我を治療した小狐がそうではないか、
という結論にたどり着いたことが一度だけあったのだが、ばかばかしい、そんなはず無いと
出てきた結論をサッサと捨ててしまっていたのだった。
「しかし、人間の姿になるには2つの犠牲が必要……」
雲行きが怪しくなってきた。そう祐一が思ったのは目の前の女生徒のがやや悲しい目をしたからだ。
今までの彼女の表情の変化から考えるとかなりの変化だといって差し支えない。
「一時の奇跡と引き換えの記憶と、命です。」
暫くの奇跡と引き換えの記憶と命、悲劇とはまったく無縁そうな真琴にそんな悲劇が隠されていたとは……
そう思いショックを受ける祐一だった。
「わかった。そこまでは
続きを教えてくれ。少し混乱するだろうが。いっぺんに聞いておいたほうがいい。」
「続き、と言うと?」
「全てその話の通りならあいつは消えるはずだ。
だが……今のところだがあいつは消えてない。今年の一月から七月、あいつは
どんな状態だったんだ、教えてくれ。答えによっては……」
答えによってはまだ救いがある、言おうとしたのか、
答えによってはもう救いようがない、と言おうとしたのか、
祐一には自分でもわからなかった。
「……私が知ってる範囲でよろしければ」
つづく
あとがき&次回予告
Shadow
Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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