前回までのあらすじ 相沢祐一が雪の降る町に来て半年。
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――7月15日 火曜日 午後5時41分 新千重大学文学部哲学科控え室――
(受信メールなし。か。そろそろ相沢さんから何か指令があるころだと思ったが……)
「射場だが、入るぞ」
火曜日の夕方、射場荘司はメールをチェックしながら大学の構内にある一つの部屋に入っていった。
この部屋、一応控え室という名前は付いているものの誰も利用する人がなく、ちょっと前まで
事実上空き部屋となっていたのだが、誠がテレビや漫画などの私物を持ち込みほぼ私有化してしまった。
さすがに管理責任者の山倉教授(三話で黒板消しくらった奴)はそのことを知ってるがどーせ誰も使わないならと思って咎めない。
まあ、それ以来誠と友人の荘司が対戦格闘ゲームなどをして使っているというわけだ。この盗電団が。
「おいーっす、そーじ。久しぶりだな」
「三日だ。そうでもない」
この二人が前に接触したのは先週の土曜日、街で遊ぼう、ということで誠の方から誘ったのだった。
バイトを変えたことで金銭、時間的に余裕が出てきた、という理由もありその申し入れを受けた。
「あ、そーいえば土曜日一緒に出かけたんだっけ。二人で」
誠もどうやら思い出したようだ。まあ忘れていたということでもないだろうが。
「言いたかった事があるんだが……その日の服装、何だあれは?」
鞄を置き、折りたたみ式のパイプ椅子に座りながら疑問を口にした。
「かっこいいだろ。あれ」
「……あの服を格好いいと思うなら、君の思考回路は3シグマ以上ずれている」
「似合わなかったか? あれ」
何ピントのずれた質問を……と言いたげな表情をしながら荘司は
その質問には直接答えたりせず話を続けた。
「あの日、人を待っていた俺に見知らぬ女性が手を振りながら近づいてきた。何だ?悪質商法か?宗教の勧誘か?と一瞬思ったが
接近してようやくその人物がお前だと判った訳だ。
……あれは格好いいではなく『可愛い』というんだ。へそ出しのキャミソール系とか着てくるんじゃない。
周りからは俺とカップルだと思われていた筈。確実に。俺の社会的地位を崩壊させるな」
荘司よ。仮に女の子と歩いていたのを見られたのだとしても特にどうということはないだろうに……
「ええー。世界中で誰と恋人同士に思われようと、お前とだけは恋人どうしに思われたくないな」
さすがに世界中でとまで言われるとムッと来る荘司。誠は気にせず話を続けた。
「あ、でもお前の好きな人に、まあいないと思うけどね、二人一緒にいるところを見られて誤解されてさあ大変、
とかなってるのを考えると結構面白いかな」
微笑みながらそう話す誠。やはりこの男の意地悪さはどうにかした方がいい。
そう考えながらも喉が渇いた荘司は鞄からペットボトルを取り出した。
ふたを開ける前に更に誠は話しかけた。
「そうだ、俺面白いもの見つけたんだけど見る?」
「見る気はない。」
「うんうん。そんなに見たいなら見せてやろう
じゃじゃじゃじゃーん。ディス・イズ・フィックス」
このようにして運命は扉を叩く。荘司は思わず吹き出しそうになった。
そう言って誠が机の上に出したものが想定外だったからだ。
小狐。毛並みはしっかりしている。
「な、なんで狐がここに? それとそれを言うならフォックスだ」
疑問の後突っ込みをいれる。まあ当然だ。
いきなり机の上に乗せられた小狐は周りを不思議そうにきょろきょろ眺めていた。
そしてひと通り見回すとその小さな目を軽く言い争っている二人の人間のほうに向ける。
「どこで拾ってきたんだ? 野生のものなら疫病を持っている可能性がある。」
「それはないんじゃないかな。キャンパス内で見つけたんだし。」
たしかに獣医学部からどっかの阿呆のせいで逃げてきたのであれば、
伝染病を持っている可能性はずっと小さくなるが。
「それに、もう一つお前に見せたかった理由があるんだよねー」
「何だ?」
「抱き上げてみて分かったんだけど、そいつ首に飾りのようなもの掛けてるんだよ。
首輪とかじゃなくて、ネックレスとかそんな感じのもの。お前がいつもつけてる奴に近いかな。
成長したら苦しいだろうし外してやらないと。
荘司ハサミか何か持ってない?」
なるほどね。子供のうちはぴったりかもしれないが、そのまま成長すると呼吸が不可能になってしまう。
狐がじぶんで掛ける筈はないから、誰か人間が大方深く考えないで身に付けさせたのだろう。
……悪意があっての行動だとも考えられるが。
「いや、だがハサミなら確か……どわっ!」
突然、おとなしかった小狐は機敏な動きで荘司の腰をかすめ跳躍した。彼が驚いたのはいうまでもない。
次の瞬間には狐はハンドタオルを咥えて、床の白いタイルに立っていた。
もちろんそれは荘司が持っていた物だ。それに気づいた荘司はとっさに静止の声をあげてしまうが
聞く筈がない。サッと窓の淵に移動し、そのまま外へと逃げて行ってしまった。
「窓から飛び降りた?そんな馬鹿な。ここは一階だったはずなのに!
正気なのかあの狐!」
「……じゃあ正気なのだろ
それよりあのハンドタオル。おそらく、いや確実に帰ってこない。やられた……」
「大切なものだったの?」
「……大切といえば大切だ。俺が家庭教師に行った時に自分のと間違えて生徒のを持って帰ってしまった。
明日返そうと思っていたのだが……」
表立って嫌う理由は特にない筈なのに、どういうわけか肌に合わない相沢祐一。
さすがにこのまま借りにしておきたくはない。明日あたりに同じハンドタオルを購入して弁償しなくては。
狐のせいなのか、友人のせいなのか、自分の不注意か。災難を嘆く射場荘司であった。
――7月15日 火曜日 午後8時06分 水瀬家――
「今日の俺はーまじめに勉強ー
そして明日は真夏の雨ー通り越して真夏の雪ー
それというのも親父の手先のあの男が宿題をたくさんだしやがったからー♪」
机に付き、鼻歌を歌う祐一。
どうでもいいけど歌詞を口に出すのは鼻歌とは言わないぞ。
机の中から蛍光ペンを取り出そうとした祐一は、半透明の鉱石のついた首飾りを目にした。
(この首飾り、このまま俺が持っていていいのだろうか。)
名雪に気づかれないようにポケットから取り出し、祐一の机の中で眠らせていたこのアイテム。
疑問に思うが、誰も何も言ってこない、というわけでこの状態のまま、というわけだ。
「祐一〜、もしかしてけろぴー持って行ってない?
わたしの部屋にいないんだけど」
このタイミングで名雪の声。驚いて本棚に衝突しそうになる。
「しょ、食堂にでもいるんじゃないのか? 夕食の時ずいぶん寝ぼけてたし……」
「けろぴーは寝ぼけないよー。それに夕食も食べないし」
「お前だよ!」
名雪が遠ざかった後、ふと思い立った祐一は机の一段目の手前にあった鉱石を取り出し、
三段目の奥に押し込んだ。これでとりあえず安心だろう。
開けた引き出しを閉めようとして、見慣れない黄色いファイルに閉じた一枚の紙が目に入った。
「何だこれは……履歴書?」
履歴書なんか書いた覚えがない。アルバイトすらしたことがないのに。
まあ、ちょっとはしてみたいけど学校に許可とるのが面倒くさいからな。
不審に思いながら開いてみると、それがどんな過程で書かれたものか思い出してきた。
「ああ、これは真琴のか」
沢渡真琴。半年ほど前に水瀬家にいた記憶喪失の女の子。
記憶喪失だというのは自己申告なので実際は違うかもしれないが。
水瀬家から突然姿を消したのは自分の記憶が戻ったからであればそれに越したことはないが……
真琴は記憶が戻らなければこの家を出て行く理由はない。
だから記憶が戻ったのだと思うが……
それならば迷惑かけたお詫びとお礼くらいはしに来て欲しいものだ。俺がいない間にそれがあったとすれば
秋子さんは話すだろう。だからそのことはまだ無いと考えるのが自然だ。
今日の所は嫌な予感がする。真琴は……
――7月16日 水曜日 午後0時05分 デパート――
(思ったより高い。これは予期せぬ出費だ。あの狐のせい?いや連れてきたあの男のせいでとんだ災難だ)
値札を見ながら渋い顔をしている男、射場荘司はそんなことを考えながら耳の後ろの辺りを掻いた。
だが買わなければ仕方がない、と考えてレジへ持って行くことにした。
会計を済ませて意外だったのはリボンまで付けたラッピングされてしまったことだ。
誰かにプレゼントするとも何も言っていないというのに
それは店員がラッピング趣味だったからだろうか。理由はともかく、特に不都合があるわけでもないから何もいわなかったが。
(そういえば俺がなくしたハンドタオル、まさか祐一君が誰かからプレゼントされた物とかじゃないだろうな。
だとしたら弁償しても意味がないかもしれない……
無くしたのを責められて強請られたりするのは勘弁だな……)
ネガティブ思考でエスカレーターに乗る荘司であった。
――7月16日 水曜日 放課後 昇降口――
「あら、相沢君。今帰り?」
「香里か。そうだ。今来たところに見えるか?」
「見えないわね。遅刻しそうだって慌ててないもの」
放課後、昇降口の靴箱の前で偶然会った祐一と香里。
だが祐一は帰宅部だが香里は部活に所属している。
それなのになぜ帰る時間が一緒になったか。
それは美坂香里の所属している部活が基本的に好きな時に来ればいい、規則の緩いものだからだ。
果たしてそれが何部なのか。結局祐一は香里に秘密にされ、半年の間聞きだすことはできなかった。
まあ、特に知りたい訳でもなかったから何度も聞かなかっただけなのだが。
……もしかすると大したことしてないのにどういうわけか部室があって格ゲーやってる、盗電団的な部活じゃないだろうな。
そんなことを考えながら靴箱を開ける祐一。
すると中からヒラヒラと手紙が一通、宙を舞った
「ん? 便箋か」
ひらひらと舞う手紙を地面に落ちる前にキャッチすることに挑戦し成功、地味に嬉しい。
「相沢君に手紙? ふーん。何が書かれているのかしら」
少し興味深そうに覗き込む香里。祐一は香里の視線から手紙を遠ざけた。
もちろん香里はしつこく食い下がったりはしなかった。手紙を見ながら祐一はつぶやいた。
「これはラブレターだな。うん。ずっと俺を見ていたという下級生の可愛い女の子からの」
中身見てないうちからそんなこと……香里は頭を抱えた。
そのうちに中身を読んで行く祐一。10秒ほどして手紙を閉じた。
「男の子は一つでも多くの愛を欲しがるものなのさ。あ、この発言名雪には内緒ね。
言わなくても分かってると思うけど。それじゃ」
微妙にむかつく台詞を言って走り去る祐一
後に残された香里はため息をついて、その後少しだけ笑った。
(ついて行ってみるのも面白いかもね……)
校門まで辿り着いた祐一は、思わぬ人物と出くわした。
祐一の周囲にいる人物の中ではかなり嫌いな部類に類する、射場荘司だった。
先に話し始めたのは荘司の方だった。
「偶然だな。丁度よかった。渡すものがあるのだが」
「何だよ。ああ、『偶然』ってことはとりあえずこの手紙はお前のじゃないってことだよな」
「……記憶にない」
「なら良かった。で、渡したい物ってのは?」
「……その前に一つ聞きたいことがある。俺がこの前間違えて持って帰ってしまった祐一君のハンドタオルだが、
もしかして恋人から、いや恋人じゃなくてもプレゼントで貰った物だということはないか?」
「?いや違うが? なんでそんなことを聞くんだ?
ああ、欲しいんだったらやるよ。いや無料ではもったいないから有料でなら」
「……済まない事に無くしてしまってな。同じものを弁償しておいた」
「そうか。それじゃ受け取っておくよ。それじゃ、数時間後」
受け渡しと会話が終わると反対方向へ歩いていく二人だった。
(ど、どういうことなのこれは一体……)
少し遠くから見ていた香里は若干混乱して顔を青くしていた。ラブレターを出したのは家庭教師のあの男?
きれいな包装紙にリボンまで付いたプレゼントを祐一に渡した?
細かい会話の内容が聞き取れなかったのが余計な誤解を美坂香里に与えていたとは
知る由もない二人であった。
つづく
あとがき&次回予告
Shadow
Moonより
諸事情により、すみませんが感想は後日……
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